【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「人権侵害って、どういうことですか?」です。
[Q]
人権侵害って、どういうことですか?
[A]
■人権侵害は結構複雑
人権侵害ということは、とても大きな範囲の質問です。この問題は私にも答えづらいです。答えは、場合・状況によって変わります。どんな状況でも共通した同じ答えではありません。
人権侵害というのは、自分自身でわかる・自覚するものです。相手の言葉で自分がとても嫌な気持ちになったとする。落ち込むことになる。自分自身「この人は嫌だな」というように気持ちが悪くなったら、それは人権侵害されていることになります。これだけでは理解は難しいと思います。例えば子ども同士でケンカしたりします。一人が相手を叩いたとする。それで人権侵害になるかというと、それは場合によるのです。相手が「やったな」とやり返して、ふざけながら遊んでいるならそれは人権侵害ではありません。宿題をやっていて相手が自分の手をパンと叩く、そうすると書いている字がゆがみます。それで「何をするんだ!」と言い返して終わるなら人権侵害されたことになりません。しかし、宿題を邪魔された自分が「あぁ、これじゃ宿題ができない」「邪魔されて迷惑だ」と嫌な暗い気持ちになると人権侵害されたことになるのです。わかりづらいかもしれません。
■生命が生きることを邪魔する行為は悪
基本的にすべての生命には生きる権利があります。ですから、生きることを危ぶむこと・命を危険にさらすことは、すべて人権侵害になるのです。誰だって病気にかかりたくない。ですから、自分の行為で誰かが病気にかかってしまうならば、それは人権侵害になります。今だったら新型コロナウイルス(COVID-19)が流行しています。このウイルスは人から人へと感染するもののようです。ウイルスに感染したとしても症状が出るかどうかわかりません。しかし、このウイルスが身体の中に入ったなら、自分はキャリア(保菌者、感染者)になる。ウイルスの運び屋になるのです。キャリアになった人と私が接触したとする。でも「私は仏教をやっているのだから大丈夫、ウイルスなんかに感染しない」と偉そうにして、いろんな場所に行きたくさんの人としゃべったりする。もしそれで相手が感染したなら、私は堂々と人権侵害したことになってしまうのです。しかし、その時私は人権侵害をしているという気持ち・自覚はありません。それは一番悪いことになります。あえて「人権侵害してやる」という人も悪いですが、自覚しないままに人権侵害している人は前者よりも悪いのです。「私は感染なんかしない。だからマスクなんかしませんよ」といってソーシャル・ディスタンシング(物理的距離)も守らない。「オレ様は健康だ」と思ってウイルスを拡げてしまうと、その人はものすごく酷い人権侵害をしていることになります。
■どんな生命も生きたい・死にたくないという根源的な願いがある
どんな生命も病気にかかりたくはないのです。しかし、私たちの行為によって他の生命が病気にかかる場合、それは人権侵害になります。「人権侵害」と言いますが、仏教的には「生存権侵害」と言った方が正しいです。私たち人間という一種の生命が生きることによって他の生命の生存を脅かす・危うくしてしまうなら、それは人間が他の生命の尊厳を侵害していることになるからです。現在もたくさんの生命が絶滅しています。人間のせいで病気になる生命もたくさんいる。それも大きな範囲で生存権侵害にあたります。人権侵害なら対象は人間だけになります。しかし、本当はすべての生命に生きる権利があるのです。生きる権利には「尊厳」という言葉を使っています。ですから、生命に対して尊厳を守らなくてはいけないのです。
■自分の行為が人権侵害にならないよう注意する
どんな生命も殴られるのは嫌でしょう。バカにされるのも嫌でしょう。いじめられるのは嫌でしょう。そういうものは、すべて人権侵害と関係があります。しかしグレーゾーンで良くわからないという場合もあります。互いにちょっとふざけて相手をバカにしたとしても、それで相手が喜んでいるなら人権侵害にはなっていない場合もあるのです。学校の友達とケンカをしても人権侵害になったりそうはならなかったりします。曖昧なものなのです。
いじめは人間同士でよくあることです。学校でもあるし、大人の社会にもあります。いじめることによって相手が落ち込んで被害者になったなら、その行為は人権侵害となります。でも、相手が気にもしない「なんだお前は」という態度なら人権侵害にはