アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは正しい道を歩もうと思ったときの「良い楽しみ」についてです。


[Q]

    人が本能(存在欲)で楽しいと感じることは煩悩で、それに耽ると堕落していくと聞きました。正しい道を進もうと思った時、どういったことが楽しみになるのでしょうか?    今まではテレビを見て楽しいとか、美味しいものを食べて幸せだと感じていたのですが、本能に逆らって「こころを成長させる」ことにおいて、楽しみはどこに見出せるのでしょう?

[A]

■充実感という楽しみ

    人間には、成長してやり遂げたという「充実感」が楽しみになるのです。例えばスポーツ選手はものすごく苦労して、遊ぶことも止めて、好きな食べ物も制限し、朝から晩までコーチに怒鳴られ叱られ、精密にあらゆる練習を繰り返して大会に出場します。ただ代表選手に選ばれただけでも楽しくなります。それは酒を飲んで得られる楽しみとは違う楽しみです。「やった」「充実した」という喜びです。
    もしメダルでも取れたなら、さらにすごい充実感が起こるのです。「頑張ったぞ」という楽しみです。そのように正しい楽しみというのは、何かを頑張って「やり遂げた」ということなのです。それが、自分を幸せにする、こころを向上させる本物の幸福です。本能が求める貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)の毒を撒き散らす楽しみとは違った、正しい楽しみが別にあるのです。

■有意義なことをする

    例えばテレビを見れば見るほど、どんどん落ち込んでしまいます。時間が無駄になってしまうのです。勉強する時間や寝る時間も失ってしまうことになります。損ばっかりです。テレビを見ながら自分がその時間に見合ったものが得られるのかというと何もありません。本能に任せると、テレビが見たい、酒が飲みたい、美味しいものが食べたい、長く寝たい、怠けたいとか、いろいろと貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)の毒が出てきます。
    そうではなく、有意義なことをやりましょう。少しキツイかもしれません。しかし、何かをやり遂げたら、「やりました!」「完了しました」と充実した楽しみを感じられるのです。英語の勉強は面倒でつまらないのですが、世の中には英語検定などの試験があって、頑張ってそれに合格すると楽しみを感じるのです。そういうように、楽しみには差があることを憶えておいてください。

 
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』  

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