【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「『自分ができること』の範囲がわかりません」というお悩みにスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
ボランティアで地域の役員を引き受けたところ、どんどんいろんなことを頼まれるようになりました。どの程度まで引き受けて、どこで断ったらいいのかわからなくなって困っています。アドバイスをお願いします。
[A]
■できる人は頼まれるのが世の常
真面目に仕事をすると仕事は増えます。みんな基本的に怠け者ですから。そういう現実もきちんと理解しておかなくてはいけません。仕事を上手にこなすと、どうしても量が増えてしまうのは、誰のせいでもありません。できる人に頼むということは世の中の在り様なのです。
それでは自分の自由が無くなってしまいますし、忙しすぎて困るということもあります。でも、まぁ気にしないということでいいのではないかと思いますよ。実際、仕方がないのですから。上手くやっていない人には誰も頼みません。
真面目にやっている人からすると、相手は怠けていると腹が立ってきますがそれは自我です。全然仕事をしないで怠けている人は、それはその人の生き方です。その結果(=不幸)はその人が受けることになります。自分には関係ありません。自分は真面目に仕事をこなす。そうすると自分が充実感を感じる。それでどんどん仕事が増えてしまっても困らなくていいのです。
■生身の人間にできる仕事量は決まっている
なぜならば、いくらなんでも生身の人間ですから、できる仕事の量は決まっているのです。それ以上はできないということになるので、正直に「頑張っても、この時間ではここまでしかできません」ということがわかります。その基準ではっきりさせてください。
例えば一〇〇ぐらい仕事が来ても、自分の能力をフル回転しても出来るのは二〇だとはっきり言えばいいのです。ということで、自分に降りかかってくる仕事の量をきちんと整理整頓することで、対応できない仕事はカットすることができます。
あれもやりたいこれもやりたいという余計な欲が出てくると困りますね。全部やってあげたいといっても無理ですから。全部やってあげる必要もありません。仕事は自分ができる範囲でやればいいのです。
別な例でお話ししましょう。自分の一番大切な親が病気で倒れたとします。二十四時間つきっきりで看病をしないといけない、というのは理想論であって、一日ぐらいなら可能ですが、二日目になってくると疲れが出てきます。そこで誰かに頼むなど役割分担をしなくてはいけません。「私の親だから二十四時間付き添っていないと……」というのは話になりません。不可能です。
そういうわけで、問題が出てくる・困っているということは、自分が何でもやってあげたいという余計な自我が出てきたことなのです。それは良くありません。生身の人間ですからできる量は決まっています。できる分は真面目にやるけれど残りは「できません」と言えばいいのです。
医者が患者を診るのは仕事ですが、一人のところに一日六〇〇人ぐらいの患者さんが来たらどうしますか? 一人五分の診察時間としたって、一日では六〇〇人も診られないでしょう。その場合は「ここまで」ということで、診療できなかった人は別の医者を探してくださいということになるのです。そのように理性を使ってください。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:人間関係編』