アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「プライドって何ですか?」です。

[Q]

    長老のご著者『心は病気』(KAWADE夢新書)に「相手のプライドを傷つけると二度とその相手と仲良くできない」とありました。プライド以外にも二度と相手と仲良くなれない要素がありそうですが、これまで、私はきちんとプライドというものを理解せずに生きてきたので、多くの人を知らぬ間に傷つけているのに、嫌われてから初めて嫌われた事に気づいた人間です。 今後は相手のプライドを傷つけずにしっかりと生きていきたいので、プライドについてきちんと学びたいです。


[A]

■プライドの二つの意味

    良い質問だと思います。「プライド」という単語には意味が二つあります。ひとつは仏教用語で「慢」という意味になります。もうひとつは自分自身に備わる品格・自尊心という意味です。たとえば、やってはいけないと思っていることをやってしまい、自分で自分を情けないと感じる気持ちなどです。品格や自尊心は悪い意味のプライドではありません。慢というプライドは悪い意味です。人はそれを失くす努力をするべきです。世の中には、人々が大事にする様々な価値観があります。国や文化によって変わる価値観もあるし、人類に共通する価値観もあるのです。
    「あなたは何をしているのか?」と咎められたとしましょう。言われた相手は少し暗くなります。もしかするとその人は、自分のプライドを傷つけられたと感じた可能性があります。とは言っても、人々に様々なことを教えなくてはいけない。間違いを正さなくてはいけない。注意しなくてはいけない。躾しなくてはいけない。指導しなくてはいけない。それから、一般的な会話もしなくてはいけない。このようなことを行なう場合、相手が嫌な気持ちを抱いたり、落ち込んだりするなら気をつける必要があります。人には自尊心があるのです。言う人も言われる人も同じです。相手の自尊心を傷つけないように気をつけるべきです。これが一般的に言うプライドでしょう。

■出家に必要な品格のある生き方

    一般的な意味のプライドという単語を、仏教は専門用語として使っていないのです。しかし、その意味を充分活用して、出家にアドバイスすることが度々あります。出家者とはブッダの教えに従って生きる弟子たちのことです。ブッダは偉大な方で、完全たる人格者なのです。その方の教えを学び指導を受けているなら、出家者としてのプライドを守らなくてはいけません。情けないことをしたり、戒律を犯したりしないように気をつけるのです。たとえば出家比丘は、在家に「○○がないので、いただけませんか?」「○○をください」と要求することは絶対に言ってはいけません。もしそう言って貰ったものがあっても使用してはいけません。戒律の中にもきちんと書かれている禁止事項です。
    俗世間でも、人に「あれをくれ」「これをくれ」という態度は情けないのです。相手が嫌がるのです。出家者と在家が互いによく知っていて、仲良くなる場合はよくありますが、その場合でも、在家の人は出家生活に必要なものを自分で判断して施すのです。または「必要なものがあったらいつでも知らせて下さい」と申し出ることもあります。それでも、「あれをくれ」「これをくれ」と出家が頼んではいけません。
    戒律の中に「情けないことをするなかれ」というたくさんの項目があります。品格のある仏弟子として、社会から非難や批判を受けないようにすることが大事なのです。現在でもテーラワーダ仏教のお坊さんたちがある程度、尊敬されているのは、ブッダに戒められたプライドを守っているからです。それを守らない出家者は在家から厳しい批判を受けます。

■生命の存在する権利

    プライドが仏教の専門用語になっていないのは、道徳・戒律の範囲で生き方に関して詳しいアドバイスがあるからです。結局は、プライドが傷つかないように生きることが道徳の範囲に入ってしまったのです。質問に出たプライドは仏教道徳のプライドとは違うので、別の角度から解釈を試みます。プライドを「尊厳」という言葉に入れ替えます。「人権」と似ていますが意味は違います。人権は英語で「human rights」です。仏教では人間だけではなく全ての生命を扱っているので「living rights」となります。日本語の「尊厳」は少々硬い単語なので、簡単な「プライド」という言葉を使いましょう。
    怒りに狂って喧嘩したいなら簡単な方法があります。相手の尊厳またはプライドを壊す言葉を選んで使うことです。そのような言葉を仲良し同士で使う場合は、それほどダメージはありません。「お前とは二度と口をきかない」「もう絶交だ、顔も見たくない」と言っても、別の日になれば顔を合わせて仲良くすれば良いだけです。そんなこと友達同士なら普通にやっていますね。二、三日ぐらいは口をきかないこともあるかもしれませんが、そのレベルなら何の問題もありません。また仲良くすることも関係を修復することも、いくらでも可能です。それは、酷い言葉を使ってもプライドが傷ついていない時です。

