アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「祟り、バチ、呪いは本当にあるの?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    祟りや呪い、バチがあたるって本当にあるんですか?

[A]

■全くありません


    祟り、バチ、呪い……ね。はい、簡単に答えます。そんなのは全くありません、終わり!
    こころってとても危険なものなんです。呪いは、実は呪う人の方が危ないんですよ。だって、人に対して怒りや憎しみを持って「早く死にますように、病気になりますように、苦しみますように」と自分が怒りで燃えてるんですから。そういう人は早く死ぬんです。何をやっても上手く行かないし、友達はいなくなっちゃうし、暗くなるし、ものすごくヒドイ目に遭いますよ、悪行為なんだから。夢でも怖くなったりして、死んでからもドカン!    と地獄に堕ちちゃうんです。そういう意味では呪いはありますね。呪う人は呪われます。誰かが私を呪ったとします。私なら「へぇなるほど、面白い言葉を使うんですねー」とかシレッとスルーしちゃう。だから私には呪いは来ません。あなたが乗るか・乗らないかだけです。乗っちゃったら相手の思うツボ。知ったことじゃありませんね。
    人に暗示をかける時も、振り子でも振りながら「眠くなります……眠くなります……」とか言ってるうちに「やっぱり眠くなりましたー…… 」ってなるんですね。「なんだコレ!    こんなところで寝るわけないじゃないか!」と思っちゃうと寝る暗示にはかかりませんよ。
    例えば誰かが自分の名前や生年月日や髪の毛を使って呪いをかけてきたとします。「あぁ……あの人に個人情報を知られて、身体の一部も取られてしまった!    呪われてしまう!    どうしようもない、もうダメだ」って怯えちゃうとまんまとやられます。自分で自分に呪いを掛けているのと同じなんですね。「勝手にしなさい、そんなこと私は知りません」と思ったら全然大丈夫なんです。呪いの場合は乗るか・乗らないかで、殆どの人は乗りません。いわゆる気が弱い人たちは呪いに乗っちゃうんですよ。特に子供や若い女性とかね。占いも信じちゃうでしょう?    ちょっと ヤバいんです。呪いの反対は祝福ですね。祝福なら誰でも簡単に乗ります。「おぉー!    あなたは頭が良い!    しっかり頑張って勉強していますね!」と言われると、本当は勉強していないので「やっぱり勉強しなくちゃ……」と思っちゃうんです。
    だから、明るい言葉を掛けると人はそれに自然に乗るんです。暗い言葉にはバカが乗るんです。最初に呪いは無いと言いましたが「自己呪い」というものはあります。自分で「私はダメだ、私はダメだ、何度やっても、何をやってもダメだ、失敗するんだ」と、自分にネガティブな暗示を掛けちゃうとそれは自己呪いなんですね。人を呪う場合は呪った方が先に地獄に堕ちますから。ダメになってしまうんだから、呪った意味が全然無いんです。そんなのは映画や小説だけの話です。私たちは人には祝福の言葉を使った方がいいんですよ。「頑張ってください」とかね「元気でいいですね!」とか「今日は顔色がいいですね!」とかね。そういう風にいつでも良い言葉を掛けると相手も乗るしこちらもそれに乗っていける。こころの法則とはそういう事なんです。だから私たちはいつでも祝福の言葉・慈しみの言葉・優しい言葉をずーっと使うべきです。そうすると、誰でもどんどん幸せになりますよ。落ち込んじゃって、仕事も勉強もしたくない、外に出たくない、力が無い時もあります。その時でも友達が来て「今日はどうしたの?    あなたはいつも元気じゃないか」とか言ってくれると、すぐ目が覚めちゃって「あぁー!    そうだ、そうだ」とすぐ元気になるんですよ。
    だから呪い・祟りの反対はあります。祝福・お祝いとかね。人を褒めること、慈しみの言葉、そういう物には必ず力があります。なぜならそれにはこころがすぐ乗りますから。学校や職場で「あぁ、あなたは素晴らしい事をやりましたね!」と褒められると気分が良いでしょう?「 アンタはなんでこんな事やっちゃったの?    ダメじゃないか」 と言われるのは気持ち悪いでしょう?    こころは優しい言葉には乗りますし、嫌な言葉には拒否反応を示します。ですから 呪いは働きません。自己呪いはあります。分かりましたか?


■出典   

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