アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「世直し」と「世界を変えていく」ことについての違いについてです。


[Q]

 仏教は「自分直し」で、「世直しは悪」ということを以前におっしゃっていたのですが、世の中には「世界を変える」とか「世界をより良いものに変えていく」というビジョンが普通にあります。「世直し」ということと「世界を変えていく」という気概と、どのような違いがあるのか教えてください。



[A]

■世間のスローガンに乗ってはいけない

 違いがあるでしょうか? 世間のスローガン(標語)に乗ることは、私は基本的に良くないと思います。「世直し」「正義の味方」は、ただのスローガンです。なぜスローガンが成り立つのかというと、自分の気持ちを誤魔化すためなのです。正義の味方と言って、自分の悪行為を正当化することができるのです。とはいっても、スローガンのように端的な言葉で表現したほうがわかりやすいことは否定できませんが。

■行動する前に自己反省と自己研究が必要

 いきなり世の中を良くしよう! と勝手に行動したとしても、すぐに良くなるわけではありません。日本人という前提で考えれば、「世界の中で日本はどんな立場にいるのか? またはどんな立場にいたのか? 今現在どんな立場になったのか?」とふうに反省をし、さらに「自分たちをどのように改良すれば、より周囲に認められ、世界の助けとなる存在になれるのか?」と自己研究すべきだと思います。そうでないと、はた迷惑な「世直し」と同じことになってしまいます。自分たちの国がめちゃくちゃなのに世界を良くしようと思うことは間違いです。

■グローバルな立場で考えること

 世界は激しく動いているのですが、日本は経済・技術・科学・教育などなど、あらゆる面で自分たちは「安定している」「強い」「大丈夫」と自己満足し止まっていたようです。今、世界を見回しても、突出して強い国というのはありません。政治家が自分を守る目的でグローバライゼーションという運動を起こして、今はそれほど得しないと判断して止めようとしているのです。しかし、世界は情報化社会に変わってしまいました。逆戻りはできません。今、まともなことを考えて実行するならば、グローバルという立場で行わなくてはいけないのです。ですから、「いかにして周囲と協力するのか?」と考えることで、存在・存続する力が出てくるのです。

■周囲との相互理解と互恵関係が不可欠

「世直しは悪」という言葉で私が言いたいのは、いきなり世界を良くしようと思って一人勝手に行動しても、この時代では成り立たないということです。今の時代、強硬に動くことはできません。いかにお互い認め合って、理解し合って、互恵的な関係を築かなくてはいけないのです。それは自己研究することで始まります。日本にとって世界に貢献できることは何なのか、世界に貢献した場合に日本の利益は何なのか、それを理解していれば問題は消えていくと思います。私は日本が世界に貢献できる具体的な提案をいっぱい持っていますが、誰も聞いてくれませんね。

■社会を存続させる努力は「生存欲」とは違う

 自己反省・自己研究で「生き延びる」ということを考えるべきだと思います。これは仏教でいう存在欲とは関係ありません。存在欲とは、個人の命が生き延びようとすることです。日本に住む人々にとっては、日本の社会が生き延びなくては困るでしょう。これは存在欲とは違います。自分に存在欲が無いからといって「では皆も一緒に滅びてください」とは言えません。存在欲が無い人に限って生命を慈しむのです。だから、「私の存続」ではなく日本の存続ということで考えるのです。
 そのように、自己反省と自己研究を基本にすれば悪にはならないと思います。自分が貢献できること、貢献によって自分が相手から欲しい・得たいものは何か、ということです。それでお互いに成り立つことができます。これは単純に「金を儲ける」ということではありません。個人ではない組織が「存続」するための話です。
 世界を見ると、どこか一国だけが強くなってしまうとバランスが崩れます。それは良くありません。日本に世界への発言力が無ければ、世界も平和にならないでしょう。例えば「この問題について日本政府の考えはどうでしょうか?」と世界に気にされないとダメです。いまはそれが無いでしょう。日本がどう思ったところで、世界は全然気にしませんからね。

■誰にも「正義の味方」になる権利はない

 悪にならない方法というのはそんな感じです。仏教ではお互いに助け合って生きることが基本ですから、これは時代と関係無く「命というのは助け合うことで支えられている」ものなのです。それを憶えておけば悪にはならないはずですね。親分になるのではなく、助け合うこと。力がある人がいれば、親の立場になっても構いません。親がいるからといっても、子供は奴隷ではありませんからね。家族の中で親の立場は強いですが、子供たちにも尊厳があります。親が子供の面倒を全部看てあげたとしても、決して子供は奴隷ではありません。強い国が現れるかもしれませんが、そうなったら強い国は親のように、経済的など力の無い国々を守ってあげるということが必要だと思います。日本は「生き延びるためにどうすれはいいか?」ということを先に考えるべきでしょう。
 質問にあった「世直し」とは、自我でやることですから悪になります。しかし、世界をより良くしていこうと志して、お互いに存続するように協力する場合は慈しみになるのです。お互いに助けあって生きることを目的にするならば、自我を張ることはできなくなります。そうすると悪にはなりません。ただの正義の味方は悪です。誰にも正義の味方になる権利はありません。


■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編3』   

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