【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは本音で話すことの是非についてです。
[Q]
人から軽蔑されたくないので、本音を口には出せないことってありますよね? 綺麗事では「なるべく本音で生きた方がいい」と言いますが、実際にはトラブルの元なので本音は言わないというのが普通の生き方になっています。仏教的には本音をズケズケしゃべるのは良くないのでしょうか?
[A]
■二種類の「本当の気持ち」を区別しましょう
そもそも本音とは何でしょう? 私が訊いてみたいです。自分の使う言葉に気をつけて「本音とは何なのか」と確認した方がいいと思います。本音とは「本当の自分の気持ち」ということでしょう。それが恥とか一概に決められるでしょうか?
「本当の自分の気持ち」には二種類あります。一つは感情で思ったこと。もう一つはちゃんと論理的に考えて出てきた答えです。
そこで、その本音が「感情の本音」であるならば、絶対に口に出すべきではありません。なぜなら感情というのは欲と怒りと無知ですからね。だいたい感情が本音になった時、人間は絶対言ってはいけないことをズケズケとしゃべっているのです。例えば怒りが出てくると嫌味を言ったり、貶したり、汚いことばかりをする。それが感情の本音なのです。欲が出て来たら、目をまん丸くして口を開けてみっともないぐらいしゃべります。すごく恥をかいているのにその時は全く遠慮しない。だから感情というのは恥ずかしいもので、自分でコントロールしなくてはいけないのです。好きになった人ともっと仲良くしたいと思って、相手に自分の欲をむき出しにしたら即逃げられますよ。怒って人を抑え込もうとしたところで、却って相手に強烈な怒りを植え付けてしまい、さらに手強くするだけです。それは結果的に負けなのです。
しかし一方で、論理的にいろんなものを観察・考察したことにより、「自分の意見」というものが出てくるので、それは人に言うべきです。もしかすると却下されるかもしれませんが、相手の考察が自分のそれを上回っていたのだからむしろ勉強になります。批判されたらしっかり吟味して理解する。そうやって立派な人間になれるのです。
しかし世間は「自分が考えたこと・本音は言わない方がいい」という風潮です。そうなると人間関係は社交辞令だけの形式的なものになってしまい、とてもつまらなく寂しいです。やはり、思ったこと感じたことを素直に話せる相手がいた方が楽しいですね。ただ問題もあります。自分の心の中を知られたらたまったものではありません。なぜでしょう? 心の中では妄想し放題で、ろくなことを考えていないからですね。本音をしゃべり出したら、汚水が詰まった下水道が決壊するような大惨事になります。ではどうしましょう? 清らかで有意義な、理性的な思考でいるように精進することです。妄想は悪行為です。良い思考は善行為になります。こころの中身が誰に覗かれても驚かれるほど美しければ、本音をペラペラしゃべれるでしょう。人としゃべる時にストレスを全く感じなくなりますし、おしゃべりが善行為になるという、立派な人間になれるのですから。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:人間関係編』