【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「瞑想というタイトルに騙されないこと」です。
[Q]
貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)を無くすためには瞑想を続けていくことしかないのでしょうか?
[A]
■瞑想とは観察
他の方法があるならば、人類は真理を発見していることでしょう。ブッダの教えに従っている人々以外、誰も真理を発見してないのです。あなたはただ「瞑想」という名前・タイトル・言葉・概念に囚われているだけです。仏教では、瞑想といって得体の知れないことをやっているわけではないのです。仏教で実践しているのは「観察」することです。ただ観察すること。立つ・歩く・座るという場合は、自分の肉体と感覚を観察しているだけで、世間にある気持ち良くなるための瞑想ではないのです。
観察しなければ、どうして真理を発見できるでしょうか? 観察しなければ、何も理解し体験することができません。ただ「貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)は悪い」「貪瞋痴をなくすぞ」と思ったとしても、そんな生き方は無理です。それは観察することで理解し達することができるようになるのです。
■マジシャンの種明かし
わかりやすい例えは、マジシャンの種明かしです。マジシャンの仕事は、人を騙す・欺くことです。人をまんまと騙して金を取っているのです。腕のいい有名なマジシャンになると、人を騙すことが上手です。マジックとは、因果法則ではあり得ないことです。しかし、マジシャンはトリックや仕掛けを使って私たちを騙します。そこで私たちがマジックの種を知ったらどうなるでしょうか? 種がわかったなら騙されません。
昔、ある二人組のマジシャンがいて、この二人のショーでは、自分たちがやっているマジックの種を明かすことで笑いをとっていました。ひとつ覚えていることは、頭に小窓のついた大きな筒を被せるのです。一人が頭に被った筒を回す。筒が回ると小窓も回って、その小窓と一緒に顔もクルッと回っているように見える。そして、筒が一回転して戻ってきた時に、小窓の奥の顔が、あたかも一回転したかのように同じ方向から回って見えるのです。そこで人に錯覚が起こります。筒の中の顔や頭も三六〇度回転しているのではないかと勝手に妄想をするのです。そう思わすように見事にやって見せるのです。早く回転させたり、ゆっくり回転させたりする。そこで、筒を回している一人がわざとタイミングを外して筒を回す。そこで種がバレてしまうということです。実際には筒を被っている人は、顔や頭を左右に振っているだけ。ただ、それだけです。種明かしをしたら、もう前と同じような錯覚は起こりません。終わりです。
■タイトルに踊らされる危険
私たちがよく使っている「瞑想」という言葉にしても、結局はタイトルに騙されて踊らされているのです。私たちは膨大な量の知識と概念を持っています。それがマジシャンのように人を騙すのです。そこを発見するためにも、やはり観察しなければならないのです。観察することで、煩悩・貪瞋痴がどのように現れるのかを発見し、その仕組みが明確に理解できるのです。それは貪瞋痴の種明かしです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:瞑想実践編3」