自分では些細な行為と思うことでも、それが十分に慈悲の行為である場合があります。微笑むこともそうですし、あるいは「この人が幸せだったらいいな」と考えるだけでも、十分に慈悲なのです。


Dr.バリー・カーズィン(チベット仏教僧侶、医師)
(サンガジャパンVol.30 田口ランディ氏との対談「慈悲を生きるとは?」)
※肩書は掲載時