〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
神崎修生(福岡県信行寺)
西脇唯真(愛知県普元寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第5回は、浄土真宗の神崎修生さん(福岡県信行寺)と西脇唯真(愛知県普元寺)さんをお迎えしてお送りします。
音楽の世界からお坊さんに転身した神崎さんと、幼い頃からお寺大好き、TikTokでの法話も大ブレイクした西脇さん。そんな爽やかなお二人から、宗祖親鸞聖人のお話や阿弥陀仏とお念仏の関係性、西本願寺と東本願寺の違いや成り立ち、自他一如の境地まで、さまざまなお話をうかがっていきます。どうやら浄土真宗は私たちに「大丈夫だよ」と安心と温もりを与えてくれる宗派のようですよ。


(1)お坊さんになったわけ


■はじめに

前野    「お坊さん、教えて!」司会の前野隆司です。よろしくお願いします。

安藤    同じく司会の安藤礼二です。前野先生は幸せについてずっと探求していらっしゃいます。人工知能の研究などもやられながら、やはり心の問題が非常に重要なのではないかと仰っております。私もそう思うのですけれども、それを論理的に追求する一方で、今まさに幸せについて実践されている方からお話を聞くのも同じくらいに大切だと思っております。
    仏教には私たちが知っているようで知らないことがたくさんあると思います。私がずっと探求している折口信夫という民俗学者は今日の主題である浄土真宗の家に生まれ、民俗学とともに、阿弥陀仏という遥か彼方の存在と私たちがどうやって関係を持つのかということを追究していました。その結果として、浄土曼陀羅(当麻曼荼羅)を主題とした小説、『死者の書』が書き上げられました。いま人間は目に見える物との関係ばかり追い求めています。ですので、そうした人間を超えた存在とどのように関係を持つのかを考え抜くことはとても重要ではないかと私自身も考えております。

前野    深い自己紹介をありがとうございます。私自身は仏教は素人ですが、「心は幻想なのではないか?    心は本当はないと考えれば、脳科学やAIの分野でもっといろいろなことがわかっていくのではないか?」と考えてきました。それが何か仏教に近いように感じて、最初上座部仏教に興味を持ったのですが、よくよく考えてみると日本にいながらにして日本の大乗仏教のことを意外と知らないなと思ったんです。意外というか本当に知らない、教科書で習ったぐらいしか知らないなと思いまして。
    やはり日本の考え方や華道、茶道、武士道などを世界に伝えていこうと思ったら、その中心にある仏教のことはもっと勉強しておくべきであると思って、「お坊さん、教えて!」を始めました。もちろん、仏教だけではなく、老荘思想や神道など他にもいろいろなものがあるでしょうけど。
    ですので、今回も「浄土真宗って誰が始めたの?」「始めた人はどんな人だったの?」というような、本当に基本的なことからお話を伺っていきたいと思います。
    さて、本日お越しいただいたのは浄土真宗の神崎修生さんと西脇唯真さんです。よろしくお願いいたします。

神崎    福岡県糟屋郡(かすやぐん)宇美町(うみまち)の信行寺(しんぎょうじ)に勤めております、神崎修生と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
    宗派は浄土真宗本願寺派でございまして、本山は京都の西本願寺です。東京の築地本願寺も一緒の宗派です。
    今日はとても楽しみにしておりました。よろしくお願いいたします。

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神崎修生さん(写真提供=神崎修生)
前野    神崎さんはおいくつなんですか?

神崎    私は38歳です。

前野    38ですか。僕から見ると皆さんお若いですね。もうお一方は西脇さんです。

西脇    愛知県西尾市の普元寺(ふがんじ)というお寺の西脇唯真と申します。私は2年前に慶應義塾大学の文学部を卒業して、昨年は中央仏教学院という仏教の学校に1年間通っておりました。まだまだお坊さんとしての経験は浅く、タイトルのように「お坊さん、教えて!」と言われるのは恐れ多いのですが、私が幼い頃から尊敬するお坊さんが今回、「ぜひ君に」と推薦してくださったので、今日は私なりに一生懸命お話できればと思っております。
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西脇唯真さん(写真提供=西脇唯真)
前野    西脇唯真さんは23歳ですね。尊敬するお坊さんというのは松本紹圭さんという有名な浄土真宗のお坊さんですよね。松本さんから私、聞いたのですよ。「若いけどすごいお坊さんがいるから西脇さんを推薦する」って。お会いするのは今日が初めてですが楽しみにしています。

西脇    よろしくお願いいたします。


■入寺を経てお坊さんへ

前野    では最初に、神崎さんと西脇さんの生い立ちを伺いたいと思います。
    これまでもご出演いただいた皆さんに「最初からお坊さんになりたかったのですか?」とお聞きしてきましたが、半分以上の方が「お坊さんにだけはなりたくないと思っていた。しかし違うことしているうちに、いや、お坊さんになるんだと考えが変わった」と仰っていたのが非常に興味深かったです。
    神崎さんはどのような生い立ちで、どんなふうにお坊さんになったのでしょうか?

神崎    これまでの回はけっこう反発されていた方が多かったようですが、私の場合あまり反発という言葉は当てはまらない気がします。その要因としては私自身がお寺の生まれではなかったからということがあります。
そこがお寺に育った皆さんとちょっと違うところで、私が中学1年生のときに、私たち家族がお寺に入寺(にゅうじ)、つまりお寺に入ることになったのです。
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幼い頃の神崎さん(写真提供=神崎修生)
前野    入寺というのは何ですか。檀家とは違うのですか?

神崎    檀家とは違います。私の父はお坊さんですが、お寺の三男坊だったので継ぐお寺がなく、いろいろなお寺を転々としてお手伝いをさせていただいていました。朝起きてお寺に勤めに行くというサラリーマンのような生活スタイルだったのですよね。私がいま勤めている信行寺も通っていた先の一つでした。
    もちろん家にお仏壇はあって朝晩にお経をあげたりはしていましたが、雰囲気としては熱心な浄土真宗の家というような感じで、継ぐお寺がないので私としてはお坊さんになるなんてまったく思うことなく、育ちました。
    しかし信行寺の先代のご住職がご病気がちで、ご法事などの仕事を続けることが難しい状況がしばらく続いていたそうです。その時にいろいろな方のご縁から父母に白羽の矢が立ち、それで私たち家族が信行寺に入ることになったそうです。入寺した時に私は中学1年生でした。入寺してから、信行寺の門信徒の方々に「後継ぎさん」と言われることもあったのですが、その時は反発というよりは、「私なんかでいいのかな。お寺に育ったわけでもないし、仏教の素養がないのに、そんなに当たり前のように継いでいって大丈夫なのだろうか」というモヤモヤとした気持ちになったのが正直なところです。
    何もせずに継いでも駄目だろうと思うところもありまして、お坊さんになる前に、ミュージシャンや音楽関係で働く音響さんや照明さんを養成する音楽の専門学校に勤めさせていただいて、今から10年くらい前の28歳のときに、自分の中に根付いている仏教に改めて気づいて「よかったら継がせていただこうかな」と本格的にお坊さんの道に入りました。

前野    本当はミュージシャンになりたかったということですか?

