インタビュー  木村衞(映画監督)

後編「仏の世界と、極道の世界」


■『DAIJOBU』の由来

──前回は最晩年の老師と過ごした時間は、安楽な時間だったというお話をうかがいました。映画のタイトル『DAIJOBU―ダイジョウブ―』は、そのような意味が込められているのでしょうか?

木村    「DAIJOBU」は、村上老師の師匠の澤木興道老師の「人生どっちにどう転んでも大丈夫」という言葉からいただきました。老師が出演されたNHKの番組の書き起こしがネット上にあり、この言葉が印象に残っていました。それで撮影をはじめて2年から3年目ぐらいにタイトルをどうしようかと真剣に考えてるときに、この言葉にある「大丈夫」が思い浮かび、ぴったりだと思いました。それで、調べてみると「大丈夫」は古い仏教のお経では菩薩という意味があり、武士道では強者という意味があることが分かりました。この映画の主人公である村上光照老師とヤクザの川口和秀親分のお二人を見ると、村上老師は仏道で、菩薩。川口親分は武士道で、強者。任侠道は武士道の流れにあるものでしょうし、川口さんは武士みたいな人で、村上老師は菩薩みたいな人です。若き日の村上老師が澤木老師の元に参禅していた頃、何人もの雲水がいる中で、澤木老師は村上老師のことをじーっと見ていたそうです。それで、その場なのかその後なのかわかりませんが、「お前は菩薩道を歩け」と言われたそうです。それから老師は、澤木老師が御つかいに行く時はよくお伴をされるようになり、いつもは恐い澤木老師がその時は優しくて、お弁当などを買ってくれたそうです。
    話しはそれましたが、『DAIJOBU:大丈夫』の言霊にはとてつもなく深い世界があると思いました。そしてその響きは今の恐怖に覆われた世界にこそ広がってほしいと……『願い』と言ってもいいかもしれません。


■細い道を歩かれている方だな

──映画では老師が川口和秀氏と直接会っているのは初対面の時と、身体が弱くなった老師を背負った時の2つのシーンですが、実際もこの2回だけなのでしょうか?

    そうです、結局2回しか会っていません。ですから、川口さんが本気で老師から禅の手ほどきを受けたいと思っていなければ、山の中の禅道場に通ったり、内観を受けることもなかったので、成り立たなかった作品ですよね。
    川口さんはもともと禅に非常に探究心を持っていました。刑務所の中で禅宗の教誨師の方から言葉をかけられて、感じるところがあったようです。

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二人の初対面のシーン(映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』より)
──お互いそれぞれの存在をどのように知ったのですか?

    川口さんには企画を始める前に私から口頭で「本当に珍しい、本物のお坊さんがいる」と説明しただけです。老師には仲立ちをしてくれた出版関係の方が、川口親分という人が禅の手ほどきを受けたいと言っていると伝えて、川口さんの『獄中閑 我、木石にあらず』(2017年、TAO LAB BOOKS)という本を渡しています。

──川口氏は、村上老師にどんな印象を持たれたのでしょう?

    お会いする前は映画でも言ってますが「化けの皮を剥がしてやる」とか、もしかしたら「わしの体験のほうが、上かもわからへん」といった気持ちがあったのではないですか。22年間も刑務所に入っていた方なので、そのへんの気合の入り方は普通の人とは違いますよね。おそらく「禅僧だなんていっても、半端な奴だったらケツまくったるぜ」みたいな気持ちだっのではないでしょうか。
    でも、「会ってみたら、そんな人ではなかった」と言ってました。さらに「細い道を歩かれている方だな」とも言われました。付け入る隙がなかったではありませんが、そういう印象を受けたみたいですね。初対面の時にあしらわれたことも、それは禅の流儀だとわかっていたようです。
    そのあとで老師と別件で電話で話したときに、「あの川口さんという方は、美しい生き方をされてますね」と言われました。事前にお渡ししていた『獄中閑』を読まれていたようです。その本には川口さんの自筆も載っていましたが、「字も綺麗だけど、生き方も美しいなあ」と言われました。それを川口さんに伝えたらすごい喜ばれましたよ。流儀とはいえあしらわれた後だけに、本当に嬉しそうでした。


