〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
川野泰周(神奈川県林香寺)
白川宗源(東京都廣福寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」もいよいよ最終回。臨済宗の川野泰周さん(林香寺)白川宗源さん(廣福寺)をお迎えしてお送りします。
慶應義塾大学医学部をご卒業され、日本で唯一の精神科医兼禅僧として、禅や仏教の瞑想をもとにしたマインドフルネス実践による心理療法に取り組む川野さん。修行仲間である白川さんは早稲田大学のご出身。現在は複数の大学で中世禅宗史、日本文化史を教えられており、こちらもたいへんな学究肌でいらっしゃいます。今回はこのようなお二人に臨済宗の特徴から「坐禅とマインドフルネスの関係」、「坐禅をすれば悟れるのか?」といったお話まで、軽快に語っていただきます。
「お坊さん、教えて!」の最終回、どうぞお楽しみください。

(1)僕たちがお坊さんになったわけ


■2011年入門の修行仲間

前野    皆さん、こんにちは。「お坊さん、教えて!」も最終回となりました。慶應大学の前野です。

安藤    多摩美術大学の安藤です。よろしくお願いいたします。

安藤    最終回は臨済宗から川野泰周さんと白川宗源さんに来ていただきました。仲良く一つの画面に出てくださっています。自己紹介をお願いいたします。

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修行仲間の川野さん(右)と白川さん

川野    臨済宗建長寺派林香寺(りんこうじ)で住職をしております川野泰周(かわのたいしゅう)と申します。
    今日は建長寺の専門道場で3年半修行を共にした仲間であり、私がいつも頼っている心強き友人でもある白川宗源(しらかわそうげん)さんと一緒に出演させていただきます。

白川    東京都昭島市の臨済宗建長寺派廣福寺(こうふくじ)で副住職をしております白川宗源と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

前野    修行仲間ということは、川野さんと白川さんは同い年なんですか?

川野    私のほうが5つか6つくらい上ですが、たまたま同じ時期に修行をした同期なんです。臨済宗の修行道場「僧堂」では、修行の同期のことを「同夏(どうげ)」と言います。
    ただ、同夏と言っても僧堂では山門(道場の入り口の門)を一歩でも早く跨いだ人間が上の位なります。白川さんのほうが――いつものように以降は「宗さん(しゅっさん)」と呼ばせていただきますが――宗さんのほうが早く入門しましたので、4つも単1(たん)が上なんです。同期6名のうちのトップバッターが宗さんでした。

白川    私は2011年4月1日に入門しました。

川野    私は4月26日に入門しましたので、3週間の差です。3週間の差というのは非常に大きいものなんです。

前野    そうなんですね。

川野    私は単が上の仲間が4人もいましたから、彼らがやったのを見てやればいいのでずいぶん楽でした(笑)。

前野    4月1日に入門したら一番になるかもしれない、ということもわかった上で白川さんは4月1日に入門されたのですか?

白川    一番になるかもしれないとは思っていましたが、きりがよいので深く考えずにその日に入門しました。川野さんは──以降はいつものように「泰さん(たいさん)」と呼びますけれども──泰さんはちゃんとした理由があって遅く来たんですよね。

川野    そうなんです。私は精神科医として臨床を直前までやっていたために少し遅い入門となりました。
    2011年の4月といいますと、3月11日に起きた東日本大震災の傷跡がまだ大きく残っていた時期です。私は「世界の医療団」というボランティア団体の一員として、岩手県の大槌町で1カ月ほどボランティアの精神科医として被災者の方々への傾聴や診察にあたっていました。それが終わってからの入門となりましたので、少し遅くなったのです。
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2011年被災地にて。前列右が川野さん(写真提供=川野泰周)

    今考えてみると、もし私が早く入門できていて一番上だったとしても、とても宗さんのように機敏には動けなかったなと思うので、なるべくしてそういう順番になったのかなと思っています。


■日本で唯一の禅僧+精神科医

前野    「お坊さん、教えて!」ではいつも生い立ちからお聞きしています。川野さんは林香寺のご住職ということは、もともと住職の家系だったのでしょうか? 子どもの頃はどんなお子さんだったんですか?

川野    私は林香寺の一人息子として生まれました。一人息子ですから私がお寺を継ぐか、あるいは他の方に入っていただいて林香寺を継いでいただくかという選択肢しかなかったのですが、先代も先々代も、つまり父も祖父も――二人とももう他界していますけども、とてもお寺を大事にしていたんです。祖父は地域の檀家さんから慕われた川野清吾という和尚で、そういうおじいちゃんのあり方を見て「ああ、お寺を守っていくのって楽しそうだな」と小さい頃から思っておりました。
    祖父は私が7歳のときに亡くなり、父が住職になりました。父は檀家さんと交流するよりも本堂の隅の暗がりで一人坐禅をしているようなタイプでした。子ども心に坐禅をしている父の後ろ姿がミステリアスで、何かとても深いことに向き合っているのではないか、そんな感じがしていました。
    そういう好奇心もあって、私自身はお寺を継ぐということにほとんど疑問を持たなかったように思います。
そんな父は若い頃から重度の持病を持っており、治療の甲斐なく私が17歳、高校3年生のときに亡くなりました。
    お寺を継ぐことに対して葛藤はなかった私ですが、実際に修行に入るまでにはだいぶ回り道をしました。というのも、人の心のあり方というものをより知った上で、お坊さんになりたいと思ったからです。
    高校時代の私には「坐禅をして何になるのか?」という率直な疑問もありました。ですから坐禅というものが人の心にどういう効能をもたらすのかを理屈で解明したいと思って、まずは医学の道で精神医学を専攻することにしたのです。
    そんなこんなで医学部で6年、精神科医として6年間臨床に従事した後に入門しましたので、新卒で入ってこられた修行僧の皆さんよりも8年遅れ、30歳での入門となりました。

前野    なるほど。22歳で大学を出て入門される方が多いのですね。

川野    ひと昔前は高校を卒業して入る方も多かったのですが、最近は大学を出て22歳で入られる方が多いですね。

前野    大学は慶應の医学部ということですが、高校も慶應だったのですか?

川野    私はSFC(湘南藤沢キャンパス)に中等部(中学)が設立されてから2期生にあたります。上級生が1学年しかいない中学に入学しました。

前野    中学からSFCなのですね。それで高3のときにお父さんが亡くなられたと。たいへんなときに医学部へ入られたのですね。

川野    父が亡くなったのは高校3年生の夏でしたので、進学志望を出す直前に人の生き死にについて考えることになりました。そのことが医学というものに興味を持つきっかけの一つにもなったと思います。

前野    精神科医もお坊さんも心を扱っているところが共通していると思いますが、兼務されている方は意外と聞かないような気もします。他にもいらっしゃいますか?

川野    精神科の診療をしながら住職としてお寺のおつとめもしているという方に今まで私は出会ったことがなくて、少なくとも禅僧で精神科医というのは私一人ではないかと思っております。もしいらっしゃったら申し訳ないのですが、今のところ聞いたことがありません。
    私は精神科医として、禅や仏教の瞑想をもとにしたマインドフルネスを専門にしています。マインドフルネスというものが医療の世界で心のケアに使われるようになった時代に、禅僧と精神科医という二つの仕事を選択できたのはすごく幸運なことだと思っています。
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精神科医としてもご活躍されている川野さん(写真提供=川野泰周)

■禅僧+学者

前野    白川さんもお寺のお生まれですか? どのような生い立ちでお坊さんになられたのでしょうか?

白川    私は廣福寺に生まれ、姉はいますが男は私一人だったので、小さい頃からお寺の手伝いなどをさせられまして、「いずれ自分がお寺を継ぐんだろうな」という感覚で育ちました。
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白川宗源さん(写真提供=白川宗源)

前野    白川さんも反発はなかったということですか?