神崎    音楽活動が好きだったので、音楽活動をしておりました。

前野    実際やっていたのですね。

神崎    はい。でもやはり幼い頃からの縁なのか、仏教に惹かれるものがとてもありまして。

前野    なるほど。一般的に跡を継いでお坊さんになる人が多いような気がするのですが、お父さんが急にお寺に入って住職になってというパターンはけっこう珍しいのでしょうか?

神崎    そうでうすね、あまりないかもしれません。ただ、お寺であっても必ず後継ぎさんができるとは限りませんので、別のどなたに継いでいただくこともあります。そういった中の一つという感じですね。

前野    親も親戚もお坊さんではないのにお坊さんになる人というのは仏教界全体では少数派ですか?

神崎    親も親戚もお坊さんではない場合は、ご縁があってお坊さんになられる方が多いと思います。たとえばお寺のお子さんに娘さんしかいなくて、結婚された旦那さんが得度してお寺を継ぐということなどはあると思います。


■お寺をみんなの居場所にしたい

前野    西脇さんはどのような生い立ちでお坊さんになられたのでしょうか?

西脇    私は典型的なパターンです。ただ、今までの方ほど反発したということはなく、ちょっと迷っていたくらいです。学生の頃に『寺院消滅』(日経BP)という本が出版され、Yahoo!ニュースにも「お寺がつぶれる」といったような記事が掲載されていまして、コメント欄を見るとお坊さんの悪口とお寺の悪口がずらりと並んでいたんですよね。それを見て「どうしようかな」と少し悩んだことはございます。
    でも私の場合、基本的に小さい頃からお寺が大好きでした。
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幼い頃の西脇さん(写真提供=西脇唯真)
    保育園、小学校のときは日曜学校という、お寺でお経を読んで仏教のお話を聞いた後に鬼ごっこをする、という活動が毎週の楽しみでしたし、中学校、高校になると今度は自分でお寺でお泊まり会を開いて肝試しをしたりしていました。大学生になってからもバスを手配して、東京から愛知までのお寺合宿を5回以上企画しました。総勢100名くらいに来ていただいたのではないかと思います。「お寺に来ると穏やかな気持ちになれる」とか「日常のことを忘れられる」とか、そういうふうに言ってもらえることがすごく嬉しかったです。
    今は週のうち3日は神社とお寺の検索サイト「ホトカミ」という会社で働いて、残りの半分は父が住職を務めている普元寺で写経会やお寺ヨガ、落語、生花など、様々なサークル活動の企画や立ち上げに関わっています。
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神社とお寺の検索サイト    ホトカミ
    私の個人的な考えではあるのですが、浄土真宗は「ここにいてもいいんだよ」と思わせてくれる教えなんじゃないのかなと思っております。ですから、お寺が皆さんの居場所になるように、妹とも協力していろいろな活動をしているところです。
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一緒に活動する妹さん(左)(写真提供=西脇唯真)
前野    西脇さんはインターネットでも発信したり場作りをしたりされていますよね。

西脇    そうですね。今はもうやめてしまったんですけども、一時期はTikTokで仏教を発信していた時期もありました。

前野    ブレイクしなかったんですか?

西脇    いえ、その反対ですごくバズったんです。仏教の専門学校に入ると同時にTikTokを始めて、4万人くらいのフォロワーがいました。でも本で読んだことをそのまま発信するような感じで、自分が自信を持って伝えられない感覚がずっとあったんです。それでやめてしまいました。
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TikTokをやっていた頃の西脇さん(写真提供=西脇唯真)
前野    でもTikTokって若くないとできないでしょう(笑)。30年後に「さあTikTokやろう!」というのも違う気がしますし。親鸞が見ていたら「そんなことをやっていては駄目だ!」と言うのでしょうかね?

西脇    いや、許してもらえるような気がします(笑)。

前野    ははは(笑)。なんとなくなんですけど、浄土真宗のお二人は若いからか妙にリラックスしている感じがありますね。他の宗派のお坊さんがリラックスしていなかったとは言いませんけれども。
    神崎さんは音楽が好きだということでしたが、西脇さんのご趣味は。

西脇    趣味ですか。そうですね、お寺に人に集まっていただいて、そこで皆さんとお話をする。もうそれが一番好きな時間です。

前野    お話というのは、お坊さんの説法のような一方的なものではなくて対話ということですか?

西脇    そうです。場と関わっていくという感じです。

前野    それもなんとなく新しい感じがしますね。



(2)念仏で救われる


■悪人正機

安藤    浄土真宗とはそもそもどういう教えなのか、また、浄土真宗を立てられた親鸞聖人はどういう方で、親鸞聖人の教えの核心はどこにあるか、お二人の個人的な見解で構わないので、お考えをお聞かせいただければと思うのですが、いかがでしょうか。

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安藤礼二先生(撮影=横関一浩)
西脇    親鸞聖人の教えは「自分が何かなせば何かを与えられる」とか「自分の力で何かができる」というものではなく、かといって「ひたすらお念仏を称(とな)えればいい」という話でもありません。自分は煩悩を抱えたものなのだけれども、すべて阿弥陀様のはたらきにおまかせする。お念仏を称えることもすべて阿弥陀様のはたらきなのだ、そういう徹底的な他力であるところが大きな特徴です。
    親鸞聖人の有名な言葉に「悪人正機」というものがあります。悪人正機の悪は倫理的な善悪の善悪ではなく、「宗教的に修行ができない者」「仏様に近づけない者」という意味です。そしてまさにそういう悪人こそが仏様の救いの目当てである。これが親鸞聖人の教えの大きな特徴であると思います。
    私は小さい頃から浄土真宗の法話を聞いて育ちました。法話では自分自身の凡夫性、愚かであること、そしてそういう人をも見捨てない阿弥陀様のはたらきが説かれます。そういう法話を聞いているうちに「ああ、自分はこれでいいんだ」「自分は小さくて愚かだけどそれいいんだ」と少し楽になれます。
    存在の居場所を与えてくれて、日々私たちが価値判断しているような価値を超えた絶対的な価値を教えていただけるところが浄土真宗の良いところではないかと思っております。

