アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「集団意識は正しいのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   
現代社会では、世の中の集団意識が正しいように、また常識のようになっていますが、それをどのように捉えればいいのでしょうか?    やはり気にしないようにした方がいいのでしょうか?
 

[A]


■みんなの意見が正しいとは限らない

    集団意識だからと言って、決して正しいわけではありません。集団意識とは多くの似通った意見・意識・思考がまとめられたものです。怒りの意識を持つ人は、他の怒っている人と引き合ってしまうのです。嫉妬の意識を持つ人は他の嫉妬している人々と繋がって組織を作ります。お互いすごく仲が良くなってしまうのです。だからと言ってそれが正しいという事にはなりません。人々の意識が繋がるとどうしても力が強くなってしまうだけです。
    例えば、他を憎む人々がいると、その人たちがお互いに仲良くなって強大な力になってしまいます。そうすると危険です。逆に「生命を慈しみましょう」という人々がいて、お互いに仲良くなってそう思う人が増えていくと、これもまたものすごい力になります。つまり、そのひとつになる意識、思考自体が善か悪かということが肝心なのです。
    私たち一人ひとりの力は弱いので、だいたい仲間と一緒に行動することになります。これは避けられないことです。「仲間」を作るのはいいですが、「善い仲間」を選ばなくてはいけません。思考が汚れている仲間だったら、その人の性格を直すか追い出すかのどちらかになります。
    ですから、集団意識の場合、いつでも多数の意見・意識が正しいわけでありません。それだけ憶えておいてください。意見・意識のひとつひとつが善でなければならないのです。

■集団意識の力に気をつける

    集団意識には力があります。例えば隣国との間で緊張が高まると、国民がみんな同じ意識になって、「団結して敵をやっつけよう」と張り切ってしまいがちです。そうすると本当に戦争を始めることになってしまいます。総理大臣が戦争をしたくても、他の議員たちが反対したら戦争はできません。総理大臣や国会議員たちがみんな賛成でも、国民が反対すれば戦争はできません。悪い事にせよ善い事にせよ、たくさんの人々が集まった方が力強いのです。ですから、悪い意見・意識が力を持たないように気を付けなくてはいけません。
    決して過半数を取ったから正しいということにはならないのです。これはブッダの教えです。私たちは、一般的に過半数を取ることが民主主義だと思ってしまいがちです。どうでもいい事だったら過半数を取った方に決めてもいいでしょう。昼食をラーメンにするかうどんにするか五人で考えて、三人がラーメンという意見だったら、どうぞラーメンを食べてください。でも、それはどうでもいいことの場合です。
    誰かを殴るべきか/放っておくべきかという話だったら、多数が殴るべきという意見であっても、それは根本的に間違っているのです。放っておくべきという残り二人の意見が正しいです。ということで、多数・過半数を取った意見が、必ず正しいわけではありません。間違っているか正しいかは、その意見の内容によって決めなくてはいけないのです。



■出典      『それならブッダにきいてみよう:人間関係編」

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