白川    流れに身を任せるといいますか、こういう境遇に生まれたからには継ぐのが自然だろうと思ってお坊さんになりました。ただ、私も大学卒業後すぐに修行道場に入ったわけではなくて、日本の歴史や文化を研究する学者になりたいと思い、大学院修士課程に進学し、その後に修行に行きました。ですから周囲の人たちよりも多少遅れて道場に入門したということになります。

前野    白川さんは研究と仏道の両方をやられているということなのですね。分野は違いますが、二人とも学究肌ですね。お二人とも特に反発せずになったというのは、お二人の性質なのか、臨済宗の性質なのかどちらなのでしょうか? 曹洞宗も一人は反発せずになったと仰っていましたけれども、禅宗には反発しない何かがあるのでしょうかね?

川野    いえいえ、仲間のお坊さんたちには若い頃だいぶ反発したという方がたくさんいますので、たまたま反発しなかった二人が今日来ているだけだと思います(笑)。


(2)臨済宗の特徴とは


■栄西禅師と蘭溪道隆

安藤    臨済という人は中国の人ですよね。その臨済の教えを栄西という人が日本に伝えられたのだと理解していますけれども、始祖である栄西についてお二人はどう思われているのでしょうか。栄西についての一般的な解釈というよりは、お二人が読み解いた栄西についてお聞きできればと思っているのですけれども。

川野    こういったことは宗さんがとても詳しく知っていらっしゃいますので、宗さんのお話を聞いた上で、私がちょっとコメントできたら贅沢だなあというふうに思っております(笑)。

白川    仰る通り、臨済宗を開かれたのは中国の臨済というお坊さんで、それを日本に伝えたのが栄西禅師(えいさいぜんじ/ようさいぜんじ)であると言われています。ただ、栄西さんは天台宗のお坊さんとして活動されていましたので、天台宗を刷新するために禅を取り入れたというのが実情であろうと言われております。
    臨済宗の教えにはいくつかの流派があります。有名なのは南宋の禅僧である蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)ですね。我々が所属している建長寺派は建長寺を創建した蘭溪道隆の流れを汲んでおります。
    蘭溪道隆の有名な言葉に「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓辞を待ちて志を発するは実に好僧に非らず」というものがあります。鞭の影を見てから走り出すような馬は良い馬ではない。教えを受けてから志を起こすようなお坊さんはいいお坊さんではない、という意味です。主体的に、前向きに取り組んでいく姿勢が何よりも大切であるということですが、この言葉が記されている『大覚禅師法語規則』は修行中も毎日のように読みましたし、今でも自分の生き方の指針になっています。
    歴史的な経緯はこのような感じです。
    では祖師についての思いについては泰さんから(笑)。

川野    えっ(笑)。私は宗さんに比べて本当に浅学でございますけれども、栄西禅師という人は、すごくバランスを取ることのできる方だったのではないかと思っております。禅宗というのは天台や真言に対する一つのアプローチとして取り入れられました。当時の日本においては、ある意味「新興宗教」のようなものだったのではないかと思います。道元禅師は徹頭徹尾「今を生きる」「只管打坐(しかんたざ)」の世界を貫かれた方だと思いますけれども、それに対して栄西禅師は兼修禅(けんしゅうぜん)と言うように、天台宗のお坊さんとしての活動もしながら禅というものを中国から持ってこられて、その教えを日本でどのように広めたらよいだろうか、日本という国でどのように取り入れていけるかを考え、絶妙なバランスを体現した人なのではないかと思うのです。
    私が好きな栄西さんのエピソードがあります。仏像の後ろにある光背(こうはい)という光の部分――金箔が貼られているような大切なものですけれども、それを恵まれない人のために解体してお金に替えたというエピソードです。仏像を壊すなんて何事だと思われながらも、このように人情味にあふれる行動をとられたところに、大きな魅力を感じるんです。


■臨済宗の公案とは

安藤    禅の方法として坐禅と公案があり、臨済宗は特に公案の方法に優れているとよくお聞きしますが、お二人は臨済宗のもつ特徴についてはどのようにお考えでしょうか?

川野    よく臨済宗は看話禅(かんなぜん)であり、曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)であると比較されます。
    我々臨済宗の僧侶は公案を老師から与えられて、入室参禅(にっしつさんぜん)──畳の間での老師と一対一での禅問答をして、それによって修行の進捗度合いを測るという側面がございます。
    3年しか修行せず、いわゆる本則(ほんそく)という禅問答の本番が始まる前に山を降りてしまっている私から禅問答がなんであるかを申し上げるのはすごく気がひけるといいますか、理解が合っている自信がないのですが、さわりを体験した者の印象として申し上げますと、まず、公案というのは頭で考えて答えが出てくるようなものではないんですよね。それを常に心の片隅に置きながら、日常底(にちじょうてい)──すべての生活行為──を徹頭徹尾、修行だと思って丁寧に行っていると、あるとき突然ふっと「あ、こういうふうに考えればいいのか」というアイデアが浮かんでくる。それを翌朝、老師の前で提示すると、「それでは次に進んでよし」と鈴を鳴らしていただけたりします。
    そういった公案があるところは曹洞宗との違いではあると思いますが、一番大切なのは日常底である、というところは曹洞宗の開祖である道元禅師も説かれていたことではないでしょうか。

白川    その通りだと思います。公案に取り組むかどうかが曹洞宗との違いであると言われますけど、それも手段の違いであって、目指すべきところは同じだと思います。

前野    たとえばどう問いが出て、どう答えたら正解なんですか?    それは秘密ですか?(笑)。

川野    よく知られているのは白隠(はくいん)さんの、「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」ですよね。「片手の声を聞け」という公案です。私も学生時代に先代住職である父から「片手の声を聞けという禅問答があるんだぞ」と教えられて、こうやって指を「パチン」と鳴らしましたら、「そういうことじゃないんだ。修行を一生懸命頑張らないとその音はわからないんだ」と言われたのを覚えています(笑)。

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    そんなことをずっと続けていくんですよね。対話の中で。

前野    ああ、なんとなくわかります。一つのことを「どういうことなんだろう。こうじゃないし」と思ったり思わなかったり忘れたりする中で、ふっと「あ、こういうことかな」と気づくような。

川野    そうですね、私が専門としているマインドフルネスの言葉で言えば「問答を通してマインドフルな境地を会得する」といったところではないでしょうか。「今ここを生きるしかない」ということを言葉では私も簡単に言えますけれども、それを本当の実体験として体と心に落としていくには禅問答が必要なのかなというふうに感じております。

前野    ということは、よく知られている「隻手音声」の答えを本で読んで暗記して老師に提示したとしても、マインドフルな状態になっていなければまったく意味がないということなんですか?