神崎    浄土真宗の宗祖は親鸞聖人ですが、親鸞さんは自分で宗派を興そうとされたわけではありません。法然聖人は天台宗の中の一つであった浄土教を「浄土宗」という宗派として独立されましたが、親鸞さんには宗派を立てるという意図はなく、あくまでも自分は「法然聖人の門弟である」という立場を崩しませんでした。法然聖人が説かれた教え、すなわち阿弥陀仏という仏様によって救われていくという教えに救われて、それを依りどころとされていたのです。
    その後、親鸞聖人のひ孫にあたる覚如(かくにょ)さんという方が親鸞聖人のお墓の寺院化に尽力しまして、本願寺を中心とし、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗ができたという経緯がございます。
    親鸞聖人が残されたいろいろなお書物を見ますと、「悪人正機」という考え方が色濃く出てきます。罪や悪を重ねた人ももちろん悪人に含まれますが、西脇さんが仰ったように「修行ができない者」という意味が、「悪人正機」における悪人という言葉には含まれています。
    親鸞聖人ご自身もいろいろな仏道修行をなさったけれどもできなかったと言われています。できなかったと言っても何日かやってみてできなかったという話ではなく、9歳でお寺に預けられて以来、29歳までのおよそ20年間、仏のさとりの智慧を得るためにいろいろな修行をずっと続けておられます。しかし、修行を重ねても欲がまったく捨てられない、自分中心の考え方が捨てられない、そんな自分が見えてきて、他者と自らとを区別しないような慈悲と智慧をそなえた仏様と自らとがあまりにも乖離していることに絶望されたと言われています。
    仏道を自らの力で歩むことに限界を感じた親鸞聖人は、比叡山を降りて法然聖人のもとに行かれました。
    そして、仏道修行に励むこともできず、罪や悪をも重ねてしまい、自分中心の考え方で生きていることにもなかなか気づくことができない、そういう人でも救おうとしてくださったのが阿弥陀様である。その教えに出遇って救われていかれたのです。
    絶望と救いの喜びの両方を抱えた方が親鸞さんであり、それを端的に表しているのが悪人正機です。仏道修行に励むことができず、自らの力で仏の智慧を得ることもできない人こそが、まさに阿弥陀如来、仏様の救いの目当てなのだと。これが浄土真宗の一つの特徴であると思います。
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神崎修生さん(写真提供=神崎修生)

■末法思想と阿弥陀仏

安藤    「お坊さん、教えて!」の第1回、真言宗のお話では「大日如来は自分の内側にある」というお話でしたが、今お話いただいた阿弥陀如来というのは、表現として正しいかどうかはわかりませんけれども、絶対的な向こう側にあるようなもののようです。大日如来と阿弥陀如来は我々の内側と外側、そういった対比があるように感じました。我々がそのような遠い存在とどうやって関係を持てばよいのかが、これが今回は重要なテーマになってくるのではないかと思いますが、お二人の個人的な考えでまったく問題ありませんので、いまの件に関しまして何かお考えになっていることがありましたらお聞かせください。

神崎    仏教には三学という基本的な修行があります。三学とはすなわち戒定慧です。戒はお坊さんとしてのあるべき行動を守っていくというもの。定は身や心を定めていくこと。慧は仏様の智慧を得ていくことです。
    親鸞聖人の師匠である法然聖人は、自らを「三学の器にあらず」と仰いました。法然聖人は三学では仏のさとりには至れないとお感じになり、それでガラッとひっくり返して「仏様のほうから救ってくださる」という捉え方をされたのです。
    同じく三学を修められなかった親鸞聖人は、法然聖人の門弟になり、阿弥陀仏という仏様によって救われていく道を歩みます。「阿弥陀様の救いに出遇わなければ自分は救われなかった」という思いは親鸞聖人親鸞聖人が残してらっしゃる文献からもにじみ出ています。
    法然聖人や親鸞聖人の時代は平安末期から鎌倉です。源平の合戦などの内乱があり、飢饉や疫病も非常に流行った時代でした。同時代に鴨長明さんが書かれた『方丈記』には、当時鴨川には死体が積み上がっており、京都の街中でも腐敗臭がしていたと書かれています。
    そういう時代の中、「お釈迦様がいる時代は素晴らしい時代だった。しかしだんだん時を経るに従って、お釈迦様の教えは残っていてもその教えを実践する人たちがいなくなり、行もできない、さとりもひらけない時代になった」と考える「末法思想」が広がり始めました。一説によれば西暦1000年代くらいから末法の時代に入っているそうですが、いわばこの世の終わりのような苦しい世界から我々が救われる道はないのだろうか。そういう発想から、皆が救われる「極楽浄土」という場所が捉えられていたのだと思います。
    それまでの日本において、仏教はある意味ちょっと限定された人々のものでした。しかし平安末期から鎌倉にかけて、「今のままではさとりのひらきようがない。阿弥陀様という仏様に救われていくのだ。そしてお浄土という仏様の国に生まれさせていただくのだ」という法然聖人や親鸞聖人の思想がだんだんと民衆に広がっていったわけです。


■念仏が阿弥陀仏と凡夫をつなぐ

神崎    じゃあどうやってそれを成立させるのか。それが安藤先生のご質問にあった「遠くの存在と我々凡夫との接点」の話になるかと思いますが、浄土真宗、浄土宗では念仏、すなわち南無阿弥陀仏と称えることがそれに当たります。
    念仏とは念じる仏と書きます。念仏とは口で称えるものだけでなく、もともと「仏様を念じるもの」という意味がありました。しかし「仏様を念じる」という行為はなかなか難しいものです。仏様の姿をありありと思い浮かべたり、仏様を心に思ったりしたくても、つい我々の心は散乱してしまいます。
    そこで出てきたのが、南無阿弥陀仏と仏様のお名前を称える念仏です。「私はこの阿弥陀様におまかせいたします」と称えていく中で救いが成立する、という発想にだんだんなっていったわけです。
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お念仏を称える神崎さん(写真提供=神崎修生)
    念仏を媒介にして我々が救われていく。遠い存在である我々が阿弥陀様とつながっていく。念仏とはそういうものだと私は認識しています。

西脇    安藤先生が仰った「遠い存在」というのは本当にその通りです。浄土宗の中には「仏様と一体化する」という考え方もあると聞いたことがありますが、浄土真宗ではあくまでも私たち凡夫と仏様というのはまったく別の遠い存在であると考えます。
    それをつなげるのがお念仏で、「お念仏によって南無阿弥陀仏の主になる」「御念仏によって阿弥陀様が入り満ちる」、そういうふうに浄土真宗の法話では表現されることが多いです。私が仏様になるわけではないけれども、お念仏によってつながるという感覚があります。



(3)なぜ東本願寺と西本願寺に分かれたのか


■来迎は臨終にあらず

安藤    死の瞬間に浄土から阿弥陀如来が来迎してくれる、そのために念仏を称え続ける。それが一般的な浄土思想の理解だと思いますが、法然聖人の浄土宗から親鸞聖人の浄土真宗という流れの中で、親鸞聖人にはそういったようなものとは少し違う、考え方の転換のようなところも出てきたのでしょうか?

