アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「組織の中で結果を出すには?」という相談にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    管理職をしているのですが、組織としてあれをやりなさい・これをやりなさいという話が出ます。そのような時に、明らかに仏教から見ればおかしいという事でも、立場的に部下などに結構な無理を言う時があります。その時に必ず「組織の一員」という言葉が出てきます。無理な仕事量であったり、営業の目標数値であったり、いろいろあります。給料を貰っているので、どうしてもやっていかなければいけないという状況です。結局は組織の力や権力、そのようなものの前に、いくら正しいと思うものを言ってみたところで無力な結果になってしまうと思うのですが、どのように考えて生きていけばいいのか教えてください。

[A]

■管理できることと管理できないことを知る


    憶えて欲しいポイントがあります。管理職ということですから、よく憶えておいてください。管理できること/管理不可能なこと、という二つがあります。これはハッキリと分けてください。会社であるなら儲けたいというのは当然ですが、かと言って、この管理できる/できないという二つによって成り立っていることは変わらないのです。
    ですから、まず私たちは管理不可能なことは措いておく。それは怖い要因です。よくよく気をつけなくてはいけません。しかし、どうすることもできません。
    また管理できるところもあります。「どのように管理するのか?」ということです。管理できるからと言ってデータだけ取って、このようにやりなさいと言うのは強引なやり方です。管理可能でもどのように管理するのか、という段取りを管理職は考えなくてはいけないのです。そうなってくると人に無理は頼めません。
    例えば、利益目標を決めたとする。数字を決めるのは勝手でいいのですが、その数字も管理不可能な要因によって成り立つのです。商品を売る場合はコマーシャルなどで人を騙すこともできますが、客が買うか買わないかまでは管理できないでしょう。
    また世界の経済情勢によっても変わってしまうでしょう。それは管理不可能な要因です。ですから、これぐらい利益をあげたいと思ったとしても、そこには管理不可能な要因がある。その影響が割り込んできた場合、どんな結果になるのかわからないのです。

■管理できる要因の中で段取りする

    ということで、管理できる要因については自分で調べて、一応それは揃えておく。結果として数字に現れるかどうかは気にする必要はありません。
    それから一人に無理な量の仕事を与えると、普段ならできる仕事量も達成できなくなってしまうのです。一日に100個作れる人に200個作りなさいと責めると100個もできなくなってしまいます。なぜなら焦ってしまうからです。例え150個作れたとしても不良品がいっぱい出てきます。実際に商品になるかどうか調べてみると、だいたい90個ぐらいになってしまうでしょう。管理者達はそこを考えていないようです。よって最後の数字データだけを見て、興奮しストレスがかかって、はちゃめちゃになるのです。
    ですから、管理できるものの中でいかに段取りをするのかということだけなのです。例えば仕事を真面目にしている人がいるとします、その人が良い気持ちになったらもっと仕事をするでしょう。ですから、精神的に気持ち良くすることも大事な要因なのです。特に頑張っている人には、「あなたは良く頑張ってるね。任せても安心です」とか、そのように褒めてあげることです。これは機械に油を差すことと同じです。油を差した方がなめらかに動くでしょう?

■社員が「幸福になる」ための管理

    それから「幸福になる」ということも入れた管理の方が正しいと思います。なぜ仕事をするのですか?    幸福になるためでしょう。数字に人生を支配されてしまっていいのですか?    幸福はどうでもいい、労働者が過労で死んでしまっても目標だけ達成すればいいとか、それは何のためで、誰のためですか?
    社員がみんな気持ち良く楽しく仕事をしているなら素晴らしいでしょう。サボっているという意味ではありません。サボっている人はクビになりますし、仕事を意図的にやらなかったとか、意図的に誤魔化したりした人は、法律もありますからそれなりの罰を受けます。ですが「楽しくなければダメ」だということにしてください。そうすると上手くいくと思います。

■「結果が全て」ではなく、過程を重視する

    「結果が全て」というのは間違いです。結果は行為によって自然と現れるもので、結果が全てでは無いでしょう。それぞれみんなに「良く頑張りました」という充実感があるということ、後ろめたさが何も無いということ、そこが大事なポイントなのです。仏教的に言うならば、結果を重視するより過程を重視した方が良いのです。全ては過程の流れなのです。ある結果を出したら、その結果がまた別の結果につながります。「結果を出しただけで終わった」という現象は起こりません。であるならば「全ては過程のみである」と理解した方が楽でしょう。過程を重視することにしましょう。結果は勝手に現れるでしょう。過程を重視する場合、現れる結果は期待した結果より優れているのです。
    ですから、過程がスムーズに流れるようにすることです。我々が結果と言っているのは、実は過程のひとつに過ぎません。会社が結果をひとつ出したらその会社はそれで解散しますか?    人生でもそういうことはありますか?    死ぬまで生きていかなくてはいけないでしょう。ですから、死ぬまで過程を大事にするのです。結果というのは過程のひとつです。結果でありながら過程でもあるのです。そのポイントを勘違いしているから、いろんな会社や組織は管理について苦しんでいるのです。


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