アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「いじめからサバイバルする方法」です。

[Q]

    いじめにどう対処すればいいでしょうか?    小学6年生の子供がずっといじめられ学校に行きたくないと言っています。学校に対策を求めると一時的には収まりますが、子供同士では〝いじめてもいい存在〟という認識のようです。学校に限らず、弱肉強食の世界にどう対応していけばいいのでしょうか?

[A]

■子供の問題は子供に答えるべき


    これは子供の問題ですから、子供本人が答えなくてはいけないことです。そうするとズバリという答えが出てきます。仏教的にはこの質問には答えられません。悩んでいる人に答えがあるのであって、「私の友達が悩んでいるんだけど、どうすればいい?」と他人が質問したとしても、その答えは「関係ないお前は黙っていろよ」ということになってしまうからです。
    問題というのは当事者にしか解決できません。なぜかというと、「私の問題」は私の生き方から現れてきたものだからです。ですから、私自身が自分の生き方をどのように調整すればいいのか?    ということが、いじめに対しても、他の問題・トラブルに対しても答えになるのです。多くの人は第三者として、親が子供のいじめに対して解決方法を訊くのですが、それでは答えは出て来ません。その場合、私に答えられるのは「第三者として親はどうするべきか?」ということだけです。

■いじめ撲滅はありえないこと

    では、少し時間を取りますが、「いじめに対してどう対応するべきか?」ということに答えます。いじめというのは弱肉強食の法則なのです。皆この法則によって生きているのですから、いじめということは無くなりません。いじめ撲滅はあり得ないことです。
    地球に現れた生命というのは、弱い者を殺して・潰して・食べて先に進むという進化過程なのです。結局、世の中はいじめたほうが勝ちでしょう。例えば人間が地球上の全ての生命をいじめて・潰して・絞め殺して・食べて生きていて、自分たちは生物の中で一番上だと威張っているでしょう。残酷といえば残酷なのですが、それが世の中にある生命の法則になっているのです。
    どう考えても弱肉強食が良いわけが無いでしょう?    良いわけがないのですから、仏教は別な道を教えているのです。だからと言って、肉体を持って生きている生命が弱肉強食の世界で生きることは避けられないことでもあります。例えば、私たちが肉や魚を食べないことにしたとしても、かわいそうに逃げられないジャガイモやキャベツを採って食べているわけです。その場合、野菜などは育てているから大丈夫という言い訳も成り立ちますが、植物の中でも生存競争があります。競争はあるのですが人間が手を加えているせいで一部の植物は虫にも食われず元気で育つのです。ですから、育てているから食べてもいいと言い訳できます。
    そこで人間の社会も、お互いに闘わなくてはいけない社会になっているのです。勉強も闘いで、仕事も闘いで、何から何まで闘いです。結局は兄弟でもライバル意識を持っているんです。ですから、そういう現象は生命・人間がいる限りはあり続けると理解した方がいいでしょう。

■一人ひとりが環境の中で勝ち抜かなくては

    一人ひとりが「生存しなくてはいけない」と理解する必要があります。そして、それぞれの置かれた環境の中で闘わなければならないのです。そうでないと現実的ではありません。それぞれの環境は違います。同じ家族であっても、お母さんの環境とお父さんの環境は違います。例えば四人家族では、父親役の人は他の三人を父親の視点で、母親は他の三人を母親という役を通して見ています。それぞれ違う立場で、違う環境なのです。子供は姉という立場や、弟という立場で社会を見ている。ですから、個人個人に固有の、闘う世界が現れるのです。
    その環境の中でどう勝ち抜くのかということは、あくまでもその個人の勝負です。母親には子供の立場でどうやって家族の中で対応するのかということは教えられません。母親にできることは「母親としてどうして欲しいのか」ということだけなのです。しかし、子供から見れば、母親の言う通りにするかどうかは別な話になります。ですから、いつでも親子の間でトラブルが起こったりします。母親は子供にこうして欲しいと言う。子供は母親にこうした方がいいと思っているのですが、それは言えない。それで、言った通りにやらないということでケンカになる。また、ダメと言ったのにやったということで揉める。
    ご質問に対して、私の答えはややこしくてわかりづらいかもしれません。しかし、少し考えればこれが答えなのです。慰め・気休めの答えではありません。生きることは怖いことなのです。


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