神崎    今仰っていただいたのは臨終来迎(りんじゅうらいごう)ですね。臨終というのは「ご臨終です」と言うように「亡くなる瞬間」のことで、来迎というのは「迎えに来てくださる」という意味です。つまり「阿弥陀様という仏様が迎えに来てくださる」というのが臨終来迎です。
    内乱や飢饉、疫病などで死がありふれていた時代、自分が亡くなったらどうなるのかは大きなテーマだったことでしょう。その中で、「死後も救われていくのだ」「お浄土(仏様の国)に生まれさせていただくのだ」といった世界観は人々の胸にとても響いたと思います。
    親鸞さんは「来迎は臨終にあらず」と仰いました。
    疑いの心が晴れた状態を信心といいます。疑いの心がある状態では阿弥陀様と私の存在とは非常に遠い。「阿弥陀様の存在なんてまったく信じられない」という人にとって阿弥陀様はまったく自分ごとではない。しかし「必ずあなたを救いますよ」という仏様の心がスッと入ってきた人には阿弥陀様が側にいてくださるのです。
    親鸞さんは「信をいただいた瞬間が来迎のときである」「疑い心が晴れて信心がめぐまれたときに来迎がある」という捉え方をされていました。命を終えてからお浄土に行かせていただいて仏様になるのですが、それが定まるのは阿弥陀様の「あなたを救いますよ」というその喚び声(よびごえ)が聞こえてスッと受け止められたときなのです。

前野    浄土宗は亡くなった後で阿弥陀様が救ってくださるという話だったと思いますが、浄土真宗の場合は救われたと感じたら、その時点から救われていると捉えてよいのでしょうか?

神崎    法然聖人は非常に懐が広い方で、いろいろな方と接してそれぞれの方の救いになるようなことを説かれました。その様々に語られた言葉から、「阿弥陀様におまかせした瞬間が阿弥陀様の心に触れていく瞬間なのだ」と親鸞さんは捉えたのではないかと思います。
    ただ、法然門下には親鸞さんだけではなくいろいろな方がいらっしゃいますので、捉え方が人によって若干違うところもあると思います。ですから浄土宗はこうであると一概には言えないのではないかとは思います。
    そういった考え方の違いが、浄土宗の中での様々な派に分かれる要因にもなってきたのだと思います。


■西本願寺と東本願寺

前野    基本的なことかもしれませんが、浄土真宗というのは大きくわけて西本願寺と東本願寺の2つなのですよね。どう違うのですか?

西脇    ざっくり言うと、秀吉と親しくしていた本願寺に勢力があったので、家康が東本願寺と西本願寺に分立させて力を削いだ、という経緯になります。
    本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)で違うところといえば、たとえば本願寺派の仏壇は全体に金ピカだけれども大谷派は黒漆が多用されていたり、お念仏も西本願寺だと「なもあみだぶつ」ですが、大谷派では「なむあみだぶつ」と言うように、細かい差異がけっこうあります。

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前野    なるほど。分かれたのは政治的な理由だったけれども、離れた後に徐々に違うものになった。そういう理解でよろしいですか?

神崎    分かれた経緯について少し補足しますと、1570年から浄土真宗本願寺勢力と織田信長との戦い、いわゆる石山合戦(いしやまかっせん)と呼ばれる戦いがありました。当時の権力者であった織田信長の統治に対して、本願寺が巨大な勢力として反発、対抗した戦いです。
    この合戦は途中休戦も挟みながらおよそ10年続いたと言われています。10年の中で本願寺内では徐々に徹底抗戦派と和睦派とに分かれていき、もはや一つになるのが難しくなってしまった。そこをうまく利用したのが秀吉であり家康だったように思います。
    徳川家康は本願寺を東西に分けて、非常に近い場所に東西の本願寺を配置しました。現在の京都駅から出てまっすぐ行ったら東本願寺。そこから西に少し行けば西本願寺。歩いて10分ほどの距離です。なぜそこまで近くに東西の本願寺を配置したのか。それは東西が互いに監視し合うことにより、意識が幕府に向かないようにするためだったとも言われています。
    家康は士農工商も含め、いろいろな制度によって幕府をだんだん安定させていきましたが、その一つが東西の本願寺の配置だったのだと思います。
    東西本願寺が互いに切磋琢磨する中で、それぞれにいろいろな特色が出てきて、異なるお経の称え方になるなど、いま西脇さんが言われたような違いが出てきた、そのように認識しています。
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築地本願寺にて(左端が神崎さん)(写真提供=神崎修生)
安藤    当時の本願寺は織田信長の最大のライバルになるくらいの強さを持っていたということですよね。一向一揆もそうですが、武力よりも強いもの、平等に結ばれた力みたいなものがあったということですよね。

神崎    そうですね、今でもお寺というのはいろいろな立場を超えて人がつながり合う場です。権力の圧政に対する反発が民衆の中で沸き起こったときに、その核にお寺というものがあったから、こういった合戦が起きたわけです。しかし、じゃあ本願寺がそれを主導していたのかというと、そうとも言えないんですね。「そういうことはやめておきなさい」というような言葉もたくさん残っています。しかし民衆の盛り上がりの中で、だんだん収拾がつかなくなっていった。また信長による比叡山焼き討ちなどを許しておけないという感情もあって、このように大きな戦いになっていったのではないかと思います。

安藤    権力の側からすると、「こいつらをそのままにしておくとまずいんじゃないか」と恐れを起こすような、平等に基づいた、ある種アナーキーなかたちでいろいろなものを組織していくような力を見出していたのでしょうか……。



(4)髪も剃らず妻帯もした親鸞聖人


■なぜ髪を剃らない??

安藤    お二人とも髪を剃られていませんが。

神崎    浄土真宗の特徴ですね。

安藤    浄土真宗のお坊さんはいわゆる「僧侶」ではない、と言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、妻帯と髪の毛を剃らないところが他の宗派と少し違うのかなと感じたのですが。

前野    こうやって全員並べてみるとお二人だけふさふさじゃないですか。

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安藤    そのあたりが異質ですよね。

神崎    わかりやすい特徴ですよね。あるとき中国の方とお話したときに「髪の毛があるのにお坊さんなんですか?」と聞かれて答えに窮したことがあります。法事に行ったときにも、お子さんに「なんで髪があるの?」と言われたりします(笑)。そのときにどう言えばいいのかなと迷うんですけど、西脇さんはどう答えていますか?
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(写真提供=神崎修生)
西脇    一番簡単に答えるときは「だって髪の毛、生やしたいし(笑)」って言っていますけど、もうちょっと真面目なバージョンの時は「浄土真宗のお坊さんというのは偉くないからなんだよ」と答えています。
    髪の毛を剃っているお坊さんは出家して修行しているのだけれども、浄土真宗のお坊さんはそうではない。だから修行した自分の話をすることはあまりなくて、ただ教えを取り次いで阿弥陀様のお話をするだけという立場なんですよね。偉くないし徳も積んでいないから髪を生やしている、ということだと思います。
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神崎    髪の毛を剃るというのは、煩悩や執著を捨てていく一つのあり方ですので、他の宗派のお坊さんは、お坊さんとして剃るべきだという認識があって剃られていたり、あるいは宗派の決まりとして剃っているのではないかと思います。
    もちろん浄土真宗のお坊さんが剃ってはいけないということはなく、剃ったほうがお坊さんらしいですし、お経を称えるときにもありがたいと思われるのは我々自身も認識しています。
    しかし、そもそも実は浄土真宗には髪の毛を剃らなければならないという規定がないんです。なぜないかというと、浄土真宗では、そもそもそういった戒一つも守れない我々であるという思想が徹底してあるからなんですよね。
    親鸞聖人の言葉に非僧非俗(ひそうひぞく)というものがあります。僧侶でもない、俗でもない。そういったところにも浄土真宗の特徴が現れているようにも思います。


