田口ランディ(作家)
伝説の禅僧といわれ、一処不住で遊行し、修行に一生をささげた修行僧がいます。村上光照老師。『サンガジャパン』などの仏教雑誌での記事や、NHKの『こころの時代』に数度にわたり出演した以外ほとんどメディアには出ず、伊豆・松崎にある庵「安樂庵」を拠点に、全国、世界をめぐっていた。京都大学大学院で湯川秀樹博士のもとで理論物理学の研究をする研究者から、名僧・澤木興道老師に出会い研究者の道を捨て仏道修行の道を歩んだ。その華々しい青年時代の経歴と、その後の地下に潜るような修行者として歩み。なかなかその全体像をつかめないことから「伝説」と呼ばれたのだろうか。その村上光照老師は今年2023年1月22日、自身の誕生日の翌日に「安樂庵」で86年の生涯を閉じ遷化された。今回は、老師の遺徳を偲び、ゆかりの方たちに老師のエピソードをつづっていただきました。
第3回は、晩年の村上老師と親しくされていた作家の田口ランディ氏による村上光照異聞。ランディ氏を中心とした村上老師の親睦会グルーブが遠足した時の写真も交えて一挙掲載!
■村上老師は、「びっくり」する。
村上老師は、「びっくり」する。
訪ねていくと、まるで私がテレポーテーションでいきなりその場に現れたみたいに「ランディさん、おやまあ!」と目を見張る。「光照さん、こんにちは」「はい、こんにちは」「遊びましょ」とふざけて言うと、「遊びましょ」と歌うように言う。
待ち合わせをしていてもそうだ。
待ち合わせ場所はホテルの前だったり、スーパーの駐車場だったりする。たぶん、どこかの誰かがそこまで老師を運んで来て、それを私が拾うからだ。老師の姿は、遠くからでもすぐわかる。ふつうじゃないから。ふつうの人は目的を目指して動いている。立っていることにも目的があり、そわそわしたり、いらいらしたり、あるいは時間をつぶすために何かをしている。何もしていない人は案外と少ない。
老師は、何もしないでそこにいる。だから目立つ。
いつもうれしそうにしている。なんとも晴れやかな様子でそこにいる。人を待っている風ではなく、ぼやっとしているわけでもなく、生き生きと快活に、そこにいて息をしている。
「光照さーん」と呼ぶと「はあい」とこちらを見て、やっぱり「これはこれは、ランディさん!」と驚いた顔をするのだ。
「光照さん、待ち合わせしたんだから私が来るのは当たり前でしょ。なんで驚くの?」
だいたい私の質問には答えない。にこーっと笑うだけ。
「さっきね、大きな鳥が糞を落としていきました」とか、とてもゆったりした口調で空を見上げて言う。
あっそう、って思う。私は早く次に移動したいので「じゃ、行きましょう」と、老師の腕をとって歩き出すのだ。老師はニコニコしながら言われるままに歩き出す。まるで初めてスーパーの駐車場に来たみたいに、あちこち珍しげに見ている。
「老師は認知症の人みたいです。なんでも初めて見たみたいだ。私は以前に認知症のグループホームを取材したんですが、10分ごとに初めて会ったような顔をされました」
そう言うと、老師は嬉しそうに「その方たちは一期一会を生きておられる」と言った。
実際、老師はコロナ禍が始まった年に転んでから認知症が進み、ほんとうに人の顔を忘れていったが、かなり認知症が進んでも、認知機能が落ちただけのいつもの老師だった。困惑している風でもなかった。
■老師の口癖。
老師の口癖。
「ランディさん、◎◎って知ってる?」
◎◎がベートーベンだったり、仏教用語だったり、物理学の法則だったりするのだが、とにかく老師は謎かけが好きだった。
「ベートーベンくらい知っていますよ」
「あの人はすごい人だねえ、耳が聞こえなくなってもあんな素晴らしい曲をつくった」