川野    そういうことになりますね。老師の方々というのは10年、15年、20年という年月をかけてすべての禅問答を踏破(とうは)されていらっしゃいますので、私たちのような者にとっては雲の上の存在です。雲の上の存在である老師がどう考えているかを察することはたいへん失礼なことではありますが、おそらく、たとえ教科書通りの答えでなかったとしても、しっかり考え抜いた答えであれば通過させるのではないかと思います。


■禅の体験を一般の人にも開いていった理由

安藤    円覚寺は明治になって禅の体験を僧侶ではない、一般の人たちに向けて開いていかれました。建長寺にも「坐禅というのはこういうものなんだ」であるとか「禅というのはこういうものなんだ」ということを、お寺に来る一般の人に体験させるような文化があると思います。
    大事なことは言葉では伝えられないけれど、それを体験することはさまざまな人に許していく、そういった試みが北鎌倉から鎌倉のお寺にはあると考えてよろしいでしょうか? そのあたりのことについてお話をお聞きできればと思っているのですが。

川野    私はそれが大乗仏教としての禅のあり方ではないかと思っています。一般の方たち、いわゆる衆生を導くことが大乗仏教の一つのコンセプトです。お釈迦様の時代に立ち帰れば、智慧と慈悲という言葉になると思いますけど、自分の精神性を高めていくことだけでなく、それを一般の人たちに還元していってこその大乗仏教だと思うのですよね。
    私が好きな言葉に「自利利他円満」というものがございます。どちらかというとこれは浄土系のお坊さんのほうがよく使う言葉かもしれませんが、禅もまた例外ではなく、禅にできる利他というのが、求めに応じてその方に体験の機会を与える、そして機に応じて助言をする、ということのような気がしております。
    それからもう一つ、そのように体験をいろいろな人に開いていったことは、禅宗という仏教宗派を盛り上げていくための取り組みだったと考えることもできるのではないかと思います。
    禅宗は仏教の原点に立ち返ろうという動きから起こったものではありますが、それでも衆生を見続けたというところに私は大きな魅力を感じていまして、自分もその端くれとして存在できているのが嬉しいな思うところです。


(3)精神医学とマインドフルネスと仏教の接点


■マインドフルネス療法を選んだきっかけ

安藤    川野さんが精神医学を選ばれた理由と、それが禅やマインドフルネスにどうつながっていったのかについてお聞きできればと思いますが、いかがでしょうか。

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安藤礼二先生(撮影=横関一浩)

川野    私はある意味「ロマン」というか、精神医学というものに対して個人的な理想像を描いて精神科医になりました。それは「人の心を治す」ということです。鬱で苦しんでいたり、不安でいっぱいだったりする方の心を根底から治して、その方々が幸せに生きていけるように心の変革をもたらすような医者になりたいと思っていました。
    しかしそれは精神医学の実際を知らない私の理想に過ぎませんでした。実際に私が大学病院や国立系の病院で経験させていただいた患者さんの治療は、ほとんどの場合において薬物療法が主体のものでした。向精神薬を用いて脳内の神経伝達物質のバランスを調節すると、確かに一時的に気分が好転したり、不安が和らいだりします。それは素晴らしい治療であることに疑いようはないですし、それを必要としている患者さんは数多くおられるわけですから、薬物療法自体を否定したいわけでは全くありません。しかしそれは私が抱いていた精神医学のイメージとは少なからず違うものでした。
    実際に外来診療を主治医として担当させていただく中で、私は次第に熱量を失っていったように思います。患者さんの話をじっくり聞く時間もなく、薬の内容を決めて次の予約を入れて処方箋を発行して、それで診察が終わります。それほど多くの患者さんが、日夜外来に殺到している状況では仕方のないことです。でも、そんな治療場面は私が思い描いていた精神医療のイメージとはあまりにも異なっていました。「ああ、6年間医師として自分なりには頑張った。でも、もうここまでにしよう。」と感じるようになり、精神科医をやめて修行道場に入りました。私が30歳のときの決意でした。
    ところが3年半後に修行から戻りますと、耳慣れない言葉が医学雑誌を席巻するようになっていました。それが「マインドフルネス」という言葉です。調べてみると、マインドフルネスはブッダの瞑想法に着想を得ているとのこと。色々と文献を読み進めるうちに、世界で初めてマインドフルネスを病気で困っている方に用いた、マサチューセッツ大学のジョン・カバットジン先生が若い頃から禅をずっと続けていた方だったことも分かりました。
    以前はマインドフルネスという言葉をたまに耳にすることはあっても、精神療法として体系的に学んだことのなかった私でしたが、自分が修行してきた禅とマインドフルネスという新しい治療とが紐づいていることがとても嬉しく、私なりの参究を始めました。
    その過程において私が大切にしたのは「患者さんと一緒に学んでいく」というスタンスです。それはなぜかというと、マインドフルネスの治療法自体が日本ではまだ十分に確立していませんでしたし、いったいなぜマインドフルネスが人の心に効くのかといったことや、どういうふうにやれば一番効率的に治療できるかということも研究途上だったからです。
    研究途上の治療法ですが、だからこそ私は、患者さんの同意と信頼関係が構築できた上で、患者さんの状態に配慮しながら一緒にマインドフルネスに興味を持って取り組んでいく、そんなスタンスを共有することができたんです。
    その後、だんだんと医学的にもMRIの研究などでマインドフルネスの効果が明らかになっていき、患者さんたちと二人三脚で取り組んできたことは、やはり間違ってはいかなったのだと思えるようになりました。
    マインドフルネスに基づく精神療法とこれまでの治療との違いは、禅の言葉で言えば「主人公」の精神にあると思います。瑞巌和尚(ずいがんおしょう)という中国の偉いお坊さんがその昔、毎日山の中の庵で一人、「おい、主人公!」「ハイ!」と問答をしながら生活していたそうです。これは「この人生を自分の足で歩いていくんだ」という決意です。自分でしっかりと意思決定をして、そこにエンゲージして取り組んでいくぞと。
    主人公の精神を取り入れた精神療法は、それまでは世界のどこにもなかったのではないでしょうか。瞑想の要素を取り入れた治療法はいくつかあったようですが、瞑想するということ自体を主たる要素として、心のあり方を柔軟にしていくような治療法を、私は見たことがありませんでした。ほとんどの場合は精神科医や臨床心理士、あるいは薬物療法や診断書、そういうものの力を借りて「治してもらう」治療だったんですね。そうではなくて「自分から治っていく」治療があるなんて素敵だな、というのが私がマインドフルネス療法を専門にしたいと思ったきっかけです。

前野    川野さんは今はマインドフルネス療法に限った診療をされているのですか? それとも薬を処方するようなこともされているのですか?

川野    もちろんお薬は処方しますし、その薬の反応によって内蔵機能に負担がかかっていないかなどをチェックするため、採血などもしばしばさせていただきます。いわゆる医者の仕事は、ある程度いたしております。

前野    なるほど、そうなんですね。

川野    患者さんにはお薬とマインドフルネスを両輪として使っていただくイメージでしょうか。症状がとても重く、苦しい状態の時期は薬物療法は強力な助けとなります。しかし、そうした時期を脱しても漫然と薬を飲み続けるのではなく、いつかは薬の力を借りずとも自己治癒してゆくという過程は、私にとっても、もちろん患者さんご本人にとっても大変希望になるものです。
    私自身も日々マインドフルネスに助けられています。私はマインドフルネスを患者さんに授けているとか、施しているというわけではなく、患者さんが瞑想に取り組んで下さるきっかけを提供する「インタープリター(分かりやすい言葉で伝える人)」です。難しいことを一般の人にわかる言葉で伝える役割を、これからも担ってゆきたいと思っています。


■心理学も精神医学も仏教も幸福を目指す

前野    私は心理学で幸せになるための条件を探究していていますけれども、精神科医は不幸せな状態といいますか、調子の悪くなった人が幸せになるために仕事をなさっていますよね。そして仏教もどうすれば幸せになれるかという教えだと思います。
    心理学と精神医学と仏教の違いはどういうところにあるのでしょう。川野さんは精神医学と仏教の療法をやっていらっしゃいますけど、医療の限界や仏教の限界を感じることはありますか?