■初めて公に妻帯した親鸞聖人

西脇    前回の浄土宗の回で、法然聖人は実はエリートだったからちょっと話しづらいというようなお話をされていたと思います。一方で親鸞聖人は妻帯をして、そして越後に流されて、庶民の方や地方の方と一緒に歩んでいかれました。そういうあり方も髪の毛の話にちょっとつながるのではないかと思いますがいかがでしょうか。

神崎    親鸞さんは公に妻帯しました。その際、法然聖人にご相談なさったそうなのですが、「お念仏を称えられる環境を整えることが一番なのだから、妻を持つことでお念仏を称えられる環境になるのであれば、どうぞそのようにしなさい」と言われたそうです。
    それくらい法然聖人は懐の深い方だったようです。
    当時の僧侶でも、隠れて女性を囲っていたという話はあるのですが、親鸞さんは妻帯して家族を持って生活していくことを公にされました。浄土真宗は宗祖の親鸞さんからずっと血でつながっていて、家族として生活していく中で仏道を歩んでいくということが最初から徹底している宗派であると言えるかと思います。
    浄土真宗以外の宗派も明治以降には妻帯してもよいことになり、今はご家庭を持たれて跡継ぎさんがお寺を継いでいくのが日本のお寺では当たり前のスタイルになっています。

安藤    明治以降ではなく親鸞聖人の時代から妻帯しているというのが大きな特色ですよね。


■妙好人

安藤    鈴木大拙は、自分にとって禅と真──真というのは浄土真宗の真ですけれども──が最も重要な教えだと言っています。そして、最後に取り組んでいたのが教行信証(きょうぎょうしんしょう)の英訳でした。
    それだけではなく、大拙は、浄土真宗に由来する妙好人という存在が自分にとって宗教的な原型のようなものなのだ、そういったことを最晩年はずっと語り続け、書き続けていました。妙好人というのは僧侶ではなく、念仏を称えながら普通の生活をして「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」といった称名を歌などに残したりする人々のことです。この妙好人という存在も先ほどのお念仏が向こうの世界とこちらの世界をつなげるというお話にちょっと通じてくるのではないかと思います。それから鈴木大拙の教えを受けた柳宗悦、民藝という近代日本の芸術運動を組織した柳も晩年、しきりに妙好人を取り上げます。妙好人が、いわばこの日本列島を生き抜いた芸術家の原型になるのではないかとさえ言っています。

神崎    浄土真宗の特徴の一つにご法話がございまして、日本各地にある浄土真宗のお寺ではいろいろな方がご法話を通して阿弥陀様の救いのお話をなさってきました。地域の方々はそういったご法話をとても楽しみにして毎回お寺に集ってくださり、そういう土壌の中で浅原才市さんのような妙好人と言われる非常に味わい深い方が育っていかれました。
    鈴木大拙さんは日本的霊性、いわゆる日本人の根本になっているものとして何か流れているものがあるのではないかと捉えられていると思います。浅原才市さんも「阿弥陀様がはたらいてくださっている」「阿弥陀様がこの私に至り届いてはたらいてくださっている」「南無阿弥陀仏と称えるお念仏も、自分が称えているのだけれども阿弥陀様によって称えさせられているのだ」というような表現をされています。
    南無阿弥陀仏というお念仏は「阿弥陀仏という仏があなたを救いますよ」という阿弥陀様の喚び声であると言われています。南無というのは「帰依する、おまかせする」という意味です。阿弥陀様側から言えば、南無阿弥陀仏は「この阿弥陀仏におまかせしなさい」ということになります。
    阿弥陀様からの南無阿弥陀仏という言葉が届いて、自分の口から「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏が出てくる。自分が称えているのだけれども、実は阿弥陀様が自分に言わせている。二重構造の捉え方を浅原才市はしている。そうしたことを、鈴木大拙さんは言われているかと思います。



(5)さとりへのプロセス


■還相回向

前野    天台宗は「みんなの中に大日如来がある」「すべての人は仏になるもとを持っている」、浄土宗は「死後に救われる」と言われていました。
    浄土真宗の場合はそれがもっと手前にくるわけですよね。阿弥陀様に委ねるという意味では天台宗と真逆のようにも思えますが、でも委ねることで「生きていながらにして救われるのだ、すべての人が救われるのだ」ということは、一周回って同じではないかと感じました。
    大乗仏教というのは、その名の通り大きな乗り物の仏教なので、「みんなが救われるのだ」という意味では、どの宗派にも通底するのかなと思ったのですが、そもそも大乗仏教と上座部仏教の違いはどういうところなのでしょうか。今の解釈でいいのですか?

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前野隆司先生(撮影=横関一浩)
西脇    大乗仏教は自分だけが仏になるのではなく、すべてのものを救うことを目指します。浄土真宗であれば自分がお念仏を称えてお浄土に行ってそれで終わり、ではなくて、お浄土に往った者が仏となって、すべてのものを救うために再び戻ってくる。そういう還相回向(げんそうえこう)という教えがあります。戻ってきてすべての者を救うのが最終目的なのです。
    どんな人をも自由自在に助けられるような身になれる世界。しかもしれを楽しみ喜びとするような世界。それが理想のさとりと考えられている。自利のための利他ではなくて利他のための自利だと私は学んできました。

神崎    お釈迦様の仏教(上座部仏教)と大乗仏教はずいぶん特徴が違うと言われています。
    まず、お釈迦様の仏教とは、さとりに至ったお釈迦様をモデルにして、同じように出家して瞑想に没頭する出家仏教です。お釈迦様当時の出家は生産活動を一切せず、ひたすら瞑想修行に励んだと言われます。田畑を耕すことも、何か商いをすることもありません。その代わり托鉢に行き、信者の方にいろいろなものをお布施していただきます。
    おそらくそれは安定的な時代には可能だったのだと思います。しかしインドも混乱期に入りますと、そういった出家仏教がだんだん難しくなってきました。そして、一部の限られた方による出家の仏教ではなく、一般的な生活を送りながら皆が等しく救われていく道はないのかと模索した上で生まれてきたのが、大乗仏教だと言われています。
    大乗仏教において「みんなが救われていく」のは共通している部分だと思いますが、救われていくための方法はそれぞれ異なっているように思います。
たとえば浄土真宗や浄土宗の場合は、阿弥陀仏という仏様によって救われていきます。
一方、他の宗派の場合は、過去生で「私は仏になりたいのです」と仏様に誓い、「きっとあなたはなれますよ」と言われているので、いい行いをすれば仏のさとりに至ることができるとする考えがあります。仏性(ぶっしょう)という仏になる種を持っているのだから、それを磨いていけばいいのだ、ということが強調されているわけです。
    浄土宗や浄土真宗の場合は、過去生で仏に会っていないんです。だから信心や念仏を通じて阿弥陀仏に遇って、これから仏になる種をいただいていくと考えるのです。
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信行寺での法要の一シーン(写真提供=神崎修生)
安藤    親鸞聖人も天台に学んだ人なので、外から導かれて未来の仏の可能性に到達していくという方向性、現状を変えていく力が未来からやってくる、そういうタイプの捉え方になっていくのかなと思いました。素人考えですけれども。