老師はベートーベンの交響曲が好きで、家でも時々聴いていた。音楽を聞いている時は音楽に没頭する。その没入ぶりは見事だった。老師はBGMとして音楽を聞いたりはしないのだ。
コロナ禍が始まった年の初めに、家の前の急な石段の苔で転倒。頭を打っておでこから出血。それをきっかけにして、老師のボケが進んだ。
老師がボケているという噂を聞いて、伊豆の松崎の山の家まで会いに行くと、確かに様子が変だった。
「一緒に音楽を聴きましょう」と言われ、音楽ビデオを観ながら延々といろんな曲を聴いた。老師は「いまここ」に居ず、遠い思い出の彼方をさまよっていた。いつもここに居た老師が、過去に居るのは不思議な体験だった。ぼやっとして、暗い顔で、過去の追憶に浸っている……。そういう人は世の中にたくさんいるのに、あまり意識したいことがなかった。いつもと違う老師を見て「ふつうの人になっている」と、思った。
聞けば、その頃に慕っていたお兄さんが亡くなったのだそうだ。
部屋の中にいると、どんどんボケそうだったので、老師を外に連れ出すことにした。介護用の車を持っている友人に頼んで松崎まで来てもらった。外出して歩いているうち元の老師に戻っていく。やっぱり老師も普通の人間だった。歩いて人と接しないとボケちゃうんだな、と思った。
「光照さん、コーヒー飲みに行きましょう」
そう言うと、老師はにこーっと笑って「トーストを食べましょう」と言う。お気に入りの喫茶店のトーストを食べたいらしい。
「あの喫茶店はなんて名前でしたっけ、Google検索しても出てこないなあ」
「確か、コーヒー館でしたよ。珈琲館で出ませんか?」
「出ないんだよ……、おかしいな」
すると、窓の外を見ていた老師がつぶやく。「香り……」。
なんのことを言っているのかわからない。
後になってやっと店の名前は「香琲館」だったとわかる。だったらちゃんとそう言ってよ、って思う。
「この先の信号、左じゃないかな?」
道に迷っていると老師が「次の信号を左、次を右折です」と言う。
「老師、道を知っているなら最初から教えてくださいよ!」
いつもこんな感じだった。
いつだったか、訪ねて行った時、私の顔を見た途端に老師は「目が悪いの?」と言う。その通りだった。仕事のしすぎで霞目になり、目がしばしばして辛かったが、別に目が腫れているわけでも目やにが出ているわけでもない。見た目はなんでもないのに、老師は私をしみじみ見て開口一番に目を指摘した。
「目の調子、確かに悪いですけれど、なんでわかったんですか?」
質問には答えない。
「目には、ルテインがいいから飲みなさい、いっぱいあるからもって行きなさい」
老師は必要なものは大量に買い込む。だから同じ薬や、つばき油がたくさんある。老眼鏡も100個くらい持っていて、いたるところに置いてあった。必要な時にすぐ手元にあるのが便利なのだそうだ。
そういえば、ブルーチーズがいつも大量に冷蔵庫にあった。スーパーに買い物に行ってもブルーチーズをありったけまとめ買いする。
「老師、一人で買い占めてしまったらほかの人が買えないじゃないですか。一つくらい残していきましょう」と私が言っても「裏にたくさんあるよ」と言って、ありったけ買っていく。
老師曰く、ブルーチーズを食べると虫歯にならないと言う。
「塩分が多いからあんまり食べると体に悪いと思うけれど」
と言うと、いきなり「人間にとって必要な塩分量は……」みたいなへ理屈をこねて、私を論破するのだ。そして、ブルーチーズは歯槽膿漏を予防すると言って、チーズを食べていた。
「こんなにチーズを買い占めるなんて、ごうつくジジイだわ」と言うと、聞こえないふりをする。応えたくないことはスルーして返事をしない。本当は聞こえている癖に、と思う。
