【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日テーマは「苦集滅道」です。
[Q]
仏教がよくいう「苦集滅道(くじゅうめつどう)」とはなんですか?
[A]
「苦集滅道」とは、お釈迦様が悟りを開いて最初に発見した真理です。その真理の四つのタイトルです。「苦」「集」「滅」「道」は、それぞれを「苦」「渇愛」「涅槃」「八正道」と言い換えることができます。正確なパーリ語の訳は、「苦諦」「苦集諦」「苦滅諦」「苦滅道諦」と言います。これは進んでいく順番です。一番目は「苦という聖なる真理」。二番目は「苦が生起(しょうき)する聖なる真理」。三番目は「苦の滅という聖なる真理」。四番目は「苦の滅に至る道という聖なる真理」と言われます。
パーリ語で「アリヤ」(聖なる)という言葉があります。「聖なる」とは、「俗世間にはそれがありません」と、はっきり区別するための言葉です。四つとも俗世間の人間の頭の中にない思考です。ですから、「苦集滅道」の教えを聞く場合には、「生まれてはじめて聞く話だ」という気分になる必要があります。俗世間にはない内容ですから、もし、自分の固定概念や先入観で理解しようとしたら、意味を間違えてしまいます。
ブッダの教えが、なぜ知識の豊富な現代人でさえ理解できないのかというと、世間の枠(わく)の中で聞いてしまうからです。「アリヤ」(聖なる)という一語にとても大事な意味があります。俗世間と真理の世界を区別する言葉です。
聖なるという言葉にもうひとつ意味があります。それは「俗世間の次元を破って解脱に達することができます」という意味です。四聖諦を理解することが解脱に達することでもあります。知識として四聖諦を学ぶことは簡単です。しかしそれで悟りに達するわけではありません。ですから一般の人の学び方、学問的な学び方とは異なっているのだと、強調しなくてはいけないのです。四聖諦の「聖」は欠かせない形容語なのです。
■出典 『ブッダの質問箱』