中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)
ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。全六章(各章5回連載)のうちの、第三章です。
第三章 告白のダイナミックス ── 神と良心と禅問答[3/5]
第2の注目点──嘘をめぐる告白(続き)
■告白とはどういうものか?
ここで告白について、少しマクロな視点から論じておこうと思います。
告白というのは、他人に秘密を打ち明けることです。まず、嘘の告白、犯罪の告白、警察での自白などがあります。悪ではないにもかかわらず体裁が悪いのでためらわれてしまう失敗の告白、恋の告白などもあります。社会の側に敵意がある場合、民族や宗教や性的指向などをめぐる告白はやはり困難なものとなります。
罪を告白するのは倫理的に立派なこととされます。しかし告白を強要するのは禁じ手です。告白が対人的な懸念や恐怖に基づいていたり、利害をめぐる魂胆をもってなされるのは、避けるべきことである。だから伝統宗教では利害に満ちた人間関係を垂直方向に超越する神仏なる存在がいるものとして、この存在に対して告白するのを純粋と解釈してきました。
信仰告白と罪の告白とは、宗教的な告白の双子の兄弟です。いずれも、神の体制に対する従順(帰依)を意味するものであり、それゆえ絶対の意味合いをもちます。
とはいえ、現実世界においては、たとえ神の体制といえども、あくまでも人間が構築した教団的な仕組みに他なりません。超越的であるはずの宗教的な告白にもまた、人間どうしの力関係に由来する利害のゲームの要素が入り込む。これが歴史の現実です。
たとえば、ヨーロッパの教会が告白(告解)のシステムを組織した中世末期は、異端者を拷問にかけて真実を告白(自白)させる司法的なシステムが構築された時期でもあります。両者は連動している。悪名高い近代初期の魔女狩り現象もまた、告白というゲームの産物だったのです。宗教に距離を置く近代社会はこの闇を潜り抜けて誕生したのです。
19世紀にもなると日本を含む先進諸国では、個人的苦難や告白を含めた宗教的テーマをもつ文学や他の文芸作品が、本家の宗教をしのぐ説得力をもって人々を魅了するようになりました。こうした流れには伝統宗教の権威主義に対する批判の要素があります。
第一章で触れたように、文芸作品による現実の表出は、科学の実験に似たところがあります。ともに宗教の権威主義の失敗を乗り越えようとして生まれた仕組みだったのです。演劇や映画もまたそうであり、漫画やアニメさえそういう性格をもっています。