【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「慈悲の心で生命以外にもアプローチできますか?」です。
[Q]
慈悲の心は生命に対する一つの感情、態度であると思っているのですが、勉強することや技術を取得することなど、自分が直接、生命と接することのない行為についても慈悲の心でアプローチすることは可能でしょうか? 可能であれば、それはどのような物でしょうか?
[A]
■どんなことでも慈悲のアプローチでできる
可能でしょう。
例えば、技術開発をしているとします。家にも帰らずに研究室で寝泊まりするほどの全リソースをそこに注いでも、人間がいなかったら、その技術の意味はありませんね。研究がうまくいって成功したら、それで助かるのは人々です。だから、慈悲のアプローチでできます。
皆が集まってお祭りをしているところで、旗を立てるための穴を掘るのは、それが公園のど真ん中であっても良いことでしょう。役に立っていますから。でも、誰もいない森の中に穴を掘っても何の意味もありません。そこに人間がいるかどうかです。どうしても人間が関わってきます。ですから、慈悲のアプローチで何でもできます。勉強も同じことです。
さらに進んで「瞑想などはどうだろう?」という疑問も持った方が良いですね。自分が解脱に達する為に瞑想することも人々の役に立ちます。だって、一人でもまとも人間が増えたら世界はありがたいでしょう。これから、私は誰にも迷惑をかけません、迷惑が無いということは慈悲なのです。
そういうわけで、ただ自分の解脱のために瞑想実践をやる人も慈悲のアプローチでできます。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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