アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「フラットな世界をつくるために」です。

[Q]

    「現代的な言葉で言えば、和合は民主主義の教え」という言葉をお聞きして、和合の大切さがわかった気がします。しかし実際問題、制度だけは民主主義になっても、人間が組織を作ると必ず強力なリーダーが現れます。指導者のいない組織というのはなかなかイメージできません。仏教の組織論について、もう少し教えていただけないでしょうか?

[A]

■独裁者がいない世界


    仏教は「独裁者がいない世界」です。仏教は独裁的なリーダーを作らずに、民主主義で仲良く活動できないかと、世にありえないことを実践しているのです。生命は本来自由でしょうし、束縛されていることは問題なので、その問題を解決しましょうとお釈迦様はおっしゃっているのです。「縛られていると苦しいから、それから救われるために他の独裁者に従ってください」というのが世の中にある宗教ですね。それは、やけどで苦しんでいる人に、こちらの焚き火に飛び込んでくださいと勧めるようなものです。つまり、小さな苦しみを大きな苦しみで隠してやろうという方法論なのです。
    お釈迦様は、生命は本来自由であると説きました。しかし、現実には自由ではありません。そのように自由で無いのは他人のせいではなく、自分のせいであると教えたのです。生命は束縛された環境の中で、いろんなものに執着して離れられなくなり、他に依存して生きています。お釈迦様は自分で自分の心を自由にすべきだとおっしゃって、そのための方法を示したのです。

■それぞれの能力を出し合うのが民主主義

    組織を作るのはいいけれど、束縛し合う関係ではなく、仲間として生きていくことが大切です。民主的に組織運営するには慣れてないと難しいのです。理性が必要なのです。誰かがマネジメントするとリーダーになって他の人々に命令したがります。それでは民主主義になりません。民主主義とは、各自が持っている能力を社会のために提供することです。お互いの能力を出した時に民主主義の組織になる。それでお互いに幸せです。みな自分ができることをやっているのだから、自分は楽しいし、周りにとっても楽で便利なんです。周りも自然に心が明るくなって、助かった、よかったと喜んでくれます。
    できる能力を提供するというのはいたって簡単なことです。世間では能力が無いのに努力することを誉めますが、仏教は大反対です。民主主義の組織では無理なことを努力するべきではありません。人間それぞれ何かしらできることがあります。自分にできることで仲間に貢献してあげるのが大切なのです。これは全然無理ではないし、むしろ楽しいことです。何かをやる時、楽しいか否かチェックしてみてください。できないことをやっていると楽しくありませんし、できることをやっていると楽しくなって、時間も忘れて、過労も全く無いのです。

■リーダー願望の危険性

    そういう組織・仲間ができれば、とても幸福で楽しいということですね。しかし、そのためには理性が必要なのです。自我を張ることではありません。自我を張ると、本来は自分にできないことまでしようとしてしまいます。人を抑えつけて管理し、偉そうに命令しようとします。そういう振る舞いが〝自我を張る〟ということです。それで皆、嫌になって協力しなくなってしまい、人々をあらゆる規則で束縛しないといけなくなるのです。それを繰り返すうちに強力なリーダーが現れて、恐ろしい独裁的な組織ができあがってしまうのです。
    リーダーが必要だと思うのは少々勘違いです。リーダーに管理される組織は自由ではありません。そのような組織のメンバーになることは、自ら喜んで束縛されることです。目的があって組織を作り、メンバー全員がその目的に達するために努力しなくてはいけないのです。それだけでも和合を保てます。調和が生まれます。メンバーたちは皆、様々な能力を発揮できます。明確に理解しやすく伝えるのが上手い人がいれば、皆に必要な情報をアナウンスする役割はその人がやれば楽ですし、管理能力がある人がいれば、その人が運営などを管理すれば良いのです。皆に愛される人気者がいれば、マスコット的にまとめ役をすれば良いでしょう。文章を書ける人は文章を書く、絵の能力がある人はイラストを描いてあげる、などの各々が持っている能力を出しあうならば、文字通りの民主主義的な組織になることでしょう。


■出典   

人間関係編.jpg 151.38 KB