アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「理性とはどういう意味ですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   「理性」という単語の意味がよくわかりません。どういう意味ですか?

[A]

■俗世間の「理性」定義は曖昧中途半端

    辞書を開いても「理性」の意味がわかるとは思えません。英語では「Rational(ラショナル)」という言葉にあたります。この単語も変です。Rationalという単語も「Reason(リーズン)/理屈、理由」という単語から派生したもので、英語でもわかり難いのです。一応、Reasonは理論という意味ですが、困ったことに理論は悪いことにも使えるのです。例えば、〝こういう理論が成立するので某国に原子爆弾を落としましょう〟と理論立てて主張することもできます。しかし、それは「理性」による判断とは言えません。英語の単語も曖昧で中途半端なのです。

■感情・好き嫌いで決めない

    ブッダの教えから質問に答えます。理性とは「感情で決めない」「好き嫌いで決めない」ということです。客観的に状況を見て決めるということで充分です。人間に当てはめてみれば「私の好みでも、相手の好みでも決めません。どちらがより良いのかというポイントで決めます」ということです。
    そういう基準で判断して、完璧に正しい答えが出なかったとしても構いません。どうせ人生は不完全なのですから。例えば、子供はマンガを読みたい。その時親は「マンガを読むな」ではなく、「マンガって面白いね。こんなマンガを読んでみたら?    私も読みたいから一緒に読みましょう」と、役に立つテーマのものを選ぶとか、動物の世界や歴史を勉強できるもの、人生のことが学べるような作品もあるようですから、そういうマンガを一緒に読んでみるとか。それが理性的なやり方です。

■主観の押しつけをやめる

    子供が「このマンガを読みたい」と言って、親が「はいどうぞ、ご自由に」と言うと、子供の好みに乗ってしまっただけであって、理性的なやり方ではありません。また「いや、マンガは止めなさい。こっちの文字の本を読みなさい」と言ってしまったら、それは親の主観の押しつけであって、子供は不幸になります。ですから、どのようにすれば結果が良いのかと客観的に考えて行動すべきなのです。
    相手に対して私の意見を完璧に理解して欲しい、受け入れて欲しい、希望通りにして欲しいと思うのは、主観の押しつけであって客観的な態度ではありません。自分が相手の意見だけを一〇〇パーセント受け入れるのも「自分自身への人権侵害」です。せっかくの自分の意見はどうなりますか?    両方ともけしからんことなのです。

■ベストを尽くす

    ですから、会社であろうが家庭であろうが、みんなの役に立つ方向で判断することが俗世間における「理性」なのです。定義はその程度にしておきます。あるいはもっと簡単に「ベストを尽くす」という意味に理解してください。「What is best?」と考えて行動する。何がベストかわからないとしたら、「What is better?」と考えてみる。自分の能力範囲で、何がより良い選択か考えて行動してみてください。それが理性で生きるということです。頑張ってみてください。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』   

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