【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「子供を叱る時に気をつけること」です。
[Q]
子供を叱る時は、何に気をつけたらいいでしょうか?
[A]
■「叱る」という単語を忘れること
「叱る」という単語が間違っています。その単語は忘れてください。やってはいけないことをやってしまって、それを正当化するために「叱る」という単語を使っているようです。
昔からそうですが、人間は悪いことをやって、それを誤魔化すためにカッコいい言葉を作るのです。例えば、人を殺しておいて、それは「過剰防衛」であるという。何であれ、それも人殺しになります。
■オーワーダとアヌサーサナー
パーリ語では「オーワーダ(ovāda)」「アヌサーサナー(anusāsanā)」という二つの単語があります。
私たち僧侶はこの二つをいつでもやっています。葬式でもやっています。みんなすごく喜んでくれますが、言った通りにはやってくれません。そんなものです。
オーワーダというのは、英語で言えばアドバイスのことです。アドバイスする場合、私たちはやってはいけないことを先に教えてあげるのです。本人はまだ失敗していません。しかし、失敗したら困りますから、先に「こういうことをしたらどうなるか」「気をつけなさい」と教えてあげるのです。危険から守ってあげるためにアドバイスをします。
アヌサーサナーの場合はもっとポジティブです。本人が良く頑張っている時、より良くなってもらうために、「こうするべきですよ」と教えてあげるのです。
オーワーダは「こうしてはいけません」「ここに気をつけなさい」と、アヌサーサナーは、「ここはこうやった方がもっと上手くいきますよ」「この場合はこうやった方が良い」とやり方を教えてあげるということです。
やってはいけないことや、〝生きる途中でどこに危険があるのか〟を教えてあげるのと、〝生きる上でより良い道案内をする〟という二つのやり方があるのです。その場合はしゃべり方・言い方も変わります。ですから、「叱る」のような一つの単語には収まらないのです。
■「叱る」とは感情的な怒り
では日本語の「叱る」という単語の意味は何でしょうか? もしかしたら皆さんも知らないかもしれません。質問した方も自分が叱っていると思って怒っていたのでしょう。怒りたくないでしょう。ですから、怒らなくてもいい叱り方を訊いているのです。結局、叱るといって怒っただけなのです。
ということで、世の中にある「叱る(感情的に怒っている)」ということはあってはならないのです。私たちは小さな子供であろうが同じ仲間です。先輩/後輩という差がありますし、経験済み/未経験という差もありますが、その中ではお互い仲間ですから、必要なのは「これはやってはいけないよ」「これはこうですよ」と先輩として教えてあげることなのです。子供が失敗したら、「コラッ、何をやっているのか!」ではありません。そうすると感情で叱ったことになります。
例えば、子供がそこら辺にある植物を蹴って傷つけているとしましょう。親が「何をやっているの!」と叱ると、子供は「見えないの? この花を蹴ってるんだよ」と答えてそれで話が終わってしまいます。さらに親がカンカンに怒ってしまい、子供の態度に逆上する羽目になってしまいます。この「何をやっているの」という言い方は全く意味の無い言葉なのです。
■「ダメ」「止めなさい」もケースバイケース
人間というのは本当に面白いのです。しゃべってはいても殆ど意味をわかっていません。意味がわからないことをしゃべっていれば相手に通じないのは当然です。何もコミュニケーションしていないことと同じですからね。「何をやっているのか」という叱る言葉には何の意味もありません。それよりは「やめなさい」と言った方がいいのです。簡単でしょう。
しかし「やめなさい」とは指令ですから、それもあまり良くないのです。仲間ですからね。仲間同士で指令・命令するというのは良くありません。ですが時間が無い時は「ダメ」「やめなさい」と言わなくてはいけません。時と場合によりますね。
例えば、子供が楽しそうに蹴っているものの上に重い荷物が乗っている。もしその荷物が落っこちてきたら大変です。その時子供に「これを蹴ると上にある重い荷物が揺れて、あなたの頭の上に落ちて来るから、そうすると大ケガするか死ぬかもしれません。だからよく理解して行動してください」と言っている間に、子供が死ぬかケガをしてしまうかもしれません。その場合は時間が無いわけですから「すぐやめなさい!」とびっくりするような大声で言わなくてはいけません。相手がびっくりするような声を出したからと言って、怒る必要はありません。イントネーションを変えるだけです。演技をするのです。
■叱り方ではなく、コミュニケーションを学ぶ
生命というのは、言葉のトーン(調子)に反応します。このトーンの中に伝えたい本当の意味が入っているのです。例えばカラスはカァーカァーと鳴くでしょう? その鳴き声にいろいろなトーンのバリエーションがあるのです。上げて下げたり、下げて上げたりとか。それぞれコミュニケーションをするための何かがあるんですね。
