青山俊菫


曹洞宗を代表する僧侶である青山俊董老師を、ご東堂を務める長野県塩尻市の無量寺にお訪ねしてお話を伺った。青山老師は、澤木興道老師、内山興正老師、余語翠巖(よごすいがん)老師を師として禅の修行を窮め、尼僧として平等の地平を切り拓いてきた日本仏教界の至宝ともいうべき存在である。この夏、ご体調を崩されて入院をされていらしたというが、退院間もない10月下旬に貴重な機会をいただいた。サンガジャパンでは2020年にもインタビューをさせていただき、その時も病のお話をいただいたが、此度の入院を経てのご境地を伺うことができた。
そして、このコロナ禍で社会のほころびが露になった現在、「なぜ今、仏教なのか」というテーマで特集を組んできたが、私たちの社会の問題、個々の心の問題、環境危機をはじめとする世界全体で向き合わなければならない課題に対して、国内外で活躍し幅広い知見を持つ老師のお考えをお伺いした。
文明の大きな曲がり角にあるいま、あらためて仏教の価値を老師から学ばせていただきました。5回に分けてお届けします。


第1回    南無病気大菩薩


■授かりものの命

    ここ信州はいいところです。朝、本堂の回廊をリハビリも兼ねて歩きますが、目の前が3,000メートル級の北アルプスですわ。山を見ながら緑の中で一生懸命歩くリハビリをしています。愛知の尼僧堂もわりに緑の中ですが、やはりここは緑の深さが違いますからね。ありがたいと思いながら、すべてに向かって「南無」と合掌して毎日を過ごしています。

★_k_IMG_0165-s.jpg 896.94 KB
無量寺の山道。入り口の伝道掲示板には青山老師の言葉が
    いつの間にか私も年をとり、来年は数えで90歳になります。おかげさまで無理がきいたものですから、3、4年前までは夜の9時に坐禅会やらお務めが終わると、部屋で原稿の仕事を夜中の12時すぎまでやって就寝、朝3時半には起きて4時から坐禅、そんな生活を送っていました。しかも、ここ無量寺と愛知の尼僧堂だけで手一杯なのに、北海道から九州まで各地で定期講座を毎月のようにやっていました。
    体に無理があって悲鳴をあげているのに、聞こえなかったのでしょうね。ちょうど3年ほど前、コロナ渦に入る少し前にとうとう脳梗塞と心筋梗塞で3度入院することになりました。(編集部注:退院後のご様子を旧サンガでは2020年2月に取材している「サンガジャパンVol.35」掲載)
    そして今年(2021年)の7月には、無量寺の坐禅会で講義を終えた後に大量な下血があって、翌日入院したら大腸ガンと診断されました。幸いなことに血液がサラサラになる薬を飲んでいたため、小さな傷で大量に下血して初期で見つかり、転移もありませんでした。
    それで、手術も無事にすんであと1週間で退院というときに、今度は本を読んでいると意識がなくなって心臓発作(房室ブロック)を起こしました。病院にいたのですぐ手当ができましたが、その時の心臓マッサージでは肋骨1本が折れて、2本にひびが入った。そのくらいしないと、心臓マッサージにならないそうですが、その後すごい痛みが1ヶ月続いて、そのほうが大変でしたよ。でも、たとえば移動の車中などでしたら、今生きていなかったです。病院で発作を起こして、助かりました。
    そのように、あらゆるところでお助けをいただいて、「もうちょっと生きて、人生の締めくくりをしろよ」と、言われたような気がしましてね。本当に授かりものの命ということを、今回ほど感じたことはありません。