アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「効率良く記憶術を身につけたい」という相談にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    本を読んだり人の話を聞いたりしても、すぐ忘れてしまって頭に入りません。一度読んだり聞いたりしたら忘れない方法はありますか?


[A]

■ここぞの緊張感こそが記憶術

    そういう方法はありません。この質問は、人間が決してやってはいけない、危険なことを訊いていますね。「本を読んだり、人の話を聞いたりしたものはすべて憶えておきたい」という願望は、人間にとってあまりにも危険なことです。本などを一度読んで、すべて憶えてしまったとしたらどれほど苦しいことか。
    人間がそれなりに成功して、幸福に生きるために必要なことは憶えるべきですが、その他の役に立たないことを憶えておく必要はまるっきりありません。なので「これは私にとってとても大切なことだ」という緊張感があると一発で憶えてしまいます。「これは私にとって必要だ。これが無かったら大恥をかくぞ」という緊張感こそが記憶術なのです。

■記憶は自然の流れで得るもの

    自分を追い込むこととは違いますよ。私が若い頃は本やノートを買うお金も無かったけれど、せっかく大学に入ったのだから、先生たちの腰が抜けるほどの研究をしてみせたかったのです。なので、授業を丸ごと理解しておくことが必要でした。だから誰とも話をしないでじぃーっと講義を聞いていました。自分にとっては必要なことだから素直に内容が頭に入るのです。決して無理はありません。お腹が空いている時に食べると自然にご飯がお腹に入ります。でも、食欲も無いのに無理に食べるとものすごく苦しいでしょう?    記憶というのは自然の流れで得るものです。これを特別な脳の運動としてやろうとするとかなり苦しくなってしまいます。

■忘れることを楽しんで記憶力を高める

    記憶力の技術を磨く方法は、まず「要らないものは憶えなくてもいい」と決めて、忘れることを楽しむのです。そして肝心な時に「これを忘れたら絶対にダメだぞ」と集中していれば、必要な情報は一発で心に刻まれます。このメリハリが必要です。養老孟司さんが「バカの壁」という言葉を使っていますね。私はそれをちょっと訂正して「要らないことには壁をつくっておけ」と言いたいのです。生きているのだからモノを憶えることは死ぬまで必要ですよ。なので、要らないことはサッと忘れて、必要なことはしっかり取り入れる。そうやって小さな時から「これは入れるけど、これは入れる必要はない」という〝壁〟を用意して欲しいのです。

■楽しまなければ記憶できない

    何より大切なのは人生を楽しむことです。楽しまなければ記憶はすべて抜け落ちてしまいます。生命というのは楽しむために生きているようなもので、モノを憶えるために生きているわけではないのです。憶えることで楽しみが増えるのだとわかったら、何の苦も無く憶えてしまいますよ。だから、「この本の内容は自分にとってどうしても必要だ」と思って、その内容を入れることを楽しむ。「ああ、儲かった。よかったなぁ」と。どうしても必要と思えば、だいたい一回で憶えられますよ。

■皆が忘れている「反芻の楽しみ」

    しかし、一回で憶えたものは短期記憶にしか入りませんから、時間が経つと消えてしまいます。もったいないことに、みんな記憶を自分のものにするための二番目の楽しみをしないのですよ。二番目の楽しみとは「反芻(はんすう)の楽しみ」です。牛がよくやっているでしょう。この楽しみはものすごく強烈です。本を読む時はまずその内容を楽しむ。そうすれば一時記憶に入りますから、二回目は反芻しながら楽しむ。二、三回と記憶の反芻をやれば忘れたくても忘れられなくなります。

■記憶術のコツは子供に学べ

    残念なことに、世の中でやられているのはその逆なのです。嫌なことやネガティブな記憶を何度も反芻して、自分からどんどん人生を不幸にする。だからみんな頭が悪いままになっています。単純に、幼稚園や小学生の子供のように「楽しくないならやらないぞ。絶対に楽しくやってやるぞ」という法則で生きればいいのです。本人たちは勉強しているつもりはなくて、ただ遊んでいるだけ。しかし、大人よりも猛烈なスピードで勉強していることになります。
    それを一生の生き方にして思う存分人生を楽しめばいいのです。生命の行動基準は、喜びを、幸福を感じることにあります。記憶する技術というのも、「幸福を感じる」ことの上に成り立っているのだということを憶えておいて下さい。