川野    三位一体になれば限界はなくなるのではないかと私は思っています。古い時代からの仏教の経典を調べてみると、今であれば病的水準にあるような人が大勢救われています。自ら命を絶とうとした人たちが、仏法に触れて救われたという例が多数あります。今で言えばうつ病で希死念慮のある人たちを、仏教の教え、あるいは禅という形で救ってきた面が少なくないのではないかと思うんです。
    また、病気の方々を診る精神医学と一般の人々が幸せになることを目指す幸福学も、今どんどんオーバーラップしているように思います。その橋渡しになるのが、レジリエンス理論とかポジティブ心理学ではないでしょうか。最近は精神科医がレジリエンスという言葉を普通に使うようになっています。
    リチャード・テデスキ(Richard Tedeschi)先生のPTG(post-traumatic growth)という理論があるのですが、私のこの概念がとても好きなんです。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)を体験した人が、post-traumatic growthの段階に入っていく、トラウマを体験した人にしか得られない成長がある、という理論です。マイナスの状態からゼロに戻すだけではなく、マイナスの体験を契機としてプラスに転換してゆく。このような考え方が精神医学の中に取り入れられ始めているのですから、これから先、精神医学と幸福学はどんどん融和していくのだろうと期待しています。

前野    病気の人の幸せを目指すのが精神医学で、元気な人の幸せの探究が幸福学だとすると、仏教はそのどちらも貫いておこなっているという図式ですね。

川野    そうですね。大乗仏教は「救う」ということを大事にしていますので、とりわけその色彩が強いのではないかと思います。江戸時代の白隠禅師(はくいんぜんじ)は、重度の自律神経失調症で寝たきりになっている人に手紙を書いて「坐禅ができないならしなくていい。仰向けになって、坐禅と同じように体をしっかり観察して、呼吸を調えることによって、心身の不調が癒されてゆく」と伝えました。(『夜船閑話』という本に書かれているエピソードを私なりに解釈しています)内観の秘法(ないかんのひほう)というのですけれども、これを読むと白隠禅師は本当に今の精神科医と同じことをやっていたのだなとわかります。


(4)坐禅とマインドフルネス


■坐禅とマインドフルネスの違い

安藤    視聴されている方からも質問が届いていますので、ご紹介していきます。

──坐禅とマインドフルネス瞑想は何がどう違うのでしょうか?

川野    究極は同じものであると私自身は思っています。というよりも、瞑想という行為、瞑想的な要素をすべて包含しているのがマインドフルネスという概念です。今というこの瞬間を大切にして取り組んでいく。そして、精神を統一して安らかな心を求めるという意味では、瞑想というのはすべて同じことを目的としていると思います。
    坐禅は手放すためにするけれども、マインドフルネスは手に入れるためにする。このように揶揄されることがよくありますけれども、私は本当のところはそうではないと思います。
    マインドフルネスを始めるのはたとえば困っている症状を治すためだったり、ビジネスの世界においては業務効率を改善するためとか、休職者を減らしてストレスチェックのスコアをよくためとか、そういう目的があります。そういう意味では坐禅とマインドフルネスは大きく異なります。
    ただ私が実際に目の当たりにしているのは、しっかり日々瞑想を続けていくことによって、最初に思っていた目的がどこかにいってしまうという現象です。もともとは治療したい一心で瞑想し始めたのに、いつの間にか病気の症状は治っていて(あるいは治っていなかったとしてもそれと共存できる状態になっていて)、ただただ心が安寧の中にいられるようになるのです。

──マインドフルネス療法をされている精神科医が仏教の考えを把握すると、マインドフルネスの効果はより高まるのでしょうか?

    臨床家の先生方から実際に「仏教的な精神はマインドフルネスにどう役立つのか」とご質問いただくことがあります。私はその答えの一つとして「患者さんと一緒に佇むことができるようになる気がします」と申し上げています。
    患者さんをよくしようという心を持って治療をするというのはもちろん大事ですが、あまりにそのことばかりにとらわれると、それは「治療者の執着」になってしまいます。しかし、禅的な精神を知った上でマインドフルネス治療にあたると、そういった心を手放して、患者さんとただその「辛い」という時間を共有できるようになるような気がしています。たった3年ですけれども、私が修行生活から精神科臨床に戻ったときにわずかながら、そのように感じました。
    実はこれができると、医者をやっていて楽しくなるんです。精神科医は自分の施した治療によって患者さんの状態がよくならないと、やりがいを無くしがちです。私も若い頃はそうでした。「なんで製薬会社さんが勧めてくれる最新の薬を使ってもよくならないんだろう。そもそも私が処方しているとはいえ、この薬を開発したのは製薬会社の研修者たちだしな……」などと思ってしまい、やりがいにつながらない。ところが不思議なもので、修行を経験させていただいてから診療を再開し、患者さんがなかなかよくならない状況にあってもその状況を共に体験できるようになると、逆に良くなっていく過程をサポートできるようになるのです。
    私が禅から学んだことというのは「今という時の中に、ただ佇んでいることができる」という力なのではないかと思います。


■マインドフルネスとプラグマティズムの思想との関係

──マインドフルネスやセルフコンパッションはプラグマティズム(実践主義)の思想なのでしょうか?

川野    海外で最初にマインドフルネスのムーブメントが起こったときは、自分自身の利得の目的のために行う傾向が非常に強く、しばらくすると「瞑想を続けていくとアイデアが出なくなってきた」と報告する人が増えるという現象が起きました。
    そもそも何かを手に入れたいとか、儲けたいというような自分自身の利得を強く求める人にとっては、マインドフルネスはそうした考え自体を執着として扱い、それをどんどん手放す方向に作用します。欲求を満たすためにマインドフルネスを始めたのに、結果、欲求自体がわいてこなくなる。だからアイデアも出なくなる。そこに矛盾を感じた人が欧米では多かったのだろうと思います。
    一方、私がかからせていただいている患者さんたちは「自分がこうなりたい」ということだけではなくて、世のため人のため、大切な誰かのために何かをしたいという自然な気持ちを大切にしている傾向があります。こういった気持ちは、マインドフルネスをしっかりと心に根付かせることで湧いてくる、「セルフ・コンパッション」つまり仏教の言葉でいう「慈悲」によるものです。そういう気持ちは執着にはなりにくいのではないかと思います。
    マインドフルネスを取り組み始めて、小さい頃にワクワクした気持ちとか、本当はやりたかったけれども押し殺してきたような着想が蘇ってきて、新しい生き方を選択できるようになった人を私は何人も見てきました。私がマインドフルネス指導でかかわった方たちの言葉を借りるとすれば、欧米で観られた現象とは逆に、「マインドフルネスを適切に取り入れていくとアイデアは出やすくなる」そんな傾向がありました。
    ですから、私はやはり大乗の考え方である「利他」を大切にしたいのです。見返りを求める利他ではなくて、自然と湧き出る利他をゴールにすることが、私が考えている理想のマインドフルネスです。

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(写真提供=川野泰周)

■マインドフルネスは伝播する

安藤    いま社会には行き詰まりが見えてきていると思いますが、そういった社会に対して何か提言がございましたら、ぜひお聞かせいただければと思います。

川野    今の世の中はやはり動乱の時期で、「自分の外側で起こっていること」に興味を持たざるを得ない時代であると思います。しかし、私としては、外に注意をずっと奪われっぱなしになっているという状況を非常に危惧しています。外のことに振り回されるために自らが今どういう状態なのか、自分がどれくらい苦しいのかさえわからなくなっている人が多くなっているのです。精神医学的に言うとアレキシサイミア(Alexithymia)と言います。感情を失ったかのように見える状態ですね。
    こういった社会に対して、私自身ができることとしては、私がかかわる身近な人に「自らと向き合う」ということの大事さを伝えていくことなのではないかと思っています。「自分との対話」というのも禅の文化が持つ魅力だと思うのですよね。茶の湯もそうではないでしょうか。様式美を大切にしながら、自らと向き合う時間なのではないかと思います。私から見れば、茶の湯はマインドフルネスそのものです。
    そういう「自らと向き合う」ことの大事さを伝えていく活動を、微力ながら私はしているつもりです。
    マインドフルネスって、「伝播」してゆくんです。ある人が自分自身と向き合い、自分の存在を受容できるようになっていくと、そばにいる人のあり方もだんだん変わっていく。気づきと受容、仏教の言葉で言えば智慧と慈悲ですね。そういう心を持つ人が増えることで組織全体が変わっていき、やがて社会全体も変わっていく。そういうような希望を私は持っております。
    そのために私自身は、一番身近な人たち、いつもかかわっている患者さんや坐禅会に参加してくださる方に、そのことの大事さを伝えていきたいなと思って、日々活動しております。


