アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「他人に合わせるのが苦手です」という相談にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
私は他人に合わせることが苦手です。他人に合わせると疲れます。これは、やはり自我を張っている・自我が強いということなのでしょうか?
[A]
■無条件で他人に合わせる必要はない
他人に合わせることが苦手・疲れるということ、それも我儘と言えば我儘です。自我の働きなのです。しかし、仏教では正しく生きなさいと教えているのであって、無条件で「他人に合わせなさい」とは教えていません。優れた人から学んでください、優れた人の真似をしてみてくださいとは言います。それは他人に合わせるということではありません。自分より優れた人々の能力を学ぶのです。性格を真似るのです。そうすることで、自分も立派な人間になります。
自分が勝手に他人に合わせなくてはと、あり得ないことを考えてやっていると、苦しくなるのは当然です。わかりやすく言えば、頑張れば人間でも空を飛べると考え、一生懸命に手をバタバタと振って飛び上ろうとしているのと同じです。問題はそういう妄想をしている自分自身にあるのです。ですから、問題解決のためには「頑張れば人間でも空を飛べる」という自分の間違った考えを捨てるしかないのです。手をいくらバタバタ振っても人間は飛べません。
ですから、「他人に合わせなくてはいけない」という自分の主観的な考えを改良した方が良いのです。①合わせなくてはいけない場合もあります。②決して合わせる必要がない場合もあります。③他人が自分の性格に合わせなくてはいけない場合もあります。④合わせるか合わせないかという問題が成り立たない場合もあります。ですから、他人に合わせなくてはいけない、という強迫観念を捨てて、この四つに合わせて実行してみるのです。
■「正しいこと」をすること
何が正しくて何が間違っているのか、と判断して、自分は正しいことをやればいいのです。他人が同じようにやっていようが無かろうが、どうでもいいことです。自分は正しいことをやる。そうすれば気持ち良く生きていられます。「これは間違っている」とわかったなら、皆がやっていたとしてもそれはやりません。他人に合わせるのではなく、善悪判断ができるように学んで、善の正しい生き方をする・選ぶだけなのです。それが答えです。
次に、他人に合わせることができないという人は結構いますが、そういう方たちに、このように正しい生き方をしてくださいと教えてあげると、「そんなことは誰もやっていない」と平気で言い返して来ます。本当に正しい生き方を言っても、世間の反応はそんなものです。逆に悪い生き方を教えると、その通りにやってしまうので注意が必要です。例えばいつもより朝は三十分早く起きて慈悲の瞑想をやってみてくださいと教える。そうすると「そんなことは誰もやっていないし、睡眠不足になるから困る」と躊躇することなく答えるのです。皆がやっていないから俺もやらないという屁理屈を平気で使うのですね。
質問に論理的に答えます。私たちは別に他人に合わせて生きる必要はありません。しかし、いつでも「正しいことをする」「正しくないことはしない」という生き方をすべきなのです。
■正しい生き方をすることに我儘になろう
皆さんは、我儘に生きられればいいのに……と思っているでしょう。しかし、自分の希望通りに我儘だと、世界(他人、世間)がそれは良くないと言って来ます。だからといって、自分の我儘を捨てて、皆(世間)が言う通りに生きるということが答えではありません。「悪を止める、善を行う」という生き方に徹する、命を懸けて生きるのです。これが正しい生き方・正しい答えなのです。
そのように正しい生き方をすることに我儘になる。そういう我儘ならしっかりと生きていられます。正しい生き方をしているなら、誰に何を言われても変えません。そういう人格者であれば、例え日本の天皇であろうが、総理大臣であろうが折れるしかありません。敵わないのです。人格者の生き方は変えられません。正しい生き方であるなら、例えそれが法律で禁止されたとしてもやるのです。それぐらい芯を強く生きるのです。
問題は、他人に合わせるか合わせないかではなく、正しい生き方を自分で判断して、正しく生きることなのです。そうすると、自分は自由に生きていると感じることができます。頑張ってみてください。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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