山下良道


山下良道師の師であり禅の修行道場である安泰寺の第六代住職の内山興正老師の哲学を紐解きながら、現代日本仏教の変遷をその変革の当事者としての視線から綴る同時代仏教エッセイ。

第3話    世界の仏教が出会う場所で

■仏教伝播の三系統と日本の祖師たち

    前回、昭和から平成、そして令和へと元号が変わるごとに、「当たり前だと思い込んできたもの」がおおいに揺らいだことを論じました。その最大の原因は、平成の時代に日本にやってきた外国の仏教のインパクトでした。歴史を振り返ると、聖徳太子のころより、仏教というのは外国からやってくるものでした。遠く天竺(インド)から中国大陸、朝鮮半島を通って日本に到着し、やがてこの国の風土に根づいてゆくのが日本の仏教の歴史でした。その過程に無数の先達が関わりました。日本から遣唐使一行として中国へ渡った弘法大師を筆頭に、その後も留学僧(道元禅師など)が続きました。鑑真和上のように中国からわざわざ日本にいらした僧侶のかたもいます。鎌倉幕府が建立した建長寺の開山である蘭渓道隆師もそういう外国僧の一人です。その方々によって日本の仏教の伝統は作られてきました。ただ、それらはすべて「東アジアの大乗仏教」と括られるものでした。その中で禅、念仏、真言密教などさまざま違いはあったとしても。

    ところが、地球上では「東アジアの大乗仏教」だけが仏教ではありませんでした。東アジア文化圏の外に、チベット仏教、そしてテーラワーダ仏教という、非常に長い豊かな歴史を持ち、現代でも盛んに活動が行われている伝統があります。

    ざっと地球上の仏教伝播の流れを振り返りましょう。まず、約2500年前に、釈迦族のシッダールタ王子は、人間の苦しみに完全に終止符を打つ真理を発見され、仏陀(目覚めた人)となられました。そして悟りの地ブッダガヤから、昔の修行仲間がいるヴァラナシに向かわれて、彼らに発見したばかりの真理をきちんと伝え終わったあと、仏陀はすべてのひとに真理を伝える活動を一生続けられました。その布教活動の舞台は主に北インドでした。馬車などはあったにせよ、当時は現代のような交通手段などあるはずもなく、移動は困難を極めましたが、その活動は広大な地域に及びました。仏陀の遺志を継いだ弟子達のサンガも、その後も活動を続け、インドの国内はもとより、宣教は国外へと広がり、アジア全域に仏陀の教えは広く伝えられました。遂には極東の我々の国にまで。