(5)過去を見ながら未来に歩く


■お寺を活用するのは通仏教的なこと

安藤    お二人は修行の途中にある菩薩という存在を理想とし、いままさに菩薩としてあり続けようとなさっていると思います。その活動の中心であるお寺という場所で、お二人はどのようなことをなされている、あるいはなされようとしているのでしょうか。川野さんと白川さんの今までのお寺での活動や今後のビジョンについて、何かお話いただけることがあったらお聞かせください。

川野    お寺を拠り所として求めてくださる方が、私の子ども時代に比べて最近は増えているように思います。令和は「心の時代」ではないかと思いますね。世界中で分断が進んでいますけれども、私たち禅僧は「衆生みんなで一つだよ」という「和合の精神」を、修行を通して教えていただきました。そんな私たちだからこそ、和合という言葉を軸にして、何かこうお寺を起点に統合していくようなことを目指せたらいいなと思っています。私自身、禅と精神医学を統合したいという思いで取り組んでいるところもあり、そのように思うところがございます。

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林香寺全景(写真提供=川野泰周)

    今はちょっとコロナ禍で難しいのですが、少し落ち着いたら私はリアルの場で「マインドフルネス坐禅会」というものをやってみたいと考えています。ちゃんとした坐禅会をやっている先輩和尚様たちに怒られてしまうかもしれませんが(笑)。
    マインドフルネスは私にとっては「方便」なんです。「嘘も方便」ということではなく、真実の方便ですね。禅の精神を伝えるとなるとやはり一子相伝(いっしそうでん)の世界になってきますので、私のようなものが安直に「禅とは、こうだ」と言うことはできません。しかしマインドフルネスは、海外の方が禅的精神を、「ウェルビーイング」つまり日頃を健康に、幸せを感じながら生きていくために活用しようという観点で生まれているので、私でもお話できますし皆さんと共に実践することもできます。
「深淵な禅の世界は私には話せません」と口を閉ざしてしまったらそれまでではないかと思うのです。なぜ私がそう思うのかというと、本当に苦しんで困っている方たちと、日々接しているからです。禅もマインドフルネスも、その入り口を広くすることはとても大事だと思っています。
    他の禅宗のお坊さんたちが、皆さんそう考えているかはわかりません。ただ私の勝手な考えとしては、誰にでも伝わる共通の言葉で、わかりやすい禅の世界を多くの方に体験してもらいたいと思うのです。その中から一人でも二人でも、建長寺や円覚寺に参禅、あるいは入門してくださる方が現れるかもしれません。「禅の裾野を広くしていく」ということを私自分の生きがいとして、今後も取り組ませていただきたいと思っております。
    宗さんも確か、お寺という場でいろいろな活動をされていますよね。お茶であったりとか。

白川    私は高校生の頃から茶道をやっております。侘び寂び(わびさび)といった日本文化が非常に好きで、それもあって研究の道に進みました。禅の思想はそういう日本文化のバックグラウンドになっておりまして、そういうところに興味を持っています。
    禅宗のお寺というのは文化の発信地であり、文化を体現する場所である。そして我々禅僧も、文化を体現する存在である。そのように思っております。たとえば床の間の掛け軸を見ると皆さん日本的だなと感じられると思うのですが、ここにも禅宗の影響をみることが出来ます。そういう日本文化に地域の人々が接する機会を作るというのも、禅宗のお寺の存在意義だと思います。
    お寺ではお茶会もやりますし、コンサートや講談会、もちろん坐禅会や写経の会もやっております。いつでも境内をきれいに掃除しておいて、そういった催しに来ていただいた方やお墓参りに来た方に、「お寺って気持ちのいい場所だな」と思っていただくことも大切にしています。
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白川さんがお寺で主催している「寺子屋こうふくじ」(写真提供=白川宗源)
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子供を対象にした「こども坐禅会」(写真提供=白川宗源)

    こういう活動は禅宗に限らずいろいろな宗派の方がなさっている通仏教的な布教活動だと思います。
    私としては地域の中で信頼関係を築き、自分の禅僧としての姿を見てもらって、心に「なんかいいなあ」という思いを持ってもらう、それが理想かなと思っています。

安藤    今の茶道のお話をお聞きして、日常を生きることがまさに禅であり、それがそのまま文化や芸術になっているのだなと実感いたしました。芸術は特別なものではなくて、日常を生きながら、その過程で書や花やお茶に総合される、と。白川さんは、大学時代、そういった日本文化の研究をなされていて、それが後に禅とつながったというような感じなのでしょうか?

白川    私は修士課程までは、茶の湯の研究――茶道がなぜ成立したのかを研究しておりました。その頃はなんとなく禅宗を研究するのは避けていたのですが、建長寺で3年半修行して、曲がりなりにも禅僧になって、禅宗の持つ文化的影響力抜きに日本文化は語れないんだなと思い、博士課程に戻って禅宗の歴史や文化を研究するようになりました。
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茶の湯の研究をされていた学生時代の白川さん(写真提供=白川宗源)

安藤    近代になりますと作歌や作庭、さらには茶道などの芸術と宗教は分けられてしまいます。また先ほど来話題になっております医学、心身を治す科学と宗教というのも近代では分けられています。しなしながら、お二人のお話を聞いていると、芸術と宗教を分けず、科学と宗教も分けないような、そういった地平におれら、またそういった地平を理想としているように感じられました。


■歴史を学ぶ意義

白川    日本の歴史を学ぶ意義について、私は大学の講義ではいつも最初にBack to the futureの話をしています。Back to the futureというのは「未来に向かって後退りする」という意味です。私はこの感覚を大切にしたいと思っています。「先日はありがとうございました」「先ほどはありがとうございました」と言ったときの「先」というのは過去のことです。「後日これをやりましょう」と言ったときの「後」は未来のことです。このような言葉は、視線の「先」が過去を向いていないと生まれません。つまり、日本人には過去を見ながら未来に向かってバックステップしているという感覚があり、それが言葉にも表れているのです。
    現代を生きている私たちは、未来の方向を見て歩いているという感覚、後ろにある過去は振り返らなくても良いというが強すぎるのではないでしょうか。
    未来に向かって後ろ歩きする感覚を大切にする。それは歴史に学びながら生きていくということです。過去のどういう経緯を経て、いま自分がここに立っているか。それをしっかり認識する。視線の先は過去だから、未来は見えなくて当たり前。だから見えない未来を不安に思うことなく、過去を学び、未来を予想して、今現在、自分が立っている場所でベストを尽くすほかない。こういうような感覚を養うことが、歴史を学ぶ意義だと思います。
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大学で講義を行う白川さん(写真提供=白川宗源)

安藤    ありがとうございます。南方熊楠は生物学を学んでいましたが、前に向かうのみの進化論が嫌いだったそうです。後ろ向きに歩んでいくというのは、南方熊楠の生き方にも通じるのかなと思いました。

白川    南方熊楠はとても好きです。

安藤    南方熊楠がお好きなのですね。白川さんが南方熊楠や鈴木大拙、西田幾多郎などについてお考えになっていることはありますか?    実は近代仏教の研究者は僧侶ではない人が多いので、僧侶の方たちが、仏教を根幹に据えた近代の思想家たちについてどういうお考えをお持ちなのかを聞く機会はなかなかないのです。たとえば熊楠のどういうところがお好きなのか、そういったことでも構いませんのでお聞かせいただけますでしょうか。

白川    南方熊楠に憧れて、大学時代に熊野古道を歩いて生家へ行ったことがあります。明治時代というのは西欧化・近代化を目指した時代です。その中にあって江戸時代までの習俗や、鎮守の森の大切さを説くなど、郷土の価値を大切にしたところが好きですね。


■禅宗のお坊さんは自分勝手!?

