アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。

[Q]
    慈悲の気持ちを発信することは、SNSで「いいね!」されたり、閲覧数が増えたりしてインセンティブ(報酬)が上がるようなものだ、と例えられています。つまりは「幸せになりたい」という事とイコールだと思うのですが、私は「幸せになりたい」と純粋に思えない時もあったりします。そんな時はやっぱり自分自身をすごい否定的に見てしまうのです。


[A]

■〈無明〉の妨害工作に負けないこと


    過去の失敗や、嫌な出来事を思い出して妄想したりして、心が自己破壊方向に回転してしまう……。内向きになっているといくら宇宙のネットワークから良いデータが来ても、自分のデバイスがフリーズしてしまって、ダウンロードできないこともあるのです。だから直ちに再起動して、その壊れたプログラムを削除しなくてはいけません。たまに心もそういう状態に陥ってしまうのですが、あまり健康な状態ではありません。すごく嫌な気分で、自己破壊的な感情が回転しているのです。さっさと元の明るい方向に戻らなければいけません。
    本当は、生命ならば慈しみで生きるのが当たり前の法則なのに、みんな自我で生きているでしょう。そこから間違っているのです。生命と生命が互いに協力し合って生きなくてはいけないのに、それを頭から否定するのです。
    ものすごくおかしいんですよ、生命っていうのは。生命の法則を頭から否定することを、仏教では〈無明【むみょう】〉という言葉で表します。全ての生命は〈無明〉に覆われているのだと。わかりやすい単語で言えば、無知ですね。これは、ただ何もわからないという事とは違います。もっと根本的な無知に抑えられているのです。それは、自分の事しか考えないという〈自我〉の働きなのですね。ですから、生命は根本的にみんな間違っています。生き方としてプリインストールされているはずの慈悲のことなど、本当は教える必要はないはずなのに、改めて教えなくてはいけなくなっている。そのうえ、せっかく教えてあげたことにめちゃくちゃ抵抗するのです。せっかく宇宙のエネルギーにピッタリ繋がる方法を教えているのに、あれこれと文句を言う。これは、自我という錯覚に捉われているからなのですね。それが根本的な無明なのです。そのことを理解して、『慈悲の瞑想』を頑張ってみてください。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: さとり編4』
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