【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「情報とは何か?」です。
[Q]
情報とは何ですか?
[A]
■俗世間にある情報
世の中で「情報」と言っているものは、それぞれの人がそれぞれの主観で合成した代物です。ジャーナリストは自分の好きなように組み立てた主観を「情報」として語るのです。「情報社会」といいますがそんな社会はありません。インターネットで情報を探す場合は、自分の好みを頼りに探すでしょう? 情報を発する側も主観で発信して、受ける側も主観でえり好みして受ける。情報は主観の観念です。
学術的なテキストは、その分野のありのままの状況を伝えようとしています。チャートを作ったり、グラフで色分けしたり。それで知識が増えたり区別能力を増したりする。でも面白いことに、学術テキストは「情報」だと思われていないのです。新聞・雑誌こそが情報だと思っている。違います。あれは主観だけを発信しているのです。それで世の中はすごく困っています。「情報」が全然役に立っていないのですから。マスメディアは、写真・ビデオに好き勝手なテロップをつけています。ウイグル問題でも、同じ映像について、中国政府と外国メディアでは違う説明をする。そんなものに振り回されたら人生が台無しです。それが俗世間でいう「情報」です。
■仏教が定義する情報
仏教で定義している「情報」とは、「体に触れるもの」です。私たちのこころは体(六根=目、耳、鼻、舌、身、意)に触れる情報で回転しています。例えば、目に色と形が見える区別。耳に音という空気の振動が触れる区別。そういったものだけが情報です。私たちは体に触れる情報を合成したり、解説したり、あらゆる方法で捻じ曲げます。それはもう「合成」であって「情報」ではありません。情報を私たちの好き勝手に合成して、捏造してしまうのです。仏教でいう情報は、眼耳鼻舌身意に触れる色声香味触法しかありません。その中には、「美しい女性」も、「美しい声」も無い。それが情報です。それもまた無常だから、流れていくから、区別できるのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編」