【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「癌の宣告を受けた」という質問者からの相談に長老が答えます。
[Q]
四年前に定年退職した六四歳です。特に自覚症状も無いのに、たまたまCT検査で画像に映っていたものから、さらに詳しい検査で調べていって癌だと判明しました。
「何で私が?」という気持ちは全くありません。六〇歳を過ぎたらいつ癌を宣告されても不思議ではないと常に心にありました。だから診断された時も、そんなに驚くこともなく冷静に受け止めました。毎日、一〇~一五分くらいですが冥想をしています。欲(煩悩)を捨てるほど、気持ちは楽になると思っています。
今後、抗癌剤を使った、多分つらい治療が始まります。これからどのような気持ちを維持すればよいのでしょうか。
子供も成人し、扶養の心配が無いのが救いです。家族も年金と預金で何とか生きていけるだろうと思っています。
「私は生きたいと」いう気持ちを強く持つべきでしょうか? 欲を捨てる方が気持ちが平静であるような気もします。どういう姿勢で過ごすべきか教えて下さい。
[A]
■「生・老・病・死」は細胞の本性
肉体が病気に罹るか罹らないかを真剣に考える必要はありません。全ての細胞に「病」という本質があるのですから。それが無ければ細胞は壊れることも、代わりに新たな細胞が生まれることもありません。「生・老・病・死」は細胞の本性です。その働きが正常であるならば、悩むことは無いのですが、故障して乱れることが頻繁にあります。俗に癌という病気は、生老病死の〝生〟が乱れている、ということになるのです。正常に戻すことができれば良いのですが、簡単なことではありません。生老病死の一つが異常になると、その影響は残りの三つにも及びます。肉体に執着している人間が病に罹ったら必死になって治療しますが、これは決して勝てないモグラたたきのゲームのようなものです。
■解決するべき課題は「執着を捨てること」
人間は、細胞組織のために苦労を惜しまず生きるべきではないと思います。人間が解決するべき課題は「執着を捨てること」です。執着を捨てることに成功すれば解脱に達します。ですから「生きたい」という気持ちを強く持つということは正しいアプローチではありません。生きるか、生きられるか、死ぬか、などは我々の管轄外の問題です。細胞たちは本質である生老病死の流れで変化して、自分勝手に壊れて死を迎えるでしょう。正しいアプローチは、こころを清らかにする、人格を向上するプログラムを実行することです。
■間違ったアプローチが落ち込みをもたらす
現代人は癌を発見するとひどく落ち込みます。決定的な治療方法が無いにも関わらず、ありとあらゆる手を打ちます。初期なら攻撃して壊すことはできますが、治療が間に合わない場合もあります。不自然な出来事が起きたわけでも、あってはならないことが起きたわけでもありません。生老病死を本質にしている細胞組織に、期待を抱いた私たちのアプローチが間違っていたのです
■心のメンテナンスに専念する
これから正しいアプローチを説明します。「身体が病で壊れても、心を健康に保つ」という理論で行います。治療は医者に任せてください。自分が責任を持つ必要はありません。治療中は医者のアドバイスも看護師のアドバイスもよく聞いて、わがままな振舞いをやめます。医者と看護師は肉体という機械のメンテナンスをするプロだと理解しましょう。でも彼らにも心のメンテナンスはできないので、それは自分でやるのです。努力しても希望通りにならないこともあります。それは肉体のメンテナンスの場合も、心のメンテナンスの場合も同じ現実なので、落ち着いて精進しましょう。「必ず成功しなくてはいけない!」というすごい執着心から生まれる妄想概念にとらわれないようにしましょう。
■「肉体は自分のものではない」という観察
「肉体は自分のものではない」という観察を実行しましょう。身体に起こるさまざまな感覚、さまざまな変化、変動する体調などを言葉で確認することにしましょう。「私に痛みがある」というのは、間違った観察です。「この肉体に、今痛みが起きている」というのが正しい観察です。体力があるうちは歩く冥想を実践する。座る冥想の実践もやったほうが良いと思います。一〇〜二〇分程度では足らないかもしれません。徐々に時間を伸ばすか、回数を増やすか、どちらかにしなくてはいけません。体調が悪化してベッドで過ごすことになったとしても、実践はやめるべきではありません。その時も「この肉体は、私のものではありません。私の希望どおりに動くものでもありません。私に幸福を与えるものでもありません。悩み苦しみを経験させる機械なのです。身体は瞬間瞬間、変化してゆく。感覚も瞬間瞬間変化してゆく。どんどん楽になる流れではなく、どんどん悪化して、死で終わる流れなのです」。このようなアプローチで身体の変化を言葉で確認する作業を行って欲しいのです。このプログラムは、誰でも必ず迎える死が起こる前に、解脱に達する方法です。
■心を慈悲の気持ちで満たす
身体と心を観察するヴィパッサナー実践がうまくできない時もあります。その時は心を慈悲の気持ちで満たすように、慈悲の実践を行ってみてください。ヴィパッサナー冥想とは形式的な冥想ではありません。身体の変化と感覚の変化を観察するプログラムがヴィパッサナーです。「病気に罹ったおかげで、真理を発見して、真理に達することができました」と、歓喜することができるようになると思います。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』