■内観

──川口氏は老師からどういう影響を受けたのでしょうか。2022年にヤクザをやめて堅気になられています。映画では明示的に描かれていないと思うのですが、そこに老師の影響もあったのでしょうか。

    結局、最初に会ってから二度目(最後)に会うまでお二人は会っていないこともあり、老師が川口さんに何か言ったり、川口さんが老師に何か聞いたわけでもありません。でも、二人の間で見えないやり取りがあったと思います。特に川口さんは影響を受けたと思いますね。
    それから、内観の影響も大きかったと思います。老師が道場に来られると聞いて行っても、来られないことが何度もありました。それで老師に「川口さんと会っていただけないですか」とお聞きしたら、「内観というのがあってな」と内観の話が出てきたので、「あ、これは内観に行けということだな」と思いました。
    それで、老師のサポートをされている宮下さんという方から、老師と縁のある内観道場を教えていただき、川口さんに伝えました。そうしたら一人で行かれました。普通、親分が一人で行動しませんよ。危ないじゃないですか。しかも内観は一週間も道場にこもりっきりでやるものです。

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ヤクザの親分時代の川口和秀氏(映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』より)
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屏風で区切られた狭い空間にこもり内観をする川口和秀氏(映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』より)

■ヤクザの親分の変容

    これは僕の印象ですが、川口さんがヤクザをやめるきっかけになったのは、組の問題とか、物理的なことが色々あったと思いますが、やはりヤクザとしての川口さんが、ある種滅びたんじゃないかと思うんですよね。崩壊したというか。
    結局、ヤクザの世界は任侠道のような仁義を重んじる世界もありますが、一方では生々しくて、ものすごい世界ですよね。人間界の中の欲望とかドロドロしたものが、最も強く現れる世界です。そういう人間たちが集まってくるところだと思います。
    そこで影響力を持ってやっていた川口さんのなかにも、綺麗ごとだけではない部分はあったはずだと思います。それは当然ですよね。実は、お会いした頃に「ヤクザをやめるようなことはありますか?」とお聞きしたら、「ない」と言われました。「もらった盃だから、これを返すわけにいかない。自分はヤクザの道を行くんだ」というような感じでした。だけど撮影した7年間で堅気になった。
    その間、川口さんは老師に何度も会うことを断られても、一生懸命道場に通って、畑に撒く種団子を持って行ったり、ハスの花を育てようとしたり、挙句の果てに内観まで行きました。結局、自分でもコントロールできないところで、川口さんもちょっと変容したのではないかという気がします。
映画『ヤクザと憲法』(2015年、東海テレビ放送)のプロデューサーの阿武野勝彦さんがこの映画を観て、最初の頃と、最後では川口さんの顔が全然違うと伝えてくれました。「顔が変わったね」と。映画をつぶさに見ると、そういうところがわかると思うんですよね。

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老師が不在の道場を訪ね、畑仕事をする川口和秀氏(映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』より)

■求めるものがあった

──川口氏がそこまでしたのは、何か求めるものが強くあった。

    はい、それは強かったと思います。だって、僕のような無名の人間がいきなり現れて、「こういう映画を撮りたい」と言い出しても、相手にしなくていいわけですよね。しかも、「こんなお坊さんがいますよ」と言われて、自分の時間をとってわざわざ会いにも行った。普通、川口さんのような大親分が、山奥の畑や禅道場に一人で行かないと思います。内観を丸一週間も内観道場のふすまの中にこもりながら、好きな酒も断ってやりません。ですから、川口さんは本気だったと思います。
    僕もそうです。前作の『Aloha Deathアロハ・デス』は、東日本大震災で衝撃を受けて、旅に出て5年間かけてサーファーの精神性を撮りました。今作の『DAIJOBU―ダイジョウブ―』はその延長線上にあります。僕自身も、求めてるものがすごくあると思うんですよね。

──木村監督の求めるものとは?