神崎    大乗仏教では「過去生において仏様に会った」という思想がメインだと言われますが、浄土真宗では「今、浄土という場所に仏様がおられる」と考えるんですよね。過去ではなく今別の場所にいる。パラレルワールドと言ったりしますけど、そういう捉え方が特徴かもしれないですね。


■社会運動に積極的な浄土真宗

安藤    日本の仏教の中で、キリスト教的な世界観と一番近いのが浄土真宗なのではないかと思います。ただ、キリストの神と阿弥陀如来が同じだと言っているわけではありません。彼方にいる存在と私たちとの関係ということでの完全な平等性と、それから未来に何か実現すべき世界があるというようなところが共通しているのかなと思います。だからこそ、社会改善といった点で浄土真宗に属する方々の果たしてきた役割は非常に大きくて、それが悪人正機といったことにも通じているのかなと思います。近代日本思想を紐解いていっても、浄土真宗系の人に社会活動家がかなり多いような印象を受けるのですけども、そのあたりいかがでしょうか。

神崎    それぞれの時代で苦しんでらっしゃる方と共にあったのが浄土真宗のお寺であった、ということは言えると思います。お寺に集う方々が抱えている問題意識がお寺の課題意識にもなったと思いますね。
    一方で、親鸞さんはとても正直な方だったので、いくら利他的な考え方をしようと思っても、自分中心の考え方が混じってしまう。そんな自分は到底他人を救えるような人間ではない。そういう気持ちもあって、社会課題と向き合いながらも、「自分にそのようなことができるのだろうか」という葛藤は常にあったのではないかと思います。
    だからこそ、「阿弥陀様という仏様に最終的には救われていくんだ」「阿弥陀様が我々の依りどころなのだ」という思想が一番の核になったのだと思いますが、それだけでもいけないということで、浄土真宗は様々な社会活動の関わってきたのではないかと思います。

西脇    仏教の大学で、自分の行動を迷ったときには阿弥陀様の「決して見捨てない」という教えに照らし合わせて考えてみなさいと教わりました。ですから浄土真宗が社会課題の解決、不平等の解決につながるのも自然なのかなと思います。
「浄土真宗を一回知ると、自分が何かいいことをしても何かもやもやが残る」と仏教の学校の先生が言っていました。私自身も実感がありますが、何かいいことをしても「自分がやった」という気持ちが残ったり、誰かのためにやったつもりでも実際その人を傷つけていたり、本当の善はなしきれないのですよね。
    でも、なしきれないところから何をするのかというのも大事なのかなと思います。
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テンプルモーニングの活動をされる西脇さん(写真提供=西脇唯真)
神崎    浄土真宗が人助けを否定しているわけではありませんが、「本当にそれでいいのか」「自分の思いがやっぱり混じっているのではないか」と、常に問いかけられているような気はしますね。

安藤    ある意味では親鸞という人はすごく正直な人なのですよね。

神崎    そうですね。正直な人だったと思います。

安藤    絶対に欲望などを消滅させることはできないし、悟りも実は存在しないのではないかという疑いの中で、逆に信の問題はどういうところに立てられるのか、とても考え抜いた人です。ですから、ひょっとしたら日本の仏教者の中で一番正直な人だったのかもしれないと感じました。
    今日のお二人のお話の特徴としては、「何が正しい」とか「何が善である」などとは決して言えないし、言った瞬間に終わってしまうということだったと思います。だから親鸞は妻も家族も持ったし、最後まで悟りきれないから、髪の毛も剃らなかった。ひょっとしたら「出家すれば救われて修行すれば悟りを得られる」といった仏教の考えそのものを壊してしまうようなところもあったのかもしれないと思いました。だから逆に親鸞という人が現れ、そしてその親鸞が残した言葉が、ここまで強く伝わったのかなとも思うのです。
    今日お二人が「絶対に迷いは捨てられない」と繰り返し仰っていることが、まさに親鸞その人の教えなのかなと感じられました。仏にはなれないけれども仏からの何かを受けながら、人と人とが関係を結んでいく。そういったことが重要なのではないか。そうぼんやりと見えてきました。

神崎    そうですね、親鸞聖人は罪とか悪の意識が非常に強い方だったと思います。お父様は政治絡みのことで要職を外されて、親鸞聖人も男性のご兄弟も全員がお寺に預けられなくてはいけませんでしたし、京都の街中にはそこら中に死体があるという状況で、生きるとは何なのか、死んでいくとは何なのか、正邪や善悪とは何か、そういうことがずっと問いとしてあったのではないかと思います。



(6)未来の生き方の鍵になる大いなるものの視点


■委ねる仏教と律する仏教

前野    鈴木大拙は禅宗の人として知られているけれども、実は禅宗と浄土真宗と両方に親和性があったという話がありますよね。
    僕の浅い理解では、江戸時代の武士には禅宗が結構広まっていた。なぜなら武士は自分で自分を律することによって探求する仏教が向いていたから。一方で平民、平民という言い方も間違いかもしれませんけど、平民は、「南無阿弥陀仏」と身を委ねる感じが向いていた。そういう階級だったというと言い過ぎかもしれませんが、実際、禅宗と浄土真宗が広まった層は違いますよね。
    そういう歴史的背景もあるので、浄土真宗は委ねる仏教、禅宗は律する仏教だと思っていたのですが、鈴木大拙が両方にまたがっているというのはどういう感じなのですか?

