アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「ブッダの教えで本当の幸せは得られるのか?」です。

[Q]

    小学生の子供が近々受験するのですが、全然勉強をしようとしません。親としてサポートはしていますが成績も上がりません。親が子供の学力面でサポートしてあげられることにはどんなことがありますか?
    それから、私の子供は何をするにもゆっくりで、嫌なことは全部後回しにしてしまいます。そういう性格というのは親のしつけのせいなのでしょうか?

[A]

■親の責任と義務はこれだけ

    皆、基本的な性格は持って生まれたものですから、これはどうしようもありません。あなたは「私が産んだから自分の子供だ」と言いますが、子供は他の生命なのです。もし本当に自分の子供だというのなら、母親と性格も同じで、好き嫌いも同じで、すべて同じにならないとおかしいでしょう?    そんなことは、まるっきりありません、別人なのです。自分が産んだのだから育てる、それだけの話です。親が何にでも全責任を持つ必要はありません。
    親の義務は、子供に「自立しなさい」と教えることです。自立とは、「自分でできるようにしなさい」ということですね。それだけです。自立した先にはかなり広い世界が広がります。ですから、親が自分にできる範囲で自立することを教えてあげてください。

■子供の脳に伝わるメッセージ

    日常のことで、何をするにしても遅いのだったら、そのことを冗談にして楽しく言ったり、物語を作ってからかったりしてみてください。遅いことをネタにして茶化してみるとか。「早くしなさい!」と叱っても意味はありません。例えば子供に「水を一杯持ってきて」と頼んだとしたら、「お母さんは今、水が飲みたいから頼んだのに、こんなにゆっくりだと二日はかかりそう。持って来てくれた時には、お母さんはミイラになっちゃってるかもよ」とか、そんなように物語を作って言ってあげるのです。それはしつけでも何でもなく、ただ楽しくするために冗談にして言う。そういうふうに言った方が、子供にはすごく効果があるのです。「とにかく、今日のうちに水を一杯持ってきてちょうだい」と言ってみるとか。
    それから、嫌なことを後回しにするということですが、そういうことなら「この宿題は終わるのに一カ月はかかるでしょうね。死ぬまで終わらないかも」とか、そういうように大げさに物語を組み立てて言ってみる。そうすると子供が聞いてくれる可能性がかなり高くなるのです。子供にとっては面白く、興味が湧くように言ってあげないと、脳がメッセージを受け取らないのです。

■愛着の代わりに慈しみを育てる

    親が子供のすべてに全責任を持っても苦しむだけです。基本的な性格は本人が持って生まれてきたものだからどうにもなりません。ただ、その性格が生きる上で困るのだったら、それはきちんと言ってあげる必要があります。子供に「あなたはこんな性格だから、いろんな人がいる激しい世界でどうやって生き延びられるのか、まぁ親には関係ないけどね」と、事実をきちんと教えてあげることも必要です。
    子供が大人になって社会で生きるのは、本人のことですから自覚が必要です。「親には関係ないけど、心配だな」「世界は激しく動いているけど、あなたは止まっているみたい」というふうに言ってあげる。
    そのように事実を冗談にして面白く言ってみてください。そうすると、あなたの子供に対する「私のもの」という愛着も減っていきます。愛着の代わりに、「心配する(慈しみ)」という気持ちが育ってくるのです。心配する・相手の幸せを願うということは、善の気持ちになります。愛着は悪の気持ちになります。「私の子供」と思うことは執着で、悪い結果に繋がるのです。できるだけ大胆に、大げさな冗談で、子供が「えっ!    なに?」とびっくりするような感じで話してみてください。

■命令・指図は意味がない

    あと、例えば「勉強しなさい!」と言うよりは、「バカのままでいいと自分で決めたんだ?     そう。だったらもう勉強しなくていいね。頭が良くなりたいなら勉強しなくちゃいけないんだけど。とにかく決めるのはあなたですからね」「犬やネコさんもいろいろ覚えるし、あなたより賢いかもね」とか言っちゃうと、子供のプライドに火がついて勉強するかもしれませんよ。だた「勉強しなさい!」という意味の無い言葉ではダメなのです。「バカだからしかたないね」などと焚き付けた方が効果的なのです。
    だいたい親は感情的になって、つい一言余計に言ったり、一発で解決しようと思って言い過ぎたり、それが良くないのです。とにかく直接的ではなく、回りくどく言ったほうが効果があります。その場合も単純なポイントは言わない。「勉強しなさい」という言葉を使わないこと。のんびり、ゆっくりの子供には、「あなたに頼んだら一週間ぐらいかかりそうだけど、奇跡を信じで頼んでみます」とか言ってみると、きちんと頼んだことをやってくれる可能性があります。「早くやりなさい」とは言わないことです。そうやってしつけしてみてください。