■相手の尊厳を攻撃すると関係は壊れる

    全ての生命が平等であること、全ての生命に尊厳があること。それはいかなる場合でも傷つけてはいけないことだと理解しましょう。もし気づかず不如意でも相手の尊厳を傷つけてしまうと、かなりのダメージを与えたことになります。本気で存在を否定するような態度や言葉、生きていることを貶す・バカにする言葉を使ってしまうと、その言葉は相手の心を深く強く傷つけます。尊厳を傷つけると治り難いのです。傷つけた相手と会う度に心の傷が開いてしまう。ですから、この意味でいうプライドは「living rights」なのです。いかなる生命にも生きる権利があります。これは宇宙法則・生命法則です。不殺生の戒律があるのも他の生命の生きる権利を奪うことが法則違反になるからです。

■どんな生命にも尊厳があることを忘れない

    尊厳は人間に限らず、動物や昆虫といった全ての生命に当てはまることです。動物でも相手が自分をひとつの存在として平等に扱っているかどうかよく感じて知っています。野良猫たちを見て「汚い猫だ、気持ち悪い」「コラッ、こっちに来るな」という気分になることで、野良猫たちの尊厳を傷つけているのです。野良猫たちも食べるものが無く空腹で苦しいのを我慢して生きています。生きることは苦しいことだと理解して、憐れみを抱くべきです。どんな生命にとっても生きることは「苦」との闘いです。それでも生きていきたいと努力しているのです。言葉や他の態度で尊厳を傷つけることは非道徳的な態度です。

■本能としては尊厳まで攻撃しない

    これまで何人かの子供たちが私に「どうしたら学校でいじめをなくせますか?」と質問しました。正義感のある子供もいます。世の中で正義の味方というのはまやかしですが、世の中を良くしようとする気持ちに対して私は何も言いません。しかし、私に直接「いじめをなくせるか?」と聞いたのなら答えは簡単です。「社会のいじめはなくならない」と答えます。生命はずっと同じグループの中で互いにいじめ合っています。これは悪いことではありますが、動物の本能としてやっていることでもあります。犬猫同士でもいじめがあります。サルにもいじめがあります。鳥たちにもいじめはあります。動物たちのいじめは遺伝子的な本能としてやっているだけなので、当然そこには決まりがあります。決まりの範囲内でいじめをします。決まりは破りません。本能なので破れないのです。
    オス同士がケンカをする。闘う前にはどちらが強いのかわかりませんが、闘っていくと吠え方や体力などで強さがわかります。負けるとわかった方は、相手にお腹を見せて降参するのです。それで終わり。動物社会はそのように役割が決まるのです。自然の中で各自の役割が決まり、本能で生きる動物たちは自分の役割を果たすということをやっているだけなのです。もちろんそれでケガをしたり、死んでしまうこともありますが、意図的に憎む相手を殺そうとしたり、楽しんで傷つけようとすることはありません。本能というルールの範囲内で行われているようです。

