松本紹圭(僧侶)
ジューストー沙羅(アーティスト / Aww Inc. プロデューサー)


仏教を現代に翻訳し続けてきた僧侶・松本紹圭氏がホストを務め、さまざまな分野の若きリーダーたちと対談する「Post-religion対談」。今回は「imma(イマ)」を始め、様々なバーチャルヒューマンを手がけるプロデューサー・ジューストー沙羅さんをゲストに迎え、新たな時代の精神性や価値観を探求していきます。技術と精神性、仮想と現実という異なる領域が交差することで、これからの「人間」の輪郭が浮かび上がります。


第4話    身体を超えた共生と表現の新境地


■身体と仮想の狭間で──「生きる環境」としてのhabitatと人間の再定義

沙羅    人間には限界があると思っていて。いま松本さんが言ったように、現代社会は明らかに「頭でっかち」になっている。数百万人をたった一人のリーダーが導けるという幻想とか、何億人もの人間が同一のルールで生きられるという発想自体が、その典型例です。
    縄文時代が一万年も持続した事実は、五十〜百人規模の共同体こそが人間の自然な在り方だったことを示しています。現代の「巨大社会モデル」は、ある種の傲慢ではないでしょうか。
    バーチャル技術の意義は、まさにこの「頭でっかち」な発想に気づかせることにあるのかもしれません。あるいは、肉体の制約を超えた新たな可能性を探る手段なのか。

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(撮影=横関一浩)
    最近、肉体が占める物理的スペースと、バーチャルが提供するスペースについて、ずっと考えているんですよ。現実問題として、地球上の全人類がハリウッドヒルズのような家を持つことは、欲望はあっても物理的に不可能。でも、バーチャル空間で人間の限界を本当に超えられるのかも、まだ自分の中ではハテナで。

松本    アニマルとしての人間の本質は、まず「肉体がある」という点ですよね。つまり、物理的に空間を占有している。今この対談でも、私たちは近くに座っていても、完全に同じ視点(パースペクティブ)を共有することは不可能です。視線を同じ方向に向けることさえ、厳密にはできない。注意力も瞬間ごとに一つしかないといった根本的な制約があります。
    人間はこの制約の中で生きざるを得ないけど、私はむしろエンジョイすればいいんじゃないかなと思いますね。今後は「habitat(生息環境)」という概念がもっと大事にされるようになるでしょう。habitatは人間だけのものではなく、鳥にも猫にもあります。うちの猫は基本的に家猫ですが、時々脱走するので、近所も一時的なhabitatになっています(笑)。私自身のhabitatは京都を中心に、東京や、実家のある北海道まで多層的です。移動時に使う新幹線もそうかもしれません。

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(撮影=横関一浩)
    重要なのは、私と猫が家というhabitatを共有し、相互に関係しながら環境を構成している点です。次の文明の鍵は、人間だけでなくあらゆる存在が適度に支え合えるhabitatを、状況に応じて創造的に構想していくことだと思います。固定的な「村」の複製ではなく、相互関係の中で柔軟に形成されるものが次の文明なんじゃないかなと思いますね。