藏本龍介(東京大学東洋文化研究所准教授)


エンゲージド・ブッディズム(Engaged Buddhism 社会参加仏教)をテーマとした特集に、ミャンマー(ビルマ)での出家経験もある東京大学東京文化研究所准教授の藏本龍介氏にご寄稿いただいた。全5回の第1回。


第1回    はじめに


「社会参加仏教(Engaged Buddhism)」とはなにか。これについて日本の日蓮系仏教団体の福祉事業や町づくり運動を分析したムコパディヤーヤ(R. Mukhopadhyaya)は、以下のように定義している。

「社会参加仏教」は、仏教者が布教・教化などいわゆる宗教活動にとどまらず、様々な社会活動も行い、それを仏教教義の実践とみなし、その活動の影響が仏教界に限らず、一般社会にも及ぶという仏教の対社会的姿勢を示す用語である。
(ムコパディヤーヤ 2005: 28)


    たとえば社会参加仏教論の先駆的な業績である論集 Engaged Buddhism: Buddhist Liberation Movements in Asia(Queen & King eds. 1996)においては、仏教への集団改宗によって反カースト運動を展開したインドのアンベードカル、ダライラマを中心とするチベットの政治的・宗教的解放運動、ベトナムのティック・ナット・ハンの平和活動、日本の創価学会の政治活動や平和活動と並んで、上座部仏教圏の事例としてスリランカのサルボダヤ農村開発運動、タイのブッダダーサ長老やスラック・シラワックのボランティア活動や宗教間対話が取り上げられている。
    このような社会参加仏教論が暗黙の前提としているのは、伝統的な仏教が社会と積極的に関わってこなかったという理解である。そしてその典型とみなされるのが、本稿で扱う上座部仏教の出家者である。上座部仏教において、「出家」とは、文字どおり「家(社会)」を出ることを指す。あらゆる社会的な役割を拒絶し、社会の秩序の外に出る。こうした出家生活こそが、上座部仏教の理想的境地である「涅槃」を実現するための、唯一ではないが最適な手段であるとされる。いいかえれば、出家生活とはなによりも出家者自身の利益に適うものであるということである。この点だけに注目すると、上座部仏教の出家者は、自分たちの救いにのみ専心している利己的な存在であるようにもみえる。
    実際にこの問題は、仏教史上、度々議論になってきた。たとえば大乗仏教は、上座部仏教に連なる初期仏教が理想とする「阿羅漢」という聖者像を、自己の救いにのみ専心した利己的(小乗的)なものであるとして否定する中から登場してきたといわれている。そして一切衆生を救済するために、自ら仏になることを目指す「菩薩」という新しい聖者像を提示した。つまり他者も救おうと努力するという利他的(大乗的)な精神を強調した(中村ほか編 2002: 667)。
    一方で、現実の上座部仏教の出家者は、社会と関わらないわけではない。スリランカや東南アジア大陸部の上座部仏教徒社会に関する人類学的研究は、出家者が伝統的に多様な社会的役割を果たしていることを明らかにしてきた。特に重要なのが、在家者(一般信徒)が功徳を積むための機会を提供するという役割である。上座部仏教の究極的な理想は輪廻転生からの解脱(涅槃)にある。しかし現実には、善行によって功徳を積み、輪廻転生の中で良い生まれ変わりを果たすことも重要な目標となっている。そこで在家者にとって、最も一般的な善行が布施、つまり自分のもっているヒト(労力)・モノ・カネを、他者に提供するという行為である。布施の対象は、誰であってもよい。ただし布施によって得られる功徳の大きさは、布施の受け手の清浄性によって異なるとされる。この点において、世俗から離れ清浄な生活を送る出家者は、在家者に功徳をもたらす装置、つまり「福田」として、布施の最上の受け手であるとされる。在家者が出家者に対して惜しみない布施を行う理由はここにある。
    こうした「福田」としての宗教的役割を基礎として、上座部仏教の出家者は様々な社会的役割を担っている。それは本稿が対象とするミャンマー(ビルマ)も同様である。人口(約5,100万人、2019年推計)の約80~90%が上座部仏教徒であるミャンマーは、出家者の存在感が強い社会である。たとえば出家者数(約53万人)・僧院数(約6万7千)は主要上座部仏教国の中で最大となっている(2018年時点)。それでは出家者たちはどのように社会と関わっているのか。本稿ではこの問題について、出家者のタイプを便宜的に、①村・都市の僧、②政治僧、③森の僧という三つに区別した上で紹介する。なお、ミャンマーでの現地調査は、最大都市ヤンゴンを中心として、2006年から現在に至るまで断続的に行っている。本稿の議論は、そこで得られたデータを基にしている。

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ヤンゴン市内にあるシュエダゴン・パゴダ

写真提供:藏本龍介

第2回    村・都市の僧