■妄想によって人間は異常になる

    もちろん人間も動物なので、本能という遺伝子プログラムがあります。しかし、その本能ではなく思考を使って感情をかき混ぜて、妄想を膨らませ、怒り・憎しみ・自我や無知によって傲慢になり、その上で生きるプログラムを実行しようとするのです。ということで、人間同士のいじめは自然法則の中で起こるものとは全く性質の違うものとなっており、普通のこと・気にすることではないとは言えません。つまり異常なのです。
    家族の中に子供がいて、新たにきょうだいが増えると、最初の子は弟や妹に対して腹を立てて嫉妬します。母親は生まれた赤ちゃんにつきっきりになりますから、本能的にそちらに愛情を取られると勘違いし我慢できなくなるのです。だから先に生まれた子供は赤ちゃんをいじめたり嫌ったりと、相手の存在を認めず敵対的な行動を取るのです。そこで両親が理性を使って、最初の子供に仕事・役目を与え、「えらいね、お兄ちゃん/お姉ちゃんだね」「すごいね、自分一人でできるようになったね」とわざと褒めてあげたりする。そうするとその子供もだんだん「この弱い赤ちゃんの面倒をみなくちゃ」と思うようになって、いじめるどころか世話をするように変わっていくのです。母親の妊娠中から準備をして、最初の子に対して、次に生まれてくる赤ちゃんを受け入れるためのオリエンテーションをすることもあります。そうやって準備しないと、人間の場合はとても危なのです。子供とはいえ、力の加減もわからずに攻撃してしまいますから、思っているより危険です。
    そういうわけで、人間社会や組織でもいじめはなくならないと言いました。そこで私たちは、相手・他者の尊厳を守るようにと、厳しく自分の本能を制御しなくてはいけないのです。それが子供たちに出した答えです。

■尊厳を犯すことは生命法則に逆らうこと

    私はなぜ「相手のプライドを傷つけると二度とその相手と仲良くできない」と、そこまで断言できるのかというと、これは心の法則だからなのです。生命の生きる尊厳・存在価値を傷つけ壊してはならないのは、生命法則に反することだからです。それは重い罪です。たとえば、夫婦げんかなんかはよくあることですが、その場合も、感情を爆発させて、相手の尊厳を潰すことは絶対にダメです。「アンタなんか人間じゃない」「俺がお前を養っているんだろう」などの言葉は絶対的にやめるべきです。尊厳を傷つけ合った夫婦は簡単に敵同士になってしまいます。


■尊厳を犯さないための解決策は「慈しみ」

    ですから、私たちは日常生活で相手とケンカすることもあれば、悪口を言うことも、無視することもあって、意地悪することもあったり、いろいろ悪いこともしますが、それでも相手の尊厳は守らなくてはいけません。尊厳を傷つけて壊すことだけはやってはいけないことになります。ですから、全ての人間・生命の解決策は「慈しみ(慈悲喜捨)」を実践することだとお釈迦様が教えられています。慈しみの思考・気持ちが心にあると、どんな生命でも平等にみられるようになります。

■最後の引き金を引かない

    質問には「嫌われてから初めて嫌われた事に気づいた」とありますが、これは仕方ありません。自分が怒りで感情的になってしまい、相手の尊厳を傷つける言葉を言ってしまった。当然、その時には感情が勝っているので気がつかない。言ってから相手の反応をみて、「あぁ、やってしまった」となる。たとえ話で理解しましょう。ピストルを持って「言うことを聞かないと撃つぞ」と人を脅すとします。しかし、冗談ででも引き金を引いてはいけません。たとえ銃口を相手の口の中に入れるまで脅したとしても、引き金を引いてしまえば後戻りできません。怒りを抱いた相手でも、もし問題が無くなれば関係を修復することができるかもしれません。そのような感じで、尊厳を否定するということは、ピストルの引き金を引いたように、相手に致命傷を与えてしまうのです。死んでしまうか死ぬほどの苦しみを与えることになります。そして元には戻らないのです。

■自他のプライドを大事に守る

    ケンカというのは相手を傷つけるための行動です。傷つけない行動や言動なら、相手はじっと聞いているだけでケンカになんかなりません。しかし、ケンカは危ないのです。すぐに相手の存在を否定し、尊厳まで攻撃するようになってしまいます。一人ひとりが慈しみを実践するようにしてください。
    プライドという言葉の意味をまとめます。全ての生命に生きる権利がある。尊厳がある。その尊厳を犯すことは法則違反となります。生命法則を犯した人には、その法則によってかなりの罰が返ってくるのです。不幸になってしまいます。法則なのでどうすることもできません。神様にも仏様にも、誰にも変えることのできない法則なのです。プライドとは「生命の生きる権利」であると理解しておけば良いと思います。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』
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