アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日はインドでの遺体の処理と糞掃衣の関係についての質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    お釈迦様は、死体置き場の死体を包んでいた布で衣(糞掃衣)を作られたといいます。インドでは、昔は森の中に死体を放置したのでしょうか?

[A]

    今のインドは火葬が一般的ですが、当時から火葬する習慣もありましたし、放置する習慣もありました。どちらも死体処理として一般的でした。ただ、埋葬はあまりしませんでした。お金のない一般の人々、あるいはカーストの低い人々が亡くなると、墓場に放置していました。場所は決まっていて、あたりかまわず放置するわけではありません。町からかなり離れた森の一画を遺体の捨て場にしていました。死んだ人の遺体を大切に
運び、そこにほかの遺体と並べて置いて帰ったのです。
    西洋は埋葬をしますが、魂がちょっとしたことで壊れると思って怖がったのです。インドでは、「魂はそう簡単に壊れるものではない」と考えられていました。焼こうが、放置しようが、動物に食べられようが関係ないという考えでしたから、埋葬は一般的ではなかったのです。
    インドというのはいろいろジンクスとか、吉・不吉などの信仰がすごく厳しくあります。朝、起きて、最初に聞く声によって、今日が吉日か凶日かを決めたりします。出かけるときも、なにも入っていない容器、とくに水容器ですが、それを誰かが道の向こうから持ってくるのを見たら「不吉だ」と言って出かけません。心配な場合は、家の誰かがわざわざ先に行って、水でいっぱいになっている水瓶を持って反対側から来るように
するのです。
    そういう世界ですから、遺体を巻いた布は当然、極限に不吉なものです。それを修行者があえて着るという考え方もありました。修行者はみんなが一番嫌うものを身につけるということです。それは修行者の考えです。
    お釈迦様は別に、苦行的に不吉なものを選んだわけではありません。単純に衣がなくて、なにか着るものが必要だったのです。そこで誰のものでもないもので衣を作った、それだけのことです。




■出典    『ブッダの質問箱』