アルボムッレ・スマナサーラ(テーラワーダ仏教(上座仏教)長老)

Suttanipātapāḷi     5. Pārāyanavaggo     11. Jatukaṇṇimāṇavapucchā 
※偈の番号はPTS版に準ずる。(    )内はミャンマー第六結集版の番号


一流の学究者16人と、智慧の完成者たるブッダの対話によって導かれた真理を、スマナサーラ長老が現代的に解説していく当シリーズ。今回は11人目となるジャトゥカンニン仙人とお釈迦様の対話をお届けします。全5回の第4回。


第4回:究極の安穏の境地とは①


■ジャトゥカンニンの問い2    老衰に打ち勝ち、乗り越える真理を教えてください

1097(1103).

‘‘Bhagavā hi kāme abhibhuyya iriyati, ādiccova pathaviṃ tejī tejasā; 
Parittapaññassa me bhūripañña, ācikkha dhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ; 
Jātijarāya idha vippahānaṃ’’.

〔参考訳〕
    師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。智慧ゆたかな方よ。智慧の少ないわたくしに理法を説いてください。それをわたしは知りたいのです、──この世において生と老衰とを捨て去ることを。」


    ●釈尊の出現は太陽に等しい

    お釈迦様は、このkāme(欲)、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意に入る色・声・香・味・触・法をすでに超えています。自分とは無関係なものとして放っておくのです。決して、追いかけることはありません。「そんなものはいらない」という態度です。それらは勝手に流れていくものだからです。川に向かって「流れてください、末長くお祈りします」と願うようなことはしません。同様に、耳に心地よい言葉が入ってほしい、眼に心地よいものが入ってほしい、といった欲求は一切ないのです。 Ādiccova pathaviṃ tejī tejasā という一節は、お釈迦様がいかに自由になられたかを表しています。まるで太陽が大地に現れたような姿です。太陽は大地を照らしますが、照らされる大地には執着せず、何ら影響も受けません。それほど強烈な力があるのです。物事を聞きたい・見たいと渇望する人には、この力がありません。お釈迦様にはそのような渇愛がないから、偉大な力を持っておられるのです。日本語訳を読んでみましょう。

「師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。智慧ゆたかな方よ。智慧の少ないわたくしに理法を説いてください。それをわたしは知りたいのです、──この世において生と老衰とを捨て去ることを。」