白川    もう一つ、南方熊楠の好きなところは自由奔放、悪く言えば自分勝手なところです。

安藤    ははは(笑)。

白川    熊楠はお兄さんに借金して使い倒したり、まともに働かなかったり、自分勝手に生きたように見えます。しかし、そういうふうに自分の好きなことや好奇心に正直に生きた結果、周囲の人々に大きな影響を与え、後世にも様々な文化的遺産を残しました。そういう生き方に私は憧れます。
    このような生き方は、禅僧の理想とする姿に重なります。禅宗のお坊さんにも、自由奔放、悪く言えば自分勝手な人が多いんですよ(笑)。しかし、他人と協調するばかりではなく、時には他人とぶつかってでも、自分のやりたいことに真摯に取り組んでいる姿は魅力的だと思いますし、その姿を他人が見て、何かしら感ずるものがあるというのは素敵だなあと思うんですよね。横にいる泰さんも、好きなようにやっていますし。

川野    あはは……。さすが宗さん、的を射たご見解(笑)。

白川    常識にとらわれることなく、自由奔放に生きることが、周りにいい影響を与えられるようになったらいいなと思いますね。禅僧の存在意義というのはそういうところにもあるのではないかと思います。
私から見るに、老師と言われる禅の本流を受け継いでいらっしゃる方は、やはりどの方も常識にとらわれない自由奔放さをお持ちだと思います。
    禅宗の本分は、己事究明(こじきゅうめい)といって、己のことを究明することです。ですから、これを突き詰めていこうとすると、時には自分勝手に見えてしまうことがある。でもそれでいいんだと思います。
    その一方で、私自身はそうはなれないところがあります。自由奔放な老師は格好いいと思いますし、自分の思うように生きている人は尊敬するけれども、自分はなかなかそうなれない。現代の社会のなかでは、私は臨済宗建長寺派というグループに属しているし、みんなで協力してやっていくことも大切だと思っている。
    禅僧が禅僧らしく生きるためには、臨済宗建長寺派というような大きなグループは必ずしも必要ではありません。けれども、一人の力でできることには限界がある。だから仲間で集まって、私と泰さんのように、影響し合っていくことも大切だと思います。
    そういう時には、やはり協調性も必要になってきますよね。お互いに好き勝手言っていたら喧嘩になってしまいますので。修行時代はよく喧嘩しましたけれども(笑)。
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川野さん(左)と白川さん(右)(写真提供=川野泰周)

川野    しましたね(笑)。

安藤    鈴木大拙が英語圏で書いた文章には、風狂(ふうきょう)であるとか、自分のやりたいことを貫いていく老師の生き方などが強調されていました。それがアメリカの放浪文学にも影響を与えていますよね。

白川    禅はビートニクなどに影響を与えていますね。アレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダー、ヒッピーカルチャーとか、そういったところにも禅は影響を与えています。世捨て人のような生き方をした禅僧は歴史上たくさんいました。

川野    一休さんもそうですね。

白川    そうですね。一方、権力者の庇護のもとで日本文化を生み出すという流れもありました。ですので、禅のあり方というのは多面的ではありますけれども、深山幽谷で仙人のように生きるというのは、禅僧が理想とした姿のひとつであると思います。


(6)大乗仏教の中の臨済宗


■禅を学んで福沢諭吉先生の言葉の意味がわかる

川野    臨済宗には「自分が楽しいからやっている」という禅僧が多いんですよ。曹洞宗においてもそうかもしれませんが、「自分がやっていて楽しい!」と思うことを貫いている老師には本当に魅力を感じます。
    私たちの修行を指導してくださった建長寺専門道場の師家(しけ)、酒井泰玄(さかいたいげん)老師はまったく迷いがなく、いつもどっしりと落ち着かれていて、酒井老師のスタイルを貫いておられました。落ち着いているように見せているのではなく、それが自然体なんです。そういったスタイルというのは、やはりご本人に楽しくて充実しているという感覚がないと滲み出てこないのではないかと思います。
    迷いがないということは、「やりたいことをやっている」ということでもありますよね。建長寺の管長をされている吉田正道(よしだしょうどう)老師は、まさにその体現者ではないかと、勝手ながら感じております吉田老師は何事も一直線で、思ったことはズバッとやる。やりたいことはやるんだ。そういう姿勢を常に私たちに示してくださっていました。
    みんなが自分のスタイルで生きれば、互いを尊重し合えるのではないかと思います。自分の信念に基づいて生きている人たちが集まると、互いを思いやり合うのではないかと思うんです。もしそういう場に自己犠牲的に自分を押し殺して頑張っている人が一人いたら、その人は他の人たちに対して「なんでみんなそんなわがままなんだ」と言いたくなると思うんです。それぞれが「自分の信念で生きていく」ということが大切なのではないかと思います。
    今日は慶應義塾大学の前野先生がいらっしゃるので申し上げますが、私はこうして禅のことを少しばかり知って、福沢諭吉先生の言葉の意味が初めてわかった気がします。

前野    おお。どういうことですか?

川野    「独立自尊」という福沢諭吉先生の有名な言葉があります。私はSFCの中高時代、色々な学校行事の度にこの言葉を、それこそ耳にタコができるほど聞かされて、「独立自尊って、なんてわがままな言葉なんだろう」と思っていたんですよ。「自分が独立していて自らが尊いって、何それ?」と。しかし、禅の教えに触れていく中で、独立自尊というのは自分の意思で自分のふるまいを決めて、そして自分がしたことに対してちゃんと責任を取るという気構えのことなんだと思い直すことができました。私が諭吉先生に対して勉強が足りなかっただけなのですが、今になってやっと理解できたという思いがあります。

前野    確かに日本文化では「自尊心の強い人だねえ」とネガティブに言いますけれども、英語では「プライドを持つ」は独立心を持つという意味でポジティブに使いますよね。福沢諭吉先生は西洋に学べという意味もあったんでしょうけど、仏教で言うところの自尊というものもわかった上で言っていたのか、そのへんがまた面白いところですね。

安藤    そういえば、鈴木大拙の師匠の釈宗演(しゃくそうえん)も、南方熊楠と文通していた土宜法龍(どきほうりゅう)も、みな慶應で学んでいるんですよ。だから、今お話いただいたことは、さまざまな側面でつながってくるような感じがいたしますね。

白川    慶應っていいですよねえ。

安藤    ははは(笑)。

前野    ははは(笑)。

川野    宗さんは早稲田なんですけど(笑)。

安藤    そうなんですね!    私も早稲田です(笑)。


■型破りと型なしの違い

白川    禅宗は型破りというものを非常に高く評価する価値観があります。でも型なしは駄目なんですよ。
    じゃあ型とは何か、というと私や泰さんが経験した修行道場だと思うんです。私も彼も今は個々に様々な活動をしていますけれども、修行道場ではそれぞれの個性は捨てて、まったく同じように同じことをやりました。まさに型にはめられるんですよね。型にはめられた修行を経験すると、自分自身の、型からはみ出てしまう部分とか、足りない部分が自然と見えてくるんです。それぞれの個性がアメーバ状にあるとして、そこに四角い型をはめるような感じなので、どうしてもはみ出る部分と足りない部分が出てくるわけです。
    修行中は私にできなくて彼にできることもあれば、私にできて彼にできないこともたくさんありました。それをお互いに見て「なんでそんなこともできないんだ!」と喧嘩していましたね(笑)。