安藤    前野先生とまったく同じように、大拙も「禅は修行という論理的なもので悟りを開く、論理という智慧の宗教なのだ」と言っています。ただ宗教は論理だけではなく、人と人との付き合い、もしくは人と超越者との付き合いという情の側面もあって、それはまさに念仏を称えることによって身近に迫るものなのだとも言っています。
    日本的霊性には二つの柱があるのだと大拙は言います。一つが禅でもう一つが浄土の教えなのだ、と。宗教が大地に降りてきたのはおそらく鎌倉時代で、法然が現れ親鸞が現れ、栄西と道元が現れ、仏教における論理的な側面と情的な側面が完全に民衆に受肉された。それが大拙の理解です。


■家の宗教と個人の宗教

前野    過去生でブッダに会った気がしない人は浄土真宗を学べばいいし、もともと浄土真宗だけれども学んでいるうちに、ブッダの種が分かってきた気がする人は他に宗派に移ればいいのでしょうけど、そうはできない世の中になっているじゃないですか。このような場合にはどうするのがよいのでしょうかね。

神崎    家の宗教と個人の宗教は分けて考えてもいいのかなと思います。家の宗教というのは場所に依存する宗教です。世界の90%以上の人の宗教は生まれた場所に依存していると言われています。中東に生まれたら中東で行われている宗教に、ローマに生まれればそちらのほうの宗教になるわけです。
    ですから家の宗教があっても、個人で大切にするものを選んでいいのではないかと思いますし、実際一部の方はそのようにしていらっしゃると思います。

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神崎さんが勤められている信行寺(写真提供=神崎修生)
前野    なるほど。うちは家が浄土真宗ですけど、「お坊さん、教えて!」で他宗派についていろいろ学ぶうちに、それぞれの宗派の違いと良さがわかってきました。
    家では代々続く宗派を学ぶけれども、別の宗派の考え方もなるほどという理解をする。そういうあり方は豊かであるような気がしますね。

神崎    今は情報化社会でいろいろな情報にアクセスできますので、仏教を「生きる智慧」として学ぶのでもよいと思いますね。救われていくという方向性だけではなく、「よりよく生きる」とか、そういう方向性で仏教を見ていくのも大事な視点だと思います。


■生かされているという感覚

安藤    阿弥陀仏という人間社会を超えた力によって生かされているという思考はこれから益々大事になってくるのではないかと思います。人間が人間を支配したり、人間が自然を制圧したりするような思考を根本から変えていくときに、今日お話していただいたような他力──自力で生きているのではなく何かによって生かされているという感覚──が必要になってくるのではないか、と。戦争もパンデミックも、人間が人間のことを考えているだけでは絶対に解決できなくて、何か巨大なものによって生かされているという感覚を甦らせないと根本から解決できないのではないかと思います。

神崎    阿弥陀仏とか大いなる存在と言われると、急に自分には関係のないことのように思えるでしょうし、過去生というのも今の現代社会においてはなかなか理解しづらいと思います。ですから、親鸞さんを宗祖ではなく一人の思想家として、何をどのように考えた人だったのかと見るとよいのではないかと思います。
「善悪について、自分はまったくわからない」、親鸞さんはそこまで言い切りました。常に煩悩があって、常に自分中心の思考で物事を見てしまう。だから自分に善悪なんてわかるわけがない。でも阿弥陀様ならわかる。そういう大いなるものの視点を大事にされていたのです。
    人間中心となった近代以降、戦争や地球環境問題などが大問題となっています。人間中心主義的なあり方で本当にいいのか。自分が良ければいい、自分たちだけが良ければいいという近視眼的なありかたで本当にいいのか。そこを転換していくときに、大いなるものの視点が一つポイントになってくるのではないかと、私も非常に思います。

西脇    受験勉強をしていたとき、「成績がいいのって運だよな」と友達がつぶやいていたのを聞いて、「そうじゃないよ、努力だよ」と思ったのですが、浄土真宗を学ぶようになって、自分がやってきたことの裏側にあるものの存在に気づけるようになりました。自分の力で生きているだけではなく、大きなものに生かされていることに気づけるようになったように思います。すべてが運であるとまでは思いませんけど。
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お寺に来られた方と語り合う西脇さん(写真提供=西脇唯真)
安藤    前野先生はビジネスの世界にも精通していらっしゃいますが、自己評価型といいましょうか、自分の力だけで評価される会社ってギスギスしてくるじゃないですか。絶対に幸福になれないですよね。自己評価は絶対になくなりませんが、自己評価だけの社会は今後絶対に成り立っていかず、何か自分を超えた力によって物事が動いていくという感覚がないと益々難しくなっていくのではないかと思います。
    おそらく大乗仏教にはそうした感覚がまだ生きていて、いまもう一度そうした感覚を取り戻す必要があるのではないかと思います。自分一人で生きているのではなく、何かによって生かされている。自分はたった一人の人間で、他の人間と全然差別がなくて、阿弥陀という巨大な力によって生かされている。親鸞聖人が提示したそのような世界観がいままさに必要だと思うのです。西脇さんが受験勉強の話をされましたが、努力だけが報われるのだったら、どんどん他人を蹴落としていくような社会になっていきますよね。そうではなくて、巡り合わせとか運とか、自分を超えた何かの働きによって生かされていると考えたほうが人間関係は良くなると思いますし、自分の思い込みも破壊されて生きやすくなるのではないかという気がします。


■他力について

安藤    他力ということはどういうことなのか。そもそも本願というのはどういうものなのかについてお聞かせいただけますか?

神崎    他力本願というと、一般的には人まかせという感じであまりいいニュアンスでは使われないと思います。
    浄土真宗は決して努力を否定するものではありません。日常の努力とさとりに至るための行(行為)を分けて考えていまして、まず日常的な努力については必要であると考えています。しかし、さとりに関しては自分の力で何かしてもなかなかさとりにつながらない。だから阿弥陀様の救いにおまかせしていく、それが他力本願のベースになる考え方です。
    他力の「他」は他人の「他」ではなくて阿弥陀仏のことで、「他力」はすなわち「阿弥陀仏の力」。本願というのは「あなたを救いますよ」という阿弥陀様の根本の願いを表しています。つまり他力本願とは「阿弥陀様の救いのはたらき(力)と、救おうという願い」のことであり、それにおまかせしていくことを表す言葉です。
    自力(さとりにつながるような行を自分の力で行っていくこと)ではさとりに至れなかった親鸞さんは、他力におまかせしていかれたのです。



(7)自他一如の境地を目指して


■往相と還相

安藤    行って戻ってくるという「往相(おうそう)」と「還相(げんそう)」という言葉がありますよね。一般的な浄土教では向こう側に生まれ直すことが最大の目標になると思うのですが、向こう側に行ったきりではなくて向こう側から戻ってくる。それから「横超(おうちょう)」、横向きに超えるという言葉も大変印象的です。このあたりについても、少しお聞かせいただけたらと思うのですが。

西脇    往相と還相はどちらも阿弥陀様のはたらきで、仏様のほうから見たら往相と還相は一緒に成立するのですが、人間の側から見たら一度やっぱりお浄土に行かなければ還相もない、私はそのように教わりました。

神崎    阿弥陀様のお力によってお浄土という仏様の国に生まれさせていただく。そうしたあり方が往相です。お浄土に生まれると仏になる、すなわち成仏するわけですが、ここでいう「成仏」は人が亡くなったときに「お成仏しました」というような一般的に言われる成仏ではなくて、「人々を救おうとされる方になる」という意味です。
    仏となり、そしてまたこの世に還って、人々を救うはたらきをする。そうしたあり方を還相といいます。
『歎異抄(たんにしょう)』には、自分が先に仏となって今生でご縁のあった方々を救い導いていく、そういうような親鸞さんの言葉も残されています。この世で生きることだけにとどまらない、そういった世界観があると思いますね。

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信行寺門信徒の方々と(写真提供=神崎修生)