■具体的なポイント①……対象の世界に入り込む

    前節で記憶術について仏教的な見地から説明しました。今度は一般的に、私たちが勉強してモノを憶えるために、具体的にどうするべきか考えてみます。
    まず、本読んだり、勉強したり、講義を聞いたりする時は、いきなり自分がその世界に入り込むのです。あれこれと外側から見ることをせず、作家や講師がつくっている雰囲気・世界に入り込んで味わうのです。そうすると「私」という存在は薄くなります。例えば講義だったら、自分がその講師の心に入り込んで講義しているような気分で聞いてみる。本を読むならストーリーに没入して、自分も一緒にその役柄を演じる。ただそれだけ。入り込んでしまったら、作者や講師の意のままに操られるぐらい、自分を解放してしまうことです。
    勉強するものによって入り込み方はそれぞれ違います。例えば小説の場合は、自分で一つの役柄になることも出来るし、自分が作家になることも簡単にできます。ここでは、また子供の次元で考えて欲しいですね。物語を読む時「こんなのは嘘だ」と思って読むのではなく、物語の中に真剣に入り込むのです。シンドバッドの物語を読んだら自分がシンドバッドになりきる。そうすると、読み終わった時にひとつひとつ内容を憶えていてもう忘れることはありません。
    学術論文の場合はその学問に合わせてそれぞれ入り込み方があります。私の専門分野を例に出すと、哲学的な本を読む時は、その思想を発表した哲学者の脳細胞の中に入って、その人が思うとおりに、考えたとおりに心を持っていくのです。あまりにも難しくてわからなくても、いろんな工夫をして何とか入り込むのです。入り込まなければ一発で憶えることはできません。客として話を聞くのではなく、自分が舞台に上がって話している感覚に持っていくのです。

■具体的なポイント②……役柄を変えて演じてみる

    キリスト教と仏教を対立させている本があるとします。著者はキリスト教徒で、仏教を槍玉にあげて批判したりする。読者はヒンドゥー教徒であってもイスラム教徒であっても、あるいはまるっきり宗教を信じていなくても構いません。しかしその本を読んで一発で憶えたいならば、選ぶべき役柄は二つあります。自分もキリスト教になりきって読むか、逆に自分が反対側に回って著者を攻撃しながら読むかどちらかです。ただ憶えたいだけならば著者の立場になって、「自分も同意見だ、その通り!」という感じで読む。しかし、自分の知識をつくりたければ反対側に回るのです。ここでは仏教の側に回る。「お前は言っていることが変じゃないか。こういう風にも論理は成り立つぞ」と、自分も一緒に本を読みながらディスカッションに参加するのです。反対側の立場を取ってしまうと、自分の頭がさらに拡がります。賛成側にいると、内容を憶えるだけで終わる。どちらにするかは、目的にあわせて読む人が決めればいいですね。

■具体的なポイント③……ツッコミを入れる、冗談にする

    そのように、第一に読み聞きする対象に入り込むことです。そのうえで、いろいろと役柄を変えて演じてみる。または、真剣に真面目に反論しながら、ツッコミを入れながら読んでみるのです。同じように、ふざけて読むということも有効です。例えすごい内容が書いてあっても、自分なりの方法で、ふざけて冗談にして、楽しみに入れ替えるという方法もあります。

■理解があればデータはすぐ引き出せる

    入り込むことによって、わかりやすく物事を理解する。それだけで充分です。いちいちデータを憶えておかなくてもよろしい。みんなが間違っているのは、何年何月何日に何処における統計値がどうのとか、細かい数字を憶えることが格好いいと勘違いしていることです。そんなの頭の悪い人がやることですよ。インスピレーションも思考力も無い人がやることです。だからデータは憶えなくてもいい。その代わりに物事を理解しておけば、必要なとき瞬時に、本を開けてデータを出せます。
    私が推薦するのは、憶えるのではなくてその知識を自分のものにすることです。その方がたくさん知識を詰め込むことができます。単に記憶するという事に徹してしまうと、勉強ができないのです。俗的に言えば、記憶術とはそんなものです。


■出典     それならブッダにきいてみよう: ライフハック編1 | アルボムッレ・スマナサーラ | 仏教 | Kindleストア | Amazon

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