■悪ガキ集団をマネジメントする

    昔の話ですが、あるお寺で日曜日ごとに大きな法要をやっていたのです。そこに小学生の悪ガキグループがいて、お寺というのは子供の遊び場なので、お寺に来たらハチャメチャに遊びまくるのです。大人は行儀よく法要に参加したりして、子供たちは自由に遊ぶ。そのお寺には拡声器もあったのですが、ある日私が拡声器で読経や説法をすると、この悪ガキたちの騒ぎ声でまったく聞こえない。そこで私が「うるさい!    静かにしなさい!」と怒鳴ってしまうとアウト。次の日、私は一番声が大きくて、一番やんちゃで、二十四時間走り回っても疲れないぐらい、どんな体力をしているのかわからない悪ガキたちのリーダーに、「ちょっとおいで、これから法要をはじめるから、あなたはこいつらが大騒ぎしないように管理してあげて」「こいつらはバカだから頼んだよ」――バカの張本人はこのリーダーですけど――と言うと、その子は「よし、わかりました」と反応したのです。静かにしろとは言っていません。その結果、法要が終わるまで大きな声は聞こえなかったのです。そうすると、その悪ガキたちやリーダーを褒めてあげたくなるでしょう。そのリーダーは皆から文句を言われるばかりで褒められることはなかったのですから、私は「よくがんばったね」と褒めてあげたのです。それも上辺だけのカラ褒めではなく、本当に褒められることです。

■子供が嫌がるフレーズ・言葉

    親は万能ではないのですから、失敗もします。子供には嫌がるフレーズ・言葉があることを覚えておいてください。「勉強しなさい」「早くしなさい」「早く起きなさい」「やめなさい」「そんなことしちゃダメ」などなど。そんなフレーズは聞きたくないのです。

■自立を見守る

    スリランカのお寺に帰ったら、私の部屋にも子供たちが来て泊まってゆくのです。なぜかというと、私と一緒にいるのがすごく心地良いからです。私は「早く起きなさい」とは言いません。こう言います。「あなたは起きる?    それともずーっと寝てる?     どっちにしますか?」とそれだけ。子供はどうしたらいいかを自分で考える。子供はよく寝ますよ。この間も、一度家に戻って準備して学校に行かなくてはいけない子に「明日は学校でしょう。何時に起きればいいの?」と聞いたら、いろいろ考えて「朝の六時ぐらい」と答えたのです。私は「そうですか、はい、わかりました」と。それで本人も五時半に目覚ましをセットして頑張っているのです。時間になったら起こしてあげようと思っていたんだけど、その子はアラームが鳴ると自分で起きて家に戻る準備をしていたので、私はわざと寝ているフリをして見ていたんです。本人にとっては、自分で頑張っているのだからなおのこと気分がいいのです。そういうふうに自立するのを見守るのです。その子は使った布団をキレイに整えて、寝ている私に挨拶をして家に戻って行きました。「大人みたいに自分一人で起きられた」と喜んで、ポジティブなデータが本人の脳に入るのです。私にも正直にその子のことを褒めることができます。

■自立のチャンスを奪う人権侵害

    子供の一挙手一投足にまで親が責任を感じてしまうと、かえって人権侵害に陥ってしまうのです。自立するチャンスを奪ってしまうことになります。例えば子供が「明日の朝、起こして」と頼んできたら、親は「私は疲れたから、自分で起きて」と言った方がいいのです。それか、「私は遅くまで寝ます。だって学校に行かないから」とか、そうすると子供は「大変だ、この親は助けてくれない」と自分で起きることに挑戦していくのです。そうして自立していくのです。そう言ったとしても、親はもちろん早く起きて食事を作ったりする。ですから問題ありません。自立させるためにそう言っただけです。しかし、その言葉で子供自身が自分の行動に責任を持つようになるのです。

■禁句を使わないしつけ

    そういうことで、子供たちが聞きたくない、嫌な気分になるような言葉、「○○しなさい」「○○しちゃダメ」「○○をやめなさい」というような禁句(命令)を使わないでしつけをしてください。「やめなさい」ではなくて、私なら「やってもいいよ、でも私は責任を持ちません」と言います。止めなさいと同じ意味ですよ。他にも「はい、どうぞやってください。何があっても私には関係ありません」と言ってみたら、子供は責任を感じて怖くなってやりませんね。「そんなことしたらケガするからやめなさい」ではなく、「ケガしたらあなたが一人で病院に行ってちょうだいね」そういうふうに本気で言う。そうすると子供は自分のやることに気をつけるのです。子供の自立を狙って、親は言葉を使わなければいけません。そう言ったとしても、失敗して、問題を起こしたりケガをしたりするでしょう。その場合は親がきちんと対応して病院に連れて行くなどして、手当てするのです。そんなことは親でなくても当たり前です。そのように大胆な言葉を使って、子供の常識を壊してあげてください。それで子育ては上手くいくと思います。徐々に自立してきます。