■阿弥陀如来と真如

前野    上座部仏教には阿弥陀如来や大日如来という存在は出てきませんよね。上座部仏教はブッダとブッダの哲学だけでとてもシンプルであるのに対して、大乗仏教はスーパーネイチャーの存在が出てくるところが「宗教らしい」印象があります。我々サイエンティストから見ると、阿弥陀如来というのは架空の存在なのではないかと思ってしまうところがありまして。
    阿弥陀如来や大日如来を「利他の象徴」であると仮に仮定すると、それが自分の中にあると考えることによって元気を出させるのが大日如来である。一方で、自分の中にあると考えると自分で頑張ろうとしすぎちゃったり反省しようとしすぎちゃったりするから、外にあることにして気を楽にするスタンスが阿弥陀如来である。そういうふうに如来も菩薩も比喩だと考えれば、上座部仏教とも科学とも、まさに幸福学とも重なっているように感じます。
「南無阿弥陀仏と言えば救われるんだよ」というのは「大丈夫ですよ、今のままでいいんですよ」「もう宇宙がそれでいいと言っているし、世の中の関係性で生きていくだけだから安心していいんですよ」と、幸せの条件の中の「なんとかなる因子」とか「ありのままに因子」を突き詰めた結果の象徴ではないかというのが私のサイエンス側からのイメージなのですが、そう考えてもよいのでしょうかね?    よいのでしょうかね?って聞いても駄目なものは駄目かもしれないんですけど(笑)。

西脇    阿弥陀様というのは限りない光と命の仏様です。阿弥陀様は私たちにはなかなか理解し得ないさとりの世界、真如(しんにょ)の世界を私たちにもわかるように出てきてくださった存在です。しかも人格を持った存在として出てきてくださったことによって、すごく情に響いてくるものがあるのではないかと思います。
    昨年、仏教の学校に通っていたときに、細かいお経の作法がうまくできなくて「なんでこんなことをやらなきゃいけないんだろう」と暗い顔をして学校に通っていた時期がありました。できないことに拗ねて、あるとき一日休んだら、その翌日に何も言わずにそっとノートを見せてくれて、優しく練習に付き合ってくれた友人がいました。その気持ちに触れたとき、すごく自分が小さかったことに気づき、またここまで優しくしてくれることにありがたさを感じました。
    阿弥陀様もそういうふうに常に気づかせてくれて、常にずっと見捨てないでいてくださる存在だと思います。常に自分を見つめていてくださって、気づきを与えてくださって、「ああ、よかった」「ありがとう」という気持ちを思い起こさせてくれる存在だと思います。
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神崎    現代人は基本的に科学的に物事を捉えますので、阿弥陀仏と言われてもよくわからないのは当然だと思います。我々浄土真宗の僧侶自身も、最初は「阿弥陀仏の救いのはたらき」と言われても全然ピンとこなかったという方もおられると思います。ですから、阿弥陀様の絵や仏像という「形」を通して、捉えようとしたりするわけです。
    もう一つ、仏様というのは、真如法性(しんにょほっしょう)と言って、さとりそのもの、真理そのものであるという考え方があります。我々は「この人はいい人だ、この人は悪い人だ」とか、「これは自分にとって得だな、損だな」というように、何を見ても自分中心の視点から逃れられません。しかしそういった自分中心の思考を超えるような、自分と他者との境界を超えるような仏のさとりがある。そのことを自他一如、そして真如というふうに表現するのです。
    人間にはなかなか捉えようがない大きなものがあって、それがあることで、我々は自分中心の考え方から少しでも離れようと努力することができる。努力しながらも、それができない自分に気付かされるわけですが、しかしだんだんと自分だけがよければいいという価値観とは別の生き方になっていく。そういうところはあるのではないかと思います。

安藤    鈴木大拙は真如を英語でsuchnessと訳しています。これが英語の定訳になっているのですけども、おそらく大拙が最初に訳したのではないかと推定されます。この訳からも分かるとおり、無限の光と無限の時間を体現する仏があるがままにあって、その働きによって我々は今こうある。そういうことが言えるのではないかと思います。

神崎    その「あるがまま」を親鸞さんは自然(じねん)と表現されていますね。

安藤    大拙はそのことも踏まえた上でsuchnessと訳したのだと思います。


■おわりに

前野    私は幸福学という現世で幸せに生きるための学問をやっています。幸せの学問は世界中にあって、「利他」や「人と共にいる」こと、あるいは「自分が自分が」ではなく「委ねることで幸せになる」といったことや「今ここにいることで幸せになる」など、研究によっていろいろなことがわかってきています。そういった中で、仏教の考え方は日本から幸福学を伝えるときの一つの思想のベースになるのではないかと思っています。
    私は家の宗教が浄土真宗なので他力本願については元々わかっていたつもりでしたが、今日はお二人から繰り返し教えていただいてとても腑に落ちました。今すごく満足しているのですが、聞いてくださった皆さんはいかがでしたでしょうか。
    自分の中に仏性があるという考え方もいいなあと思いつつ、ないと考える親鸞の潔さもすごいなあと思います。どちらが正解かという問題ではなく、自分がよりよく生きて、よりよく人生を終えられるためのいろいろなバージョンがあって、それ全体として日本の大乗仏教であり、上座部仏教も含めて仏教の大きな考え方なんだろうなあなんて思いながらお聞きしていました。
    最後にお二方から一言ずつお願いいたします。

西脇    今日は私の拙い話を聞いていただきありがとうございました。貴重な機会をいただきました。

神崎    今日はありがとうございました。抽象的な話を伝えるのは難しいなとあらためて思いました。また、日頃ここまで仏様の話ばかりをすることはありませんので、貴重な機会をいただいたなと思っております。
    人生を生きる中で、思うようにできなくて挫折したり、老いていろいろなことができなくなったり、病になっていろいろなことを諦めざるを得なくなる。あるいは大切な方との別れを経験したり、人間関係で悩んでしまったりする。そういう絶望や挫折の中で、「大丈夫だよ」と温もりを与えてくれる存在が仏様なのだと思います。
    こういったことを普段お寺ではお伝えしているのですが、今日はその仏様そのものについてダイレクトにお話させていただきました。私も拙くてなかなかお伝えし切れなかったと思いますけども、今日はこのような機会をいただいて本当にありがとうございました。

安藤    「お坊さん、教えて!」ではいつも実践の立場からお答えをいただけるので、とても勉強になっております。阿弥陀如来という大きな存在があるということが、おそらくこれからの世界や社会を考えていく上で、大変に重要になるのではないかと思っています。今日は貴重な機会をありがとうございました。

前野    次回は時宗から朝野倫徳(阿弥陀寺)さんと長澤昌幸(長安寺)さんをお迎えしてお送りします。その後、曹洞宗、臨済宗と続いていきます。「お坊さん、教えて!」も終盤に入ってまいりました。引き続きご期待ください。

(了)


2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年8月30日    オンラインで開催
構成:中田亜希


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