アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「餓鬼って何?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    餓鬼(がき)について教えてください

[A]

■悪夢のような幻覚世界に生きる生命です


    悪意を持って行動して、ものすごく欲が強く、執着する、嫉妬したり人を恨む……そういう気持ちのままで亡くなると餓鬼道に堕ちちゃうんですね。堕ちた後はその反対のエネルギーで苦しむんです。「これは私の財産だ!    人に取られたら困る!」という人が自分の物をみんなに取られていく。「ああ!    コレを持って行かれた!    アレも持って行かれた……ソレも持って行かれた……」という風に、真逆の幻覚の世界に墜ちるんです。もの凄く長い間、悪夢を見ているような感じですね。自分の前にすごいご馳走があって食べようとすると、誰かに全部持って行かれてしまって何も残らない。それですごく悲しくなって落ち込むんです。それがずーっと長い…長い…長い時間、この〝業〟が消えるまで、餓鬼道に居なくちゃいけない。
    人をイジメたり、動物をイジメたり、悲しい思いをさせたりすると、 同じことを自分が受ける餓鬼道に堕ちるんです。堕ちちゃって、その悪夢の中にいるんですね。あちらこちらからいろんな化け物がやって来て、噛むわ、かじるわ、食べるわ、という感じですっごく怖くて、痛くて、でも長い長い間抜け出せない。
    餓鬼道にはものすごい数の餓鬼がいます。人間の悪い感情分だけいるんです。欲や嫉妬にもいろいろなタイプがあります。恨みも同じでたくさんの種類があります。それに合わせて餓鬼道はもの凄くたくさん種類があるんですね。
    人の物を奪ったりするのも良くありません。たまたまふざけて取り上げたぐらいでは餓鬼道には堕ちませんよ。それはただの遊びですからね。でも、 本当に悪意を持って「アイツの弁当を取ってやろう、それで食べて、自分が美味しければいいや!」と思っちゃうと悪行為なんですね。他にも法律をごまかして悪いことをする場合もあるでしょう。いろんな人間がいろんな悪いことをしています。罪を犯したら地獄に堕ちる。ひどく悪い心で生活すると餓鬼道に堕ちてしまうんです。それで業が終わるまで餓鬼道にいなくちゃいけない。悪業がなくなったらやっと死ねるんですね。そして生まれ変われる。
    問題は、餓鬼道で死んだ人が次はすごく立派なところに生まれるかというと保証はできないんです。一億年も餓鬼道で罰を受けて、いじめられて怖くて嫌な気持ちでいた人が、業が終わった途端にポーンと天界に行けるかというとちょっと難しいんです。これは気持ちと似ているんです。ギャーっと泣いていた人がいきなり アハハ!    と笑うことはできないでしょう。時間が必要なんですね。だから餓鬼道に堕ちない方が無難なんです。堕ちたら大変ですからね。
    地獄に堕ちるのは罪を犯している悪人なんです。でも、人間の殆どは悪人でもない善人でもない人たちでしょう。悪人と言うほど悪くはないんだけど良い人かというとちょっとね……という。だいたいそんな曖昧な人たちだから餓鬼道に堕ちやすいんですね。親戚が功徳をあげたらそこから抜けることが出来るという特例もありますがそれはほんの一部です。他の仏教でもやるでしょう、供養するとかね。先祖供養なんかすると、その功徳が入って保釈金を出してもらったみたいな感じで 幸福なところに生まれ変わることはできます。ごく一部だけですけどね。基本的には業が終わるまでずーっと長い間苦しまなくちゃいけないんです。


■出典   それならブッダにきいてみよう: 教育編2 | アルボムッレ・スマナサーラ | 仏教 | Kindleストア | Amazon

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