アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「運ってあるんですか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    運っていうのは本当にあるんですか?

[A]

■人生は自分でプログラミングするものです


    運というのは、いわば物の〝流れ〟なんですね。だからそれを理解しなくちゃいけない。どんな物にもそれなりの流れがありますから。
    植物にもそれぞれに自分の流れっていうものがありまして、例えば、千年でも二千年でも生き延びられる種類もいるし、三ヶ月間で生えて、花も咲いて実ってガクンと枯れる種類もある。その流れは変えられません。
    稲は植えてから大体、三〜四月間ほどで花が咲いて実って、稲刈りをして終わっちゃう。だから、稲一本を植えて、千年間放っておこうとしても無理なんですね。しかし、ブナの苗を植えて、百年でも二百年でも元気で成長して欲しいと思ったらそれはあり得るわけです。そういうことで、人間にも動物にもそういう風に〝流れ〟っていうものがあるんですね。
    その流れをどう管理するのかは、それぞれの……人間の場合は人間の責任なんです。
    例えば人間に生まれたら、おおよそ八十年くらいは生きられるでしょう。でも自分が望むのであれば二十年で終わらせることもできます。あるいは「百十五歳まで生きるぞ!」と思ったらできないこともありません。
    年齢だけじゃなく、だらしないどうでもいい人間になることもできるし、人格者で色んなことができる立派な人間になることもできます。
    そういうのは自分で設計(プログラミング)しなくちゃいけないんですね。運ということではないんです。自分のプログラミングなんです。まぁ、プログラミングしたからといって、状況によってそうならない可能性もありますが。
    例えば、数学者になりたいと思って数学をめちゃくちゃ勉強しても、人生の途中で何かが起きてしまって、進路を変える羽目になったりとか。自分にはどうすることもできない事もあります。でも、あまり気にしないでプログラミングすればいいんですね。
    だから私たちは花とかにプログラミングしているでしょう?    冬なのに夏の花が欲しければ、ビニールハウスで温かくしてあげて、照明も当てて、早く成長させて違う季節に咲いてもらう。露地だったら決まった時期にしか咲きません。それは人間が植物に対してプログラミングしてるってことです。本来は夏にしか食べられないスイカを年中食べられるのもそういうことですね。
    人間は何でもプログラミングできるのではなくて、ある程度なら……ってことですが、ただ、自分の人生はシッカリと自分自身でプログラミングしなくちゃいけないんです。
    友達がみんな性格が悪いとします。だからオレも悪い人間になってしまうのかなと思ったら、そこはプログラミングで「仲間の性格は悪いけど、オレはしっかりした人間になってやる」と、自分で書き換えできるんです。そういう子供たちを私はたくさん見てきましたからね。まぁ、「親は全然勉強してないけど、私はしっかり勉強してやるぞ」という子もいれば、「親がバカだから、私もバカのままでいいか」という風なバカな子もいるしね。
    だから、自分の人生はそれぞれ自分でプログラミングすればいいんです。周りはどうでもいいんです。悪い人ばっかりだったら「よし、わかった!    みんな悪い人間ばかりだから、私だけいい人間になってやる、なってみる!」という風に、周りの環境を自分を良くする方に使うことはできます。気が弱い人はすぐ周りに引っ張られてしまうので、気は強くした方が良いんじゃないかな、とは思いますが。周りから良い影響なら受ける、悪かったら影響されずに反対のエネルギーを作る、という風に自分をプログラミングすればいいんですね。
    その場合は、いろいろ勉強して研究して、人にも訊いて、自分の能力も調べて考えた方がいいでしょう。自分に能力があるかどうかは簡単にわかりますよ。適性があるものはすごくやりやすいし、無いものは「あーやりたいなぁ〜」と思ってもなかなか上手く行かない。それを見極めて人生をプログラミングする。というわけで、結論としては運とは「自分次第」です。


■出典   それならブッダにきいてみよう: 教育編2 | アルボムッレ・スマナサーラ | 仏教 | Kindleストア | Amazon

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