老師は、ふだんは玄米に大根の葉を刻んで食べているけれど、私が遊びに行くと「おいしいお寿司を食べましょう」なんて言う。それで一緒に、お寿司屋さんに行くと自分はお蕎麦を食べ、私に寿司をすすめる。食べる時は、なんでもおいしそうに食べる。食べている時の老師が好きだった。あんなにうれしそうに食べる人を知らない。
「老師、座禅をするとどうなるんですか? 私でも悟りがひらけますか?」
「悟ったと思ったら、悟りとは言わない」
「それもそうですが……。じゃあ、座禅をするとどうなるんですか?」
「座禅っていうのはね、お釈迦様と同じ姿になること。同じ姿になると同じ心になる」
「ふーん。でも座ってるだけじゃ、世の中の役に立たないですよ」
私はよくこの疑問を口にした。座禅して何年も座っているのはしょせん自分のためなんじゃないか?と。
「お釈迦様と同じ心になるとね、慈悲のエネルギーがすーっと地球を突き抜けて、反対側のブラジルまで届くの。座禅は正しい姿勢で座れば、誰でもすぐ三昧に入る。そうなったら、止めろと言っても楽しくて楽しくて夢中で座るようになるわ」
「じゃあ、三昧に入ったあとが本番ってこと?」
「そうそう」
「その先は?」
ニコーっと笑って、返事はなし。
「老師は、恋愛とかしないんですか? 人を好きになったこととか、結婚しようと思ったことはないの?」
「それは、思いを寄せた方もおりましたが、自分はこのような身ですから、何も告げずにお別れしました」
「でも、結婚しているお坊さんだってたくさんいるよ。っていうか、そういう人がほとんどだよ。一人だと淋しくないの?」
くだらない質問だ、と言われるかと思ったけれど、老師は気にした風でもなく、自分は自分の道を歩いてきただけ……というような事をおっしゃった。メモしておけばよかったが忘れてしまった。
■老師は決して「ノー」を言わない。
老師は決して「ノー」を言わない。
ノーの時は聞こえてないふりをする。答えない。答えない時は、ノーなんだなと思うようになった。
「これからどうしたいですか?」と。将来の話をすると完璧にスルーされる。
一度、老師の法話会で「老師の夢はなんですか?」と質問した若い男性がいた。老師はめったにムッとしないのだが、その時は怒ったように「なんとくだらん質問だ」と答えた。びっくりした。老師はお坊さん以外の人にこういうきつい言い方をしないのに。
「夢は何か?」
これは、誰でも人生で何度かされる質問だ。
でも確かに、どうでもいいよな、とも思う。「やるか、やらないか」どっちかだ。できるかどうかは問題ではない。夢など語っている暇があったらなにかしろってことかな。とにかく、老師にあまり将来のことを聞いても答えてはもらえない。
いまからどうするか? 直近のこと。それしか答えてくれない。
いまここでなら、明確な答えを持っていた。何を食べたいか。どこへ行きたいか。はっきりと言い切った。なんの迷いもなく「トーストを食べに行きましょう」「蕎麦を食べに行きましょう」と言う。ぐちぐち迷うということはいっさい、なかった。
私は時々、老師の部屋に行って掃除をしたが、掃除をするにはとても気を使う。老師は「ゴミ」という言葉が嫌いだった。なに一つゴミはないと思っているようだった。役に立たないもの、無用なものはこの世にない……みたいな。……というか、ゴミと自分の区別をつけない人だった。
「老師、この汚いティッシュを捨てますよ」と私が言うと、ちょっと悲しそうな顔をした。
「このままにしておくとゴミ屋敷になっちゃいます」
「それはゴミではないよ」
「でも、捨てないと……」
「そこでゴキブリの子どもとか、ネズミの子どもが遊んだりするからね」と嬉しそうに言う。ギャー、本気か?と思う。