川野    私はいつも怒られるほうなんです(笑)。

白川    いやいや(笑)。こういう禅僧としての「型」をしっかりと身に付けた上で、今度はその「型」をどう破っていくかが大切になるのだと思います。

前野    なるほど。

白川     私は「型」を破れずにいるので、かえって協調性はある方なのかもしれません(笑)

前野    ははは(笑)。いやあ、面白いですね。

安藤    面白いですね。型破りというのは型があるからこそ型破りたり得るというのは、確かにその通りですね。


■禅宗も大乗仏教の仲間

前野    日本の大乗仏教では、たとえば浄土系ですと「南無阿弥陀仏と言えば救われる」と苦しい修行なしに救う方向なのに対して、禅宗は「鍛え抜く」というようなイメージがあります。禅宗が他の大乗仏教と比べて違う感じがするのは、やはり中国で老荘思想の影響も受けているからなのでしょうか?    それとも禅宗も異質ではなく、やはり大乗なんですかね?

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前野隆司先生(撮影=横関一浩)

白川    大乗仏教だと思いますね。上求菩提(じょうぐぼだい)下化衆生(げけしゅじょう)という言葉がありますように、お坊さんは菩提・悟りを目指して修行することと、人々を救い導くことを使命とします。この上求菩提と下化衆生は別々のものではなくて、禅僧が悟りを目指して修行を重ねていく姿勢そのものが、人々を救うということなんだろうと思います。
    老荘思想については、禅宗自体が中国から伝わったものですので、純中国式であることが最上の価値とされてきました。鎌倉時代、建長寺では中国語が公用語だったのは有名な話です。禅僧は日本風の衣を着てはいけないという法令が鎌倉幕府から出たりもしました。ですから、老荘思想も非常に色濃く入っていますし、その他の中国的な価値観、言うなれば非常に即物的であり現実的な価値観も入っているように思います。

前野    中国的な価値観は今でも色濃いのですか?

白川    時代を経てだんだんと日本的になっていったとはいえ、他宗派に比べれば今もなお強いと思います。


■禅宗の宗教性、信仰とは

──坐禅が悟りへの手段であるなら禅宗は合理性の高い教えだと思いますが、禅宗の宗教性や信仰というのは、どのようなところにあるのでしょうか?

白川    坐禅は悟りへの手段である。禅宗はそういう立場を取っていますけれども、他宗派にもそれぞれ得意とする手段があります。たとえば極楽浄土に行くには念仏を唱えるのが最短だと考える宗派もあります。ですから禅宗だけが合理性の高い教えであるということはまったくないと思います。
    禅宗における信仰については、「禅宗は仏像を崇拝しないのか」とよく聞かれます。確かに他宗派に比べれば、仏様を崇拝していないように見えるかもしれません。私が思うに、禅宗における信仰というのは、「人間一人ひとりが仏性(ぶっしょう)を持っている」ということへの信仰だと思います。直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)と言いますけれども、一生懸命修行をすれば、仏性が花開いて仏になれる。どんな悪人にも仏性がある。皆が仏になる存在であると信じる。それが禅宗の信仰だと思います。

安藤    「お坊さん、教えて!」の初回で真言宗の方も仏性のお話をされていました。宗派は違っていても、共通性があるように今のお話を聞いて思いました。

白川    非常に近いと思います。宗派というのはそもそも江戸幕府や明治政府が、寺院を統制する上で便利だったからという側面が強いので、信仰を考える上ではあまり気にしないほうがいいとは思います。


■禅の芸術は心を表現する手段である

──円相を見ていると、太極(たいきょく)と似ているような気がしますが、実際どうなのでしょうか。

川野    太極にあまり明るくないのですが、両方とも循環というものを表現しているのではないかとは思います。すべてが一円相で循環していると。

前野    太極は道教で、道教のもとは老荘思想ですから、禅も太極も老荘思想を一つのルーツとしているという意味では一緒なんじゃないですかね。

川野    ちなみに、老師が描かれる円相は素晴らしいんですよ。見様見真似で私が筆を持って描いてもきれいに描けないんです。こういうところに修行の違いが出てくるんだなと。私もいつかきれいな円相が描けるようになりたいものです。

安藤    でも下手であっても味がある絵ってありますよね。

白川    仙厓の「○△□」とか、禅僧の書というのは全部そうなんですけど、上手い下手じゃないんですよ。伝統的な書をきちっと学んだ方からすれば、禅僧の書は下手に見えるでしょうが、禅僧の書は悟りの境地を示しているのであって、上手い下手というレベルのものではないんです。
    これは禅宗の文化全般に言えることだと思います。上手い下手ではなくて、禅における芸術はあくまでも悟りの心を表現する手段である。これが禅の文化の特徴かなと思います。

川野    この掛け軸には、直心是道場(じきしんこれどうじょう)と書いてあります。
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    まっすぐな、ありのままの心をもって精進修行すれば天地到るところが道場であるという唯摩居士(ゆいまこじ)の言葉ですが、これを書かれたのは明治時代に活躍されて101歳まで生きた静岡の方広寺の3代目管長・足利紫山(あしかがしざん)老師です。この字を見ているだけで心に届くものがあるというか、「ああそうか、今をちゃんと生きよう」という気持ちになります。禅僧の書は素晴らしいなと、いつもいろいろな掛け軸を飾りながら思っています。

前野    私は嶋田彩綜(しまださいそう)先生という達人に書を習っていますけれども、先生も「うまい下手じゃないですよ」と仰いますね。先生が書く円はすごくきれいなんです。手先で書かずに心で書く。「宇宙とつながったら書けるのよ」って仰るんです。だからたぶん境地にいくと似ているのではないかと思いますね。


(7)禅は非常に実践的な哲学である


■禅宗は実践を重視する哲学である

前野    臨済宗のお二人のお話をお聞きしていて、禅宗は哲学とか科学とそう変わらないのではないかとだんだん感じてきました。私は「すべての人は幸せの境地に至れるはずだ」と信じて幸福学をやっていますが、それとあまり差がないのではと。どうでしょうかね。

川野    禅は実践を非常に重視する哲学と言えるのではないでしょうか。いくら禅の研究をして分析的に禅のことを書いても、その方に実践が伴っていないと本質ではないように感じますし、それで人の心が動くということもないのではないかと体験的に思います。
    達磨さんがその昔、1500年くらい前に中国に禅を持ってきたときに、「行入と理入の両方の両方があって本当の修行になるんだ」と仰ったということが『二入四行論』(ににゅうしぎょうろん)に書かれています。修行というのは理詰めで考えるだけでもなく坐禅をするだけでもないということです。曹洞宗の方も仰っていましたが、日常生活の一つひとつに心を置くのが禅宗のスタイルですので、仮に哲学として位置付けるならば、非常に実践的な哲学と言えるのではないかと思います。
    少なくない臨済坊主は――臨済宗の僧侶は自分たちのことをこう呼ぶのですが――臨済宗を宗教として位置付けることにあまりこだわっていないと思います。哲学だと思ってやっている人もいるでしょうし、禅は生きることそのものだとか、あるいは少しでも幸せに生きるための秘訣だ、というように思っている人もいるかもしれません。
    定義や説明こだわるのではなく、日々それを実践として体現していくというところに禅は重きを置いているように思いますね。

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(写真提供=川野泰周)

