【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「親の愛情も貪瞋痴ですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
「愛着」が貪瞋(とんじん)痴(ち)であるということは理解していますが、子供を育てる時の親からの愛(母性)や愛情であるとか、そういうことも愛着と表現されています。その区別はあるのか、それとも親の愛情も貪瞋痴に入ってしまうのでしょうか?
[A]
■世にも恐ろしい貪瞋痴です
「愛着」「愛情」これは世にも恐ろしい貪瞋痴です。考えてみてください。配偶者だったら簡単に捨てられるでしょう? 我が子は捨てられないでしょう。それはものすごく強い貪瞋痴になるのです。智慧のある人が一番気をつけるのは、その愛着・愛情です。我が子に対する愛着は、直接地獄(悪趣)へ引っ張ってしまうのです。しかし、子を持つ親としての責任は果たしてください。親という衣装(立場や役割)を着て、親という演技を上手にやってください。文句を言われないように演じてください。そうすると罪になるようなことはありません。自分の演技がぴったりだったら、相手もそれにぴったり応じてくれます。
幸福を目指す人なら、貪瞋痴を甘く見てはいけません。あれこれ言い訳をして、貪瞋痴を正当化することもいけません。親の我が子に対する愛着も断ちがたい貪瞋痴なのです。その貪瞋痴を捨てて、慈しみに入れ替えれば、失敗なく子育てができます。
■出典