きっとゴミ屋敷の住人もこうやってゴミを貯めてしまうんだわ、と老師を外出させてその間に部屋を掃除してしまう。
帰って来た老師はきれいに片づいた部屋を見て目を見張る。そして私の顔を見て「なんとまあ部屋が光輝くように笑っています」と、光輝くような笑顔で言うのだ。
起きてしまったことを受け入れる天才だった。物事には逆らわない。
「阿弥陀様の手の中で遊んでいるようなもの。赤子が母親に抱かれて泣いているのと同じ。いくら泣いて暴れても、おやおやまあまあと鼻水を拭ってあやしてくれる」
それが口癖だった。嬉しそうに笑いながら言う。「こうやって顔を拭いて、大丈夫、大丈夫って言ってくださるんよ」
仏の慈悲を実感しているんだなあ、とその話す様子を見て思う。安心して生きているんだな老師は。きっと座禅をして三昧を極めると阿弥陀様かお釈迦様かわらないけど、魂のお母さんに会えるんだ。お母さんがずっと見守ってくれているから大丈夫、っていう赤ちゃんの心になるんだろう。老師の行く末を心配ばかりしているけれど、老師はこんなに安心して生きているんだから、私が心配するなんておこがましいよな、と思う。
きっとゴキブリも、ねずみも老師にとってはお母さんを同じくするきょうだいなんだろう。もしかしたら、ティッシュや家具や電化製品も、同じきょうだいなのかもしれない。私が老師のきょうだい達をゴミと呼ぶからちょっと悲しい顔になるのかな。
座禅の方法を訊ねると、いつもていねいに教えてくれた。肉食禁止。座禅をする前は断食をして身体をきれいにしておけ。座り方、姿勢が大事。思った以上に重心は前。初心者は前にのめるようなくらいで良い。膝に体重がかかるので座布団を当てる。背筋をまっすぐにして胸を開き、たっぷりの空気を肺に送り込めるようにする。姿勢が悪いから雑念が湧くのであって、正しい座り方をすれば集中できる。
老師の指導はとても実践的だった。精神論をとやかく言わないところがいい。姿勢は変えられるが、心はそう簡単に変えられない。でも、私は教わった通りの座禅をすることはなかった。老師に出会った頃は「この人について修行をしたら、新しい意識の地平が拓けるのかも?」みたいな、悟り欲があったのだが、座禅をするのはめんどうくさいし、とりたてて今すぐに座禅をしなければならない悩みもなかったからだ。
そんなに無理をして修行なんかしなくても、ふつーに一生懸命に生きているだけで十分なんじゃないか?と。
「私は修行はしません。女の人生は掃除、洗濯、親の看取り。修行みたいなもんですから。修行なんてのは暇な男がやればいいんです」
そう言うと老師は、はっはっはと笑って「女の人が元気だと世の中はよくなる」とうれしそうだった。
老師は、堅苦しい挨拶をするお坊さんにめちゃくちゃ厳しかった。隣で話を聞いていると、仏道を求めて来るお坊さんとの会話は禅問答。まったく話が噛み合わない。日本のお坊さんはみんな高学歴で頭がいい。いわゆる学僧というか。そういう人たちの脳と老師の脳は、基本構造が違う感じだった。
時々、訊ねてくる仏教関係者の方々は、老師を尊敬しているのかもしれないけれども、やたらと小難しい質問を繰り出す。まずは部屋の掃除でも手伝え、と思う。何もせず黙ってじっくり一緒にそこにいて、音楽を聞いたりする余裕がまるでない。時間を気にしてあくせくしている。老師から何かを奪い取っていこう……という感じがする。
老師を「偶像化」している人もいた。「やっぱり村上老師はすごい」みたいに、なんでもかんでも肯定して帰って行く。汚い部屋は汚いのに、高僧があんな部屋に住む気が知れない……という人はいなかった。それが不思議だった。気にならないのか?
