アルボムッレ・スマナサーラ(テーラワーダ仏教(上座仏教)長老)
Suttanipātapāḷi 5. Pārāyanavaggo 10. Kappamāṇavapucchā
※偈の番号はPTS版に準ずる。( )内はミャンマー第六結集版の番号
一流の学究者16人と、智慧の完成者たるブッダの対話によって導かれた真理を、スマナサーラ長老が現代的に解説していくシリーズ。今回は10人目となるカッパ仙人とお釈迦様の対話をお届けします。全5回の最終回。
第5回:質疑応答②時代に応じた説法~まとめ
■質疑応答2 お釈迦様がその時代の言葉で説法された意味は?
司会 もうひとつ質問があります。先ほどお釈迦様が説法をするときに、その時代の文化とか宗教の言葉を使わなくてはいけないという話をされていました。一つは概念自体の矛盾を突いていくということと、もう一つは概念を通じてその概念を超える説法をしていくという、私の理解ではそういう話だったと思います。たとえば現代社会で言うと、宗教よりも皆さん、科学に対する信頼のほうが大きいですよね。長老がよく科学の言葉を使ったりして説法されているのは、それもやっぱりお釈迦様がその時々の宗教や文化の言葉を使うということと、同じことなのでしょうか?
スマナサーラ 同じことです。だから、使う単語は時代に合わせなくてはいけないのです。真理は真理でそれはもう、変わらない。どうしようもないものです。私たちは言語を使っているでしょう? これは現代の言語であって、現代の文化であって、現代の知識からできた単語なのです。そこで、人間は概念に執着する。それは時代に関係なくそうだったのです。
昔は神やら悪魔やら悪霊やら妄想概念を作ってそれに執着していました。昔は悪霊を怖がっていた。だからもう、古い家で夜、ギーギーと音がするとみんな怖くなって熱を出してしまって、病気になったのです。それでどうしても祈祷師が来なければ治らない。今はそういう概念はほぼ消えています。それでも、私たちは今の言葉、今の概念に執着しているのです。だから、私たちの仕事は言葉と戦うことではなくて、「執着と戦うこと」なのです。今、皆さんはいろいろな宗教概念に執着しているのだから、そこはもうメッタクソに言うのです。科学は万能だと言うのなら、科学についてもボロクソに言います。それが今現在、我々が執着している概念だからなのです。未来はどうなるかわかりません。未来に説法する人は、未来人が使っている単語・言語・価値観を壊さなくてはいけないのです。ポイントはずっと、相対性をふっとばせ、乗り越えろ、ということです。相対的でなければ概念は成り立たないし、科学も成り立たないのです。
たとえば、「あなた方が持っているものになんでも火を点けて燃やしてあげよう」とするなら、いろいろなものを持ってきて燃やそうとするでしょう。「私」の仕事は火を点けることです、と。しかしそのとき、ライター1本でなんにでも着火できますか? できないのです。ライターで火が点くものもあるし、もしかするとなにか化学物質を使って火を起こすはめになる難物もあるかもしれない。とにかく「私」がすべきことは、人々が持ってきたものに片っ端から火を点けて破壊することなのです。
だから、みんなが紙を持ってくるならば「はい、はい次」「はい次」とライター1本で済みますけど、人間は必ず紙だけを持ってくるわけではない。プラゴミを持ってくる人もいるかもしれないし、あるいは割りばし1本を持ってくる人もいるかもしれない。そんななかで、味噌を持ってくる人がいたらどうしますか? それでも火を点けなくてはいけないのです。火を点けて味噌を破壊しなくてはいけないのです。その場合、私は味噌が沸騰して消えるようななにか化学物質を使わなければいけないでしょう? あるいは包丁を持ってきた人がいたら「はい、ライターで」とはいかない。アセチレン・バーナーを持ってきて包丁に当てて、金属を溶かさなくてはいけないのです。だから、仏教の仕事が執着をなくすことであるならば、どんな概念に執着しているのかに応じて、その概念の欠点というか、弱いところを教えなくてはいけない。というわけで、説法の場合は時代に応じた単語を使わなくてはいけないのです。そういうことです。
■講義のまとめ
では、最後に今回のポイントをまとめます。Akiñcanaṃ(アキンチャナン)という言葉を覚えておいてください。Akiñcanaṃとは「執着がない」という意味なのです。でも、そう簡単にその訳には至らない。その裏には大きなファンクションがあって、今日の経典のポイントはそこなのです。ようするに「執着したければ執着しなさい」、あるいは「執着しないことにしなさい」という、両方を提案している。両方を提案して、こちらを選んだらこうなる、こちらを選んだらこうなるということを説明したいがために、kiñcanaṃ/akiñcanaṃ(キンチャナン/アキンチャナン)という対語を使っているのです。
「卵のたとえ」を繰り返すならば、卵(生きること)とは白身(老)と黄身(死)そのものであると知ったうえで、それを食べてもいいし、食べるのを諦めてもいいのです。食べることに決めたならば、kiñcanaṃになります。そのとき、どちらにしようかと選ぶたびに苦しみを感じます。何かの方法を選んで食べても、それは唯一絶対的な料理法ではないので、不満がついてきます。ですから、kiñcanaṃの道は苦しみの循環です。食べることを諦めたら、akiñcanaṃの選択になります。それが一切の苦しみをなくす道なのです。
(完)
2017年11月10日 ゴータミー精舎での法話をもとに書き下ろし
構成 佐藤哲朗
第4回:質疑応答①仏教の「老」の定義
お知らせアルボムッレ・スマナサーラ[著]
『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」』
紙書籍のご紹介
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智慧の完成者たるブッダの対話によって導かれた真理を、
鮮やかな現代日本語でわかりやすく解説する。
第一巻
Ⅰ アジタ仙人の問い
Ⅱ ティッサ・メッテイヤ仙人の問い
Ⅲ プンナカ仙人の問い
Ⅳ メッタグー仙人の問い
第二巻
Ⅴ ドータカ仙人の問い
Ⅵ ウパシーヴァ仙人の問い
Ⅶ ナンダ仙人の問い
Ⅷ ヘーマカ仙人の問い
【以下、第三巻以降に収録予定】
Ⅸ トーデイヤ仙人の問い
Ⅹ カッパ仙人の問い
Ⅺ ジャトゥカンニン仙人の問い
Ⅻ バドラーヴダ仙人の問い
XIII ウダヤ仙人の問い
XIV ポーサーラ仙人の問い
XV モーガラージャ仙人の問い
XVI ピンギヤ仙人の問い
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スッタニパータ 第五章「彼岸道品」
第一巻
アジタ仙人の問い/ティッサ・メッテイヤ仙人の問い/
プンナカ仙人の問い/メッタグー仙人の問い
アルボムッレ・スマナサーラ[著]
スッタニパータ 第五章「彼岸道品」
第二巻
ドータカ仙人の問い/ウパシーヴァ仙人の問い/
ナンダ仙人の問い/ヘーマカ仙人の問い
アルボムッレ・スマナサーラ[著]