    人間の深みと言いますか、どこまで内に入ったところの世界と言いますか。そこを探求した人として村上老師のような人は、そんなにいないと思うんですよ。お坊さんといっても、だいたいお寺に入って、あらかじめ守られてるわけですよね。老師はそういうものから全く超越して過ごされて、自ら「人間界にいない」と豪語するぐらいですから。中世の頃のお坊さんと同じように、歩まれてきてるわけです。だから川口さんも当然、影響を受けると思うんですね。

──映画の後半で川口和秀氏が老師のことを「稀有な人やから」と表現する場面があります。強い言葉ですが、お話をうかがっていると、見えないところでのつながりがあった。

    そうですね。編集していくときに、ナレーションなどでフォローすることも考えましたが、やめました。それをすると僕の主観になってしまうので、起こったことを時系列で繋いでいくだけにしました。


■破竹の笑顔

──老師は最後の7年間で、仏の世界から、こちらの人間の世界に戻って来た。そして川口氏もこの7年で極道の世界からこちらの堅気の世界に戻って来た。映画では描かれていない物語が背景には流れていたのですね。

    そうですね。極道の世界と老師がいた世界、どっちが低い高いということじゃなくて、普通の人が住む世界とは異質な場所ですよね。お二人ともその別の世界から、この7年をかけて戻ってきたところはありますね。
    結局、最晩年の老師は、独居で身寄りがなくて、認知症でお金もない。それは普通の人間からみたら絶望的な、「ああは、なりたくないよね」という世界の話じゃないですか。普通の人間は、それを恐れますよね。だけど僕はその姿を近くでつぶさに見てきましたが、老師は全く恐怖心とかなかったですね。明るかったですよ。明かるく生きて、すぱっと死んだ。
    亡くなる1ヶ月ほど前には相当よれていて、蓮華座も組めなくなり、腰を入れようとするお姿とか痛ましいものがありました。でも、仏間の祭壇にある澤木老師とご両親の写真には、すっと手を合わせてお経をあげられていた。認知症とはいえ、最後までそういうところはしっかりなさっていました。
    確かに冬の寒い時期に、半裸で部屋を行ったり来たりしている姿なんかを見ると、痛ましいものもありましたけど、だけど本人はいたって明るい。世間から見ると絶望的な状況でも、破竹の笑顔が出る。ああ、すごいなと思いましたね。


■お寺で働くのも老師のご縁

──ところで木村監督はこのインタビューの場所に、慈恵院を指定されました。今はこちらで寺男として働かれています。仏教との縁は村上老師との出会いからですね。何か関係があるのでしょうか。

    この春、村上老師が亡くなって、映画の方も一段落したので、少し働こうと思いました。できれば作務がしたいので、求人募集をしているお寺がないかと検索したところこのお寺が出てきて、家からも近いので応募したら、ありがたいことに採用されました。
    作務と言いましたが、ここの仕事は掃除や草むしりがメインで、お参りに来た方に花を売ったりもします。それから保護猫の世話もします。猫の世話は楽しいですね。
    実は、入ってすぐにお寺の実務を取り仕切る方に、僕の映画『Aloha Deathアロハ・デス』を観たことがあると話しかけられて、驚きました。あの作品はサーファーの間ではそれなりに有名ですが、本当にニッチな作品です。一応、映画館で公開されましたが期間は2週間ぐらいで、しかもナイトショーでした。その後、各地で何回か上映された程度なので、映画館では観た人はごく限られていると思います。

──ご縁に引き寄せられた感じですね。

    本当にご縁としか言いようがないですね。お寺で働くことになったのも、村上老師のお導きかなと思っています。作務をしたいとか、お寺で働きたいとか、老師と会わなければなかったですね。

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臨済宗の禅寺である浅間山慈恵院府中本山
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境内の池には錦鯉が泳ぐ
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慈恵院の本尊の釈迦如来坐像は台湾の仏師・宋雲章師が明治から昭和初期にかけて制作。令和4年の新本堂の落慶に合わせて、京都平安佛所の仏師・江里康慧師の手により当時の姿を再現するよう修復が成された。
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慈恵院本堂でインタビュー。天井の龍画は神本和思画伯によるもの。

■老師の教え

──最後に、老師の晩年の7年間を一緒に過ごされ、身体が弱り、死にゆく姿をそばで見ていて、そのなかで学んだことは何でしょうか?

