日々、おいしいものを食べて、栄養もたっぷりととれれば幸せ、というのでは、人間の幸せとしてはまだ十分ではありませんよね。それを他の人たちにも振り分けて、一緒に喜んだり、学んでいったりして、幸せを共有していく。それを仏教語では「随喜」と呼んでいます。
プラユキ・ナラテボー(タイ上座仏教僧侶)
(サンガジャパンVol.11 篠浦伸禎氏との対談「悩み苦しみなく生きるための、仏教と脳科学の出会い」)
※肩書は掲載時
2024/11/07 07:00
日々、おいしいものを食べて、栄養もたっぷりととれれば幸せ、というのでは、人間の幸せとしてはまだ十分ではありませんよね。それを他の人たちにも振り分けて、一緒に喜んだり、学んでいったりして、幸せを共有していく。それを仏教語では「随喜」と呼んでいます。
プラユキ・ナラテボー(タイ上座仏教僧侶)
(サンガジャパンVol.11 篠浦伸禎氏との対談「悩み苦しみなく生きるための、仏教と脳科学の出会い」)
※肩書は掲載時