白川    禅宗というのは確かに哲学のような顔をしていると私も思います。しかしそれはあくまでも表面であって、深く中に入っていくと、論理的思考や科学的思考では到達できない部分を大切にしているとも感じます。
    私は「抵抗なくお坊さんになった」と申し上げましたけれども、それは禅宗だったからという部分が多少なりともあると思います。他宗派のことを悪く言うわけではありませんし、今の私は信仰心を大切にしたいとも思っていますけれども、20代前半の頃は歴史学を通して科学的な思考の大切さを学んでいましたから、非科学的なことを軽んじる姿勢をとっていました。信じれば救われるとか、一生懸命に祈ればいいことが起きるとか、そんなことはないでしょ、と冷めた考えを持っていました。一方、禅宗というのは肉体と思考を磨いて、高めていけば素晴らしい存在になれるというシンプルな教えに思えて、受け入れやすかったんですね。
    ただ、修行が進んでいくにつれて、頭で理解することには限界があると感じるようになりました。論理的には理解し得ないことが現実にはたくさんありますし、人の心とか人情というのはそんなに単純なものでもない。そういうときに必要になるのが、信じれば救われるとか、何かいいことありますようにと願う、信仰や祈る心なのだろうと今は思っています。そして禅宗でも論理的思考は捨てるものとされていることに気が付きました。公案はまさにそのトレーニングなんだと思います。
    禅宗ではよく「馬鹿になれ」と言います。一生懸命勉強して知識を身につけて、頭で考えた上で、それらすべてを捨てて馬鹿になれと。つまり、「馬鹿になれ」というのは論理では到達できない先を目指すということだと思います。

前野    私は工学という実践を重視する学問出身なので、たとえば経営哲学のような、本当に幸せな経営をしている人が到達する境地は禅と意外と近いのかなと思ったんですよね。もちろん一緒ではないと思うのですけど、そういったところへの興味もわいてきました。


■坐禅をすれば悟れるのか

──坐禅をし続ければ悟りに達することができるのでしょうか?

川野    ごめんなさい。私は悟っていないのでお答えすることができません(笑)。

安藤    そうですよね。果たして本当に悟りというものがあるのかどうかという話でもありますよね(笑)。菩薩仏教ですから、皆さん仏にはなっていないわけで。

川野    私に修行をつけてくれたお師匠さんや老師方に「悟っているのですか?」とは聞けません(笑)。
    でもおそらく悟っていらっしゃると思います。
    私は「この生き方を私は突き進んでいくんだ」という迷いのなさが悟りなのではないかと思っています。
    それは、疑問なく歩んでいけたら何の苦しみもないと思うからです。もし苦しみがあったとしても、それは全身の力に変わっていくことでしょう。
    ブッダは「この世はすべて苦しみである」というところからスタートして、「あらゆる苦しみを手放すのが悟りなのだ」と仰いました。「動中工夫勝静中百千億倍 (どうちゅうのくふうは じょうちゅうにまさること ひゃくせんおくばいす)」という白隠さんの言葉が残っていますけれども、坐禅だけではなく、日々の行動一つひとつを坐禅のような心持ちで、マインドフルに丁寧に丁寧に行っていく。そして自分に対する思いやりと他者に対する思いやり、周囲との和合を忘れずに自分の生き方を貫いていく。それが悟りにつながる道だと私自身はそう信じて。いろいろな活動をしております。
    私自身に悟りの体験はありませんがそうだと願っています。

白川    こういうご質問をされるということは、その方はいま、悟りへの入り口、修行の入り口に立っていらっしゃるということだと思います。坐禅をしていけば悟れると信じてやってみる。やっていくと「本当に悟れるのだろうか」と疑いが出てくるけれども、それでも続ける。それがまさに修行であり、禅宗における信仰だと思います。ですから、こういう疑問を持つというのは非常にいいことだと思います。
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(写真提供=白川宗源)

■おすすめの禅の本

──面白くてためになるようなおすすめの禅の本を教えていただけますか?

白川    それはもう、川野さんの本じゃないですか。

川野    おすすめの本と言うのはおこがましいです(笑)。せっかくですから宗さんおすすめの本を紹介してください。

白川    そうですね、禅の世界には老師の提唱という、老師が禅のことをお話してくださった講演録のようなものがたくさんあります。読むとそれぞれの老師のスタイル、それこそ悟りの形が見えてきますので、たくさんある提唱のどれかを手に取って読んでみていただくのがよいかと思います。「あ、禅僧ってこういう感じなんだ」とわかると思います。

川野    私も『無門関提唱』という本を修行時代に読みました。色々な老師の提唱が書籍になっていますが、私が出会ったのは「山本玄峰老師」という方の提唱でした。提唱は難しい本が多く、玄峰老師の『無門関提唱』も私にとっては簡単ではありませんでしたが、何かこう、人間として、禅僧としての気迫のようなものを感じたのを覚えています。

    私がおすすめするのは円覚寺の管長であられる、横田南嶺老師の書かれた本です。南嶺老師は禅の叡智を心の中に携えながらも、一般の人にわかる形で、いろいろなテーマについて本を書かれています。
    特に最近出された『十牛図に学ぶ』(致知出版社)という本は、横田南嶺老師が直筆で描かれた素敵な十牛図の絵と共に読むことができますので、ぜひ手に取っていただければと思います。手元に置いておくだけでご利益が――ご利益なんて言っちゃいけないんですけど、私にとりましては「ありがたい」と思える一冊であり、多くの方におすすめしたいと思います。
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■おわりに

前野    今日はお二人の本音のお話が聞けた気がします。臨済宗についてすごく理解が深まりました。本当にありがとうございました。最後に川野さん、白川さん一言ずつお願いします。

白川    今日は素晴らしい機会をいただきありがとうございました。一人でも多くの方が笑顔でゴキゲンに毎日を過ごせるような世の中になればいいなと思って、いろいろな活動をしております。これからも自分なりのやり方で、禅僧としての姿勢を示していければいいなと思います。
    皆さんとはまたどこかでお会いすることがあるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

川野    今日はありがとうございました。同夏の修行仲間である宗さんと、仏教や禅についてざっくばらんに話をするというのは実は初めての機会でした。皆さん、私たちのフリートーク(?)を熱心に聞いてくださって本当にありがとうございました。
    禅はやはり「場の持つ力」が大きいので、皆さんにはぜひ禅堂や、お寺の本堂で坐禅をしてほしいなと思います。大本山クラスの大きいお寺、たとえば建長寺でも円覚寺でも定期的に坐禅会が開催されていますから、その場所の持つ力や歴史、そしてそこで修行僧たちが長年に渡って修行をしてきたという空気を感じながら坐禅をされると、とっても良い気づきの体験になるのではないかと思います。家でマインドフルネス瞑想をするのもとても良い習慣ですが、お寺での坐禅はそれとはまた違った、「凛とした感覚」があると思いますので、ぜひお出かけになっていただきたいと思います。

前野    建長寺で毎年Zen2.0というイベントが行われていて、私は川野さんと対談したこともあるのですが、そのとき川野さんが普通は見られない修行道場を「今日、私が案内すれば見られますから」言ってくださって、見学したことをいま思い出しました。その前に川野さんと会ったのはポジティブサイコロジー医学会で、そこではマインドフルネスについての医学的な説明をされていたので、今日はいろいろ感慨深いです。
    今日は図らずも早慶戦になりましたね(笑)。白川さんは早稲田らしく攻めるバンカラで、川野さんはちょっと優しい感じが慶應ボーイだなあと。違いがありながらも、最後のところはピタッと一致している。その自由さが臨済宗の魅力でありお二人の魅力だなと感じました。なかなか味わい深いコンビでした。安藤さんは早稲田出身で私は慶應の教員なので、早慶戦が盛り上がって面白かったです。
    今日は本当にありがとうございました。

(了)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年11月15日    オンラインで開催
構成:中田亜希


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