■生まれついた性格を活かしてあげる

    どんな生命でも皆、自分の性格を持って生まれて来るのです。他人には変えられません。持って生まれた性格で、どんな大人になればいいのかということを親は考えてあげて、上手く生きていけるようにその方向へ促してあげる、サポートしてあげるだけでいいのです。

■管轄外のことはプロに任せる

    学問や知識という教育には、親はほとんど関係ありません。学問などの教育は、それぞれのプロがやるものです。必ず親が勉強を教えてあげないといけないとか、そんなことはありません。余計なことです。
    私の親は勉強を教えてくれたことはありません。だから私は勉強ができなかったかというと、そんなことは全くなかったのです。私はいつでも成績が一番でした。テストが全部満点だったとしても、お母さんから「お前は賢いね、よかったね」とは一度も言われたことはありません。母親は自分の管轄外のことはひとつも手を出さなかったのです。しかし、私に「良い人間になりなさい」とは言いました。「生命をもてあそぶな」「人をバカにしてはいけない」それにはとても厳しかったのです。

■「みんな同じ命」という母の教え

    幼い頃、私は兄弟と一緒に動物を捕まえようとしました。川の浅いところにメダカがいっぱいいたのです。子供ですから、見たら捕まえたくてたまらなくなる。メダカの腹に光が反射してキラキラするのです。メダカは小さいですから、手で捕まえようとしてもできない。それで兄弟で考えて布を使ってメダカを捕まえようとしたら、母親に「命に対してなんてことをするの!    お前たちと同じ命ですよ」と、ひどく叱られたのです。

■「やめなさい」ではなく物語で教える

    ある時は、鳥を捕まえようともたくらんだのです。家の玄関の前を小さな鳥たちがウロウロしている。それを見て、一羽捕まえてみたくなったのですね。それで簡単な罠を仕掛けました。カゴの端にひも付きの枝を立てて隠れて待つのです。鳥がカゴの下に来たらひもを引っ張れば、カゴが被さって鳥を捕まえられるはずでしたが、その前に母親にバレたのです。その時母親は「やめなさい」とは言わずに、ある物語を教えてくれました。「お前たちみたいな小さい子が、立派な鳥を捕まえることはできません。できたとしてもせいぜい頭の悪い赤ちゃんの鳥でしょうね」と。捕まえてどうするのかと訊かれたので、私は「鳥かごで育てる」と答えたのです。「そうですか、お前たちも子供でしょう。お前たち兄弟を誰かが捕まえてオリに閉じ込めて、お母さんにも会えなくて、エサはもらって生きているけど、それで楽しいと思うの?」と、それだけ言ったのです。私はそれっきり、鳥を捕まえることはしませんでした。

■自分に引き比べて生命の尊厳を守る

    ある日、家に身体に障碍のある人が物乞いに来て、私はその人を見て怖くなってしまい「うわぁ、お母さんヘンな人が来てる!」と言ったのです。お母さんは、まず「ヘンな人ってなに?    お前も手足があの人のようになったら、みんなからヘンな人だと言われたい?」とそれだけ言って、食べ物などを物乞いの人にあげたのです。そういう時、親は厳しく言ったものです。しかし、私がいくらテストで満点を取っても、これっぽっちも気にしませんでした。

■「自立しなさい」というメッセージ

    私の母親は自立しなさいとは言いませんでしたが、子供が依存するようなことがあれば厳しく叱りました。「お母さん、お腹空いた」と言うと、母親は「お母さんがいつまでもいるわけじゃないよ」と言うのです。その一言は子供にはものすごく効くのです。ショックがあるのです。「自立しなさい」というメッセージですから。人間というのは、言葉を聞いて成長する生き物なのです。
    皆さんも頑張ってみてください。みんながやっているからとか、そんなワンパターンな子育てではなく。現代の子育ては、それほど上手くいっているようには思えません。もともと良い性格を持ってきた子供が上手くいっているだけで、ちょっとガタガタの性格を持った子供たちは最悪な状態です。もし性格的に困ることがあったとしても、それをしっかり自立に導いて育てたなら、親は「頑張りました」と満足することができます。

■親が教えるべきこと

    学問や知識といった教育には、親がそんなに責任を持つ必要はありません。親の仕事は自立させること・良い人間を育てることなのです。善悪を知っている、悪いことをしない、怒り・嫉妬・憎しみを持たない、道徳を教える、みんなに優しいという性格を育てるようにする。これは人類誰にでも必要なことです。ですから、やることが遅いとかそういうのは大した問題ではありません。自我を張らない・思いやりを持つ、そういうことは親が教えるべきです。勉強や芸術などは専門家に任せてください。


■出典    https://amzn.asia/d/1PjMO7q 

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