■老師はどこに行っても人気者で
老師はどこに行っても人気者で、大切にされていた。老師が定宿にしていた晴海の船員会館では、そこの住人みたいだった。老師がよく通っていたお蕎麦屋さん、喫茶店、お寿司屋さん、どこへ行っても老師は愛されていた。ただ、そういうお店の人たちは老師のことをよく知らなかった。「お坊さんのおじいちゃん」くらいに思っていた。
人間は、素性の知れない相手に対しては好き嫌いで判断する。まったく素性が知れない老師だが、嫌いになる理由がなかった。
老師は、ただ道を歩いているだけで人が着いてくるような人だった。目的をもって急いで歩いている人ばかりの東京の歩道を、老師はゆっくり泰然と歩いていく。もうお年で足が弱いからゆっくりなのだが、あまりにも清々しく堂々としているせいかみんなが老師にはっとする。人々が老師を見返る様子を見るのは楽しかった。
歩いていると、くっついて歩いてくる人が現れる。こういうのをカリスマ性って言うのかな。だから老師がその気になれば教団の一つも作れたろうに、老師にはからっきしそういう気はなかった。なにも持たず、どこにも属さず、それでいて安心しきっていて、不平不満はいっさいなく、楽しそうな人。それが村上老師だ。
老師は……不平、不満のない人だった。あったかもしれないが聞いたことはない。悪口も言わないし、批判もしなかった。なにかに期待をすることもなかったし、そんなに風呂に入っている様子もないのに、身ぎれいな人だった。汚れないのだ。老師は、お年だったから、よくズボンにおしっこをひっかけたりしていたけれど、本人は臭くない。ぜんぜん体臭がなくて、肌に張りがありさらっとしている。毛穴はきゅっと引き締まっていて、身体から老廃物が出ているようには見えず風呂上がりのようにさっぱりしていた。
いつも不思議だった。毎日、お風呂に入っている私のほうが薄汚い気がした。なんで老師はまっさらでいるんだろう。ゴキブリが這い回る汚い部屋に住んでいるのに老師は汚れない。洗い立ての洗濯物のように清潔感があり、老師のいるところだけ明るい。まるで、老師の身体に見えない膜が張っていて、汚れを弾いているみたい。穢れを寄せ付けないオーラ?……まさかね。
どんなに偉くても、大きくて立派で掃除の行き届いたお寺にいても、薄汚いお坊さんはたくさんいる。メンタルの事を言っているのではない。純粋に見た目と身体の状態を言っている。毛穴がひらいてギトギトしており、肌が荒れて艶がなく、顔色は青黒く、あるいは赤みを帯びて脂っぽく、目は充血しているか、力がなくまぶたが無垢んでおり、手の平がべとべとしているような人はたくさんいる。あるいは難しい顔をして笑顔がなく、目力はあっても目尻が上がって皴(しわ)が多い人はたくさんいる。
老師は違う。いつもレモンを輪切りにしたようにスカッとした襟足で、肌に透明感があり、何を着てもそれが洗い立てに見えてしまう。虫歯だらけなのに口臭がなく、体臭もない。そして、老師の手の平はいつもさらさらだった。汗ばむということがない人だった。若くたってあんな清潔感は出せない。口角が上がっていて皴はなく、目力があるのに優しい。むくみはいっさいなく、血色はすばらしく良かった。
人間は見た目100パーセントだ。そう思う。老師はきれいな人だった。それがすべてじゃないか。あんなにきれいでいられるのは変だ。老師は便秘気味だったし、ものすごく体調が良いというわけでもなかったのに、なんであんなにきれいな身体をしていたんだろう。謎だ。聖者がどういう者か私はよく知らないが、老師は聖者の身体だと私は思う。ほんとうに爽やかで品のいい身体をもった人だった。だからお店からも好かれていたんだろう。
自分は薄汚いな……、老師と一緒にいると自分の汚れ具合がよくわかった。老師の心の内も思考も私にはまるで理解できないが、生き物として美しい人だったことは間違いない。
老師の手は細くて、いつもひんやりとしていた。汗で湿って冷たい人は多いが、老師の手の平は適度にしっとりとして適度にひんやりだ。握っていると気持ちいい。この手が好きだったけれど、手を触るのが照れ臭いので、悪態をついた。
「なにも働いて来なかった人の手だ」と私が言ったら、笑っていた。