ですから、叱り方ではなくトーンにも気をつけること。感情的に怒ってしまうのでは始めから間違っています。あるべきなのは「オーワーダ」と「アヌサーサナー」です。アドバイスという言葉にはその両方の意味が含まれます。「注意」と「やり方」の両方を教えてあげるのです。
例えば、子供が包丁を手に取ろうとしたら親が怒鳴りつける。それで叱れたと思ってしまいますが間違いです。親は「こんなふうにしっかり握れる?」と見せ、「まだできないでしょう。指を切ったりすると危ないから、もう少し大きくなって包丁が握れるまで待とうね」と教えてあげる。この時は「やめなさい」ではありません。親が教えてあげることで脳も成長します。親の言葉によって子供の脳が成長し、判断力が上がるようになるのです。
叱ることでそうなりますか? 叱られると嫌な気持ちになって委縮するだけです。これは子供にとってすごく苦しいことです。子供は親のことが好きですから、その親にいじめられるとどうすることもできなくなってしまうのです。それで判断能力がすごく低下するのです。
ということで「正しい叱り方」ではなくて、「子供との正しいコミュニケーションはどうすればいいのか」と言葉を替えてみてください。そうすれば、あなたにも道がわかってきます。叱るというのは間違いで、正しくはコミュニケーションです。データ通信なのです。
■「子供たちが間違ったことをやる」というのは偏見
私たちは基本的に「子供たちが間違ったことをやっている」という錯覚・偏見を捨てた方がいいのです。子供たちは一度だって間違ったことをやっているわけではありません。それは親の偏見です。子供がやっていることをいろいろな角度から見れば、「ちょっとそれはどうかな?」というケースはありますが、間違っているわけではありません。
例えば、講演会をやるホールで子供がキャーキャー言いながら走り回ったとしても、その子供が間違ったことをしているわけではありません。広くていい場所だから、ちょっとふざけて楽しもうと「正しいこと」をしているのです。しかし、そうなると周りの人とトラブルが起きてしまいます。とはいえ「何をしている! 静かにしろ!」という言葉は子供に通じません。
そこで言うべきなのは、「ちょっとうるさくて、私たちが勉強できないんだけど」とそれだけです。あるいは「私たちに勉強させてくれませんかね?」と言うと、子供たちも一人前に「やらせてあげましょう」ということで、自分たちで判断して、走り回る代わりにどんな遊びをしようかと考えるのです。「コラッ、何をするの!」と叱ってしまうと、これは子供の成長の上に大きな石を落すようなものなのです。
■正しいアドバイスは一生の糧になる
私たちはいつでも理性を持って「生命は誰であろうとも皆同じ」という気持ちで、「誰でも叱られるのは嫌だ、指令・命令されるのは嫌だ」ということを理解して、別な世界を作らなくてはいけません。
私の簡単なやり方はどんな出来事も〝漫才のようにする〟ことです。ちょっとした冗談のように、その瞬間に作るのです。面白い話にした方が効率がいいのですよ。そのように教えられる言葉というのは、人間の一生の糧になります。感情的に叱られてもすぐ忘れますから。
親に言われたある一言を、一生の糧として守る場合もあります。それは、親が怒ることも無く、「こういうことだよ」「こうしなさい」と教えた一言なのです。その一言が人の一生を決めるのです。感情的に怒って、うかつに叱ったり怒鳴ったりするということは、恐ろしい結果になります。
ですから、何でもちょっとした冗談やユーモアを交えて言えば、叱る言葉もすごく優しく緩和されていくのですね。
冗談などを交えて工夫してしゃべるというのは、学ばなくてはいけない人間のコミュニケーション能力です。言葉はすごく気をつけて、上手に・巧みに使わないといけません。誰でもしゃべっているのだから「私には上手に話す能力が無い」と言い訳することはできません。
こちらが言うことを相手に楽しく理解してもらえるようにする工夫が肝心なのです。なぜ冗談などの笑いが必要かというと、脳が新たにデータを受け取るのは楽しい時だからです。脳がオープンになって「じゃあ聞こう」という気持ちになるからです。楽しいと感じると脳内にも化学物質が現れて、それで脳は成長できます。その新しいデータは整理整頓されて、次の行動に使えるようになります。大人の場合も同じことです。
■まとめ
結論を言うと「叱る」ことは間違いです。危険だということを教えてあげる、それから、やり方を教えてあげる、という二種類の方法が必要なのです。それも面白おかしく相手にプレゼンテーションできれば何の問題も無く理解してくれます。そんな程度です。
まずは「子供が悪いことをやる・間違ったことをやる」という偏見を捨ててください。子供は親の前ではわがままなので、親はすぐ誤解してしまいます。親と一緒にいる時はわがままでも、親と離れるとしっかりと言われた通りにやりますよ。ですから心配する必要はありません。
■出典 https://amzn.asia/d/7WdgB4T