    それは死を恐れなくていいということですね。もちろん、まだ怖いですよ。家族とか、いろんなものと別れなくてはいけないですからね。だけど、何か根底で安心みたいなものはいただきました。
    実は、村上老師が遷化された数ヶ月後、父がこの世を去りました。前作の『Aloha Deathアロハ・デス』の時も、ちょうど同じタイミングの映画公開の直前に母を亡くしています。映画のテーマである「死」を、お前自身は受けとめることができるのかと、重い問いをぶつけられているようでした。
    ですから、今「死の恐怖が無くなりました」とあまりにストレートに答えた自分が不思議でしたが、思えば、母の死後すぐに村上老師と邂逅し、その後7年間に渡り老師の言霊を浴び続けたことで、この身に染み込んだものがあるのだと思いました。ですから、父の「死」のプロセスを受け止める私自身に悲しみはあっても、恐怖はありませんでした。
    村上老師は「何度でも死んでやるぞ!」と豪語していました。そして、その言葉を体現するごとく、スパッと去って行きましたが、近しいお兄さんの「死」には悲しみを発露されました。それまで、僕は悲しみを超越することを求めていましたが、村上老師のお姿を見て、悲しみは超越するものではなく受容するものだと気づかせていただきました。何であれ超越すべきものは超越しなければ恐怖の元になります。それを村上老師が、身をもって教え示してくださりました。
    そういう意味では、村上老師とのご縁は、本当にこれ以上のご縁はないというところです。

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老師と川口氏の2回目の交流の場面(映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』より)
(了)

2023年8月30日
浅間山慈恵院府中本山本堂にて
取材・構成:森竹ひろこ
クレジット写真以外の撮影:編集部、森竹ひろこ
ヘッダー写真:村上光照老師(編集部)、木村衞監督(森竹ひろこ)


前編「村上さんはね、昔は神様だったけど、今は人間界にいるんだよ」


【お知らせ】
村上老師と世話人の方々が長い年月をかけて完成させた山の道場があります。静岡県川根の山深い場所にあり、老師をして理想の立地と言わしめた場所です。残念ながら、村上老師がその道場で座禅指導することは叶いませんでした。世話人の方々は老師の遺志を引き継いで、新しいサンガの場となることを望んでいます。摂心、座禅教室などで道場の使用を希望する方は是非お問い合わせください。(木村衞)

連絡先 世話人代表 山本氏
teltamatadahide@gmail.com


『DAIJOBU─ダイジョウブ─』

村上光照老師の晩年の7年間を記録した映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』が9月9日(土)より公開されます。村上老師とともに描かれるのは、撮影当時はまだ現役のヤクザの親分で、ヤクザと人権問題をテーマとして話題となった2015年の映画『ヤクザと憲法』に出演した川口和秀氏。二人の出会いとその後が描かれたドキュメンタリーです。

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【公式ホームページ】
http://daijobu-movie.net/
出演:村上光照、川口和秀
プロデューサー:石川和弘
監督・撮影・編集:木村衞
サウンドトラック:笹久保伸
エンディングテーマ曲:細野晴臣「恋は桃色」
ナレーション:窪塚洋介

【劇場情報】
●新宿K'Sシネマ
2023年9月9日(土)~
https://www.ks-cinema.com/

●大阪    第七藝術劇場
2023年10月7日(土)~
http://www.nanagei.com/

●アップリンク吉祥寺
10月20日(金)~
https://joji.uplink.co.jp/

●横浜    シネマ・ジャック&ベティ
2023年10月21日(土)~
https://www.jackandbetty.net/

●名古屋    シネマスコーレ
近日公開
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/

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