私はときどき、老師の肩を揉んでいると、なんだかぎゅっと抱きしめたくなることがあった。そういう時、手を握ると握り返してくれた。「光照さーん」と子どもを真似て呼ぶと「はあーい」と歌うように応える。なんという素直な返事だ、と、なんか泣けてきた。今も思い出すと泣けてくる。なんでだろう。わけがわからない。純粋とか、イノセントとか、よく聞く言葉で語りたくないし、そんなものはただの概念であって存在しないんじゃないか、と思っていたけれど、老師はイノセントだった。変な人だったけれど、存在として希有だった。こんな人間を見たことがない。
「今年も神在月(かみありづき)に出雲大社に行く」と、電話で言おっしゃる。亡くなる1年前のことだった。「いいなあ、私も一緒に行っていいですか?」と言ったら、「それはそれはすばらしい、出雲にみんなで行きましょう」と嬉しそうだ。その後で、「やっぱり今年は行けない」という電話があった。体調はかなり悪く、遠出ができる状態でないのはわかっていた。
「残念ですね」と言っても返事はなし。もうそれはどうでもいいことのようだった。
「残念」という言葉を老師から聞いたことがない。きっと念など残さない人だったんだろう。
■老師は何事にも詳しい説明をしない。
老師は何事にも詳しい説明をしない。説明ということをしない。ざっくりと枠組みだけがお互いの間で了解できれば、あとは成り行きで……という感じだった。お元気だった頃はあちこちよく出歩かれていた。老師がどこに居るのかは風の噂でしかわからない。携帯に電話をすると必ず出てくれる。出れない時は折り返しで電話がかかってくる。たまたま近所に居る時は会うことができた。
私が所在を確認するまで、老師はどこにいるかわからない。
老師にとっては、私が現れるまで私がどこにいるかわからないのだろう。だから会う度にびっくりするのだ。
なんで私は老師と会ってもびっくりしないんだろう?と考えた。私は「老師がそこにいるもの」と思い込んでいるからだ。私が意識しなくても世界は厳然と存在している、という大いなる錯覚で生きているから新鮮味がないのかもしれない。
老師は世界は波長で出来ていると言っていた。波長、音楽のようなもの。確かにすべての物質は微細な電磁波を出している。それは科学的事実だ。
「人間ってのはおもしろいもんで、波長に影響されて自分が変わってしまうのね。いい音楽を聞けば気持ちよくなる。怖い映画を観れば怖い顔になる。そうやってね、心が形になる。餓鬼にもなれば仏にもなれる」
「確かにそうだけど、それは波長に共鳴しているからなの?」
「ラジオみたいに周波数の違うチャンネルがあってね、それをどの周波数に合わせるかは自分が決められるの。地獄もあれば極楽もある。どこに合わせて生きるかで、感じる世界が変わってしまうからね」
合理的で強欲で肉食で脂ぎった現代人の私は、修羅の周波数で生きているなあと思う。
「座禅っていうのはね、仏様の周波数に合わせること」
「そうすると、どうなるの?」
すぐ頭で考えたい私の質問にも老師は応えてくれた。
「自然界とひとつになる。この大自然の在りようと自分が一体だと感じるようになる。あのね、人間に生まれるのはとても希なことだと仏様がおっしゃっているのね。だから人間として生きている短い時間のなかでいい波長に共鳴していると魂が喜ぶの。自然界って殺し合わないでみんなで調和しているでしょう、それが美しくてありがたくて、ありがたくて合掌する」
こういう話をする時の老師は、微笑んでうれしそうだった。心から楽しげにこの世界がなんとまあ、美しく成りたっているかについて語っていた。話の内容は消えても、思わず笑いが込み上げている老師の顔や、歌うような声、あのゆったりしたリズムと、明るい音程が今も蘇る。
■老師はご自身の考えを文字として残すことはなかった。
老師はご自身の考えを文字として残すことはなかった。物理学を学んだ博識の方だから文章は容易に書けたろうけれど、それをしなかったのは「文字にして書いたところで本当のことはわからない」と思っていたからだろう。老師から直接に声で、その波長で、老師の周波数で、伝えてもらったことを、こうして文字にするのはとてもためらいがある。
「アーナンダの悟り」という逸話を思い出す。
アーナンダは、お釈迦様の説法を最も多く聞いた弟子だ。25年もそばでお世話をしてきたが悟りを得ることができなかった。
