アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「悟ると輪廻転生しない」と「信じれば天国に行く」の違いです。

[Q]

    「悟ると輪廻転生しなくなる」と言いますが、よくわかりません。一神教の「信じれば天国に行く」ということと同じように聞こえます。どのように理解したらいいでしょうか?


[A]

    言葉では同じものだと聞こえるかもしれません。しかし意味には天と地の差があります。
    信じれば天国に行くという話はけっして証明できません。本当かどうかは死ななきゃわからないのです。また、信じることは曖昧そのものです。信じることで、確かな結果は得られないのです。
    この世の中では信じてよかったケースも、信じて裏切られたケースもあります。医者が「信じてください。治してあげます」と言ったとします。医者は本気でそう思っているかもしれません。本気で頑張るかもしれません。しかし医者の診断が間違っている、処方された薬が合わなかった、身体が治療に耐えなかった、などのいろいろな状況が起こり得るのです。
    「神を信じなさい。天国に行けます」と言われた場合は以下のことが考えられます。
    1.言葉通りに神がいるかもしれません。2.神がいないかもしれません。3.言葉通りに信じれば天国に行けるかもしれません。4.信じても天国に行ける条件ではないかもしれません。5.天国があるかもしれません。6.天国はないかもしれません。7.天国はあるが天国に生まれ変わるために信仰が必要かもしれません。8.信仰はまったく必要ではないかもしれません。9.天国に行ける方法はまったく別な道かもしれません。10.バカみたく信じていたからこそ天国に行けないかもしれません。
    どれぐらい曖昧な話でしょうか。極度にマインドコントロールされている人には疑問は起こらないでしょう。思考能力がある人にとっては曖昧きわまりない話です。
    欲、怒り、嫉妬、憎しみ、恨み、無智などで人が苦しみに陥る。立証できないと思うならば、思う存分、欲、怒り、嫉妬、憎しみなどに陥ってみてください。思う存分、無智なことをやってみてください。ただでさえ生きることは苦なのです。調べてください。「生きていきたい、死にたくはない」という生に対する愛着があるから、いくら生きることが苦しくても、諦めないでしょう。もし人が二度と起きないように欲、怒り、嫉妬、憎しみ、恨み、無智から心を解放したとしましょう。その人はふつうの人間にはまったく想像できない安らぎを味わうことでしょう。証明できないと思うならば、ふつうなら怒る場面であえて怒らないでニコッと笑ってみてください。怒ったときと怒らなかったときの差をチェックしてみてください。怒らなかった場合は心が安らぎを感じているはずです。充実感をおぼえているはずです。
    ブッダは証明してから語ったのです。解脱は死んでから達する境地ではないのです。死ぬ前に経験するものです。解脱に達してから「これはダメだ」と思ったならば、再び神を信仰することができるでしょう。神を信じて天国に行けるという話の場合は、死ぬ二、三分前でも十分間に合います。神を用いる宗教は何年信仰すればよろしいかと時間設定はしていないのです。ですから、寝たきりになって、身体がくたびれて、ろくに思考もできない状態におかれても、神を信仰することができます。
    理性があるとき、探究心があるとき、ものは試しになにかしてみたいという勇気があるとき、心の汚れを落とすことに挑戦してみてもバチは当たらないのです。神父さんに「今まで私は怒らないような人間になろうと頑張ってみました」と懺悔したときは、その神父さんが頭がいかれていないならば「汝は今まで重罪を犯し続けた」とは言えないでしょう。
    死後天国に行けるという話にはお釈迦様は大反対なのです。解脱・涅槃という安らぎの境地は「今、ここで」経験できるものだと説かれたのです。仏教はピンからキリまで、一から十まで証明できる話なのです。
    みな誤解するのは、天国の話を「解脱に達したら輪廻転生しない」と言葉を入れ替えたときです。輪廻転生とは単純な生まれ変わりの話ではなく、因果法則の話なのです。「ものは停止しない、変わり続けている、それには原因がある。心も停止しない、変わり続けている、それにも原因がある」というのは因果法則の話です。嘘だと思うならば、たった一秒だけでもよいので、物質を停止させてみてください。心を停止させてみてください。絶対無理でしょう。われわれは目の前で生死の循環の中で、生きているのです。生きるとは生死の流れです。解脱に達した人はこんな無意味な循環を停止するのです。
    ですから、「信じれば天国に行ける」「解脱すれば輪廻転生しない」、というのはどう見ても似ていないのです。証明できるか否かが問題です。神が存在するとどのように踏ん張っても、証明不可能です。解脱すれば輪廻転生しないというのは、誤解しやすい言葉の入れ替えなのです。お釈迦様が説くのは、解脱すれば一切の苦しみを乗り越えるという言葉です。別なところで「輪廻転生は苦しみの転生である」と説かれるので、その言葉がコピー&ペーストされているのです。間違いではないのですが、誤解しやすいのです。



■出典    『ブッダの質問箱』