【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「お釈迦様のカーストに対する態度は?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
お釈迦様はカースト(人間をバラモン[司祭]、クシャトリア[王族]、ヴァイシャ[庶民]、シュードラ[奴隷]の四つの身分などに分けた制度)に対してどのような態度だったのですか?
[A]
お釈迦様にとっては、まったく理解しがたい、認めがたい差別意識以外のなにものでもありませんでした。カースト制度とは、生まれによって人を差別することです。経済的な目的で、職業によって人を分けるのは現実的なことです。現代社会でも職業によって人は区別されるのです。それが人間差別にまで悪化すると大きな問題になります。インドではこの差別に教理学的なサポートがありました。神ははじめから人間を区別して作ったのだというのです。
お釈迦様は、いつでも科学者の態度(生物学的なアプローチ)で、この問題を分析しました。空を飛ぶ鳥たちのなかに、生まれによっては差があります。陸上の生き物にも生まれによって差があります。鳥と犬は生まれによって違う生き物なのです。しかし人間はどう見ても一種類だけだ、という答えを出しているのです。
お釈迦様が説明する生命の区別はわかりやすいものです。たとえば犬と牛を比較すると、食べるもの、生活習慣、繁殖の仕方などは違います。それを鳥たちと比較すると、さらに変わります。鳥たちの間でも種類によって生活習慣は変わります。そこでお釈迦様は自問します。「バラモンの女が子どもを産む方法と、シュードラの女が子どもを産む方法は違いますか。バラモンの女が子どもにおっぱいをあげる方法と、シュードラの赤ちゃんがおっぱいを吸う方法は違いますか」。
このように議論してみると、人類が生物学的に一種類であることは明確です。それでも人間の間で気をつけるべき差があるのです。それは道徳的か、否かです。バラモンであってもシュードラであっても嘘つきは嘘つきです。社会に迷惑をかけます。人を差別するために、人々を搾取するために、支配するために、人間がわがまま放題、好き勝手につくる差別は一切認めません。
努力によって人はなんにでもなれます。バラモンで生まれても、人を殺す犯罪者にも強盗にもなれます。低いカーストで生まれても道徳を守り、修行すれば優れた仙人になります。シュードラカーストの何人かがお釈迦様の弟子として出家して、修行を完了したのです。大阿羅漢になったのです。生まれはシュードラでしたが、国王を含むすべての人間の尊敬を受けたのです。仏教はカースト制度は絶対認めないのです。
■出典 『ブッダの質問箱』