お釈迦様が亡くなって、第1回結集が開かれる時に、悟っていないアーナンダは結集に参加できないと兄弟子に告げられる。そこでアーナンダは、一発奮起して修行をし、結集の直前に悟りを得る。いま伝わっているお釈迦様の言葉の最も古い重要な部分の多くがアーナンダによって伝えられている。
アーナンダは落ち着きがない人だったらしいが、記憶力は抜群だったそうだ。だから、悟っていなくても「録音機」としての役目は果たせたはずなのに、どうして結集に呼ばれなかったんだろう。
私は「兄弟子がいじわるをしたんじゃないか」くらいに思っていた。
でも、村上老師のことをこうして書いていて、考えが変わった。老師はよく「修行と言うのは弟子を追い込まないと……」と言っていた。特に僧侶には厳しく指導にあたったと言う。それは「僧侶は人々を導く大事な役目だから」だそうだ。私は僧侶ではないから、老師はいつも優しかったが、確かに道を求めて来る人たちには恐ろしいほど厳しかった。
「人間っていうのは、火事場にならないと本気を出さないからね」
アーナンダも、お釈迦様が本当に亡くなって結集に至る時にやっと本気を出したんだろう。それまでは「自分が人を導くなんてできるわけがない。お釈迦様がいらっしゃるから、お釈迦様をお助けしていればそれでよし」くらいな気分だったんじゃないかな。
情報学の西垣通先生と、以前に「デジタルコンテンツ」について対話をしたことがあった。西垣先生は「コンテンツがデジタルに変換されて誰もがダウンロードできるようになったとしても、それは元のコンテンツと質的に異なる。このことを情報学はもっと考えていかなければならない」とおっしゃっていた。
コンテンツは「内容が同じであればいい」というものではないのだ。誰がどう、どんな文脈で語ったか……。それはまさに「周波数」としか言いようがないのだが、語られた時に纏っている音の周波数、微細な周波数の違いを、デジタルコンテンツでは伝達できない。伝える側はその限界について認識しておかなければいけない。
アーナンダが結集に呼ばれなかったのは、悟りを得ていないからで、悟りを得ていないアーナンダでは、お釈迦様の周波数を伝えることができなかったのだろう。アーナンダが本気を出してくれたから、2500年後の現在も、私たちはかろうじてお釈迦様の周波数で伝えられたものの断片を受け取れるのかもしれない。
まったく悟りなどと無縁の私が伝えられるのは、私が感じた村上老師の日々の様子に過ぎない。晩年、身体が不自由になったこともあり、ずいぶんと散らかった部屋で暮していたのに、老師はいつも神々しかった。体臭も口臭もなく、肌の艶も良く、汚れも汗ばみもなく、触れるとひんやりさらっと気持ちいい。
なんで老師の身体はあんなにさっぱりして光り輝くようなのかなあ? と、今でも不思議でしょうがない。
せめて、両の手だけでも老師に近づきたくて、合掌する。
(了)
写真提供:田口ランディ、村上老師と親睦会
ヘッダー写真:村上光照老師(編集部)
『DAIJOBU─ダイジョウブ─』
村上光照老師の晩年の7年間を記録した映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』が9月9日(土)より公開されます。村上老師とともに描かれるのは、撮影当時はまだ現役のヤクザの親分で、ヤクザと人権問題をテーマとして話題となった2015年の映画『ヤクザと憲法』に出演した川口和秀氏。二人の出会いとその後が描かれたドキュメンタリーです。
【公式ホームページ】
http://daijobu-movie.net/
出演:村上光照、川口和秀
プロデューサー:石川和弘
監督・撮影・編集:木村衞
サウンドトラック:笹久保伸
エンディングテーマ曲:細野晴臣「恋は桃色」
ナレーション:窪塚洋介
【劇場情報】
●新宿K'Sシネマ
2023年9月9日(土)~
https://www.ks-cinema.com/
●大阪 第七藝術劇場
2023年10月7日(土)~
http://www.nanagei.com/
●アップリンク吉祥寺
10月公開
https://joji.uplink.co.jp/
●横浜 シネマ・ジャック&ベティ
2023年10月21日(土)~
https://www.jackandbetty.net/
●名古屋 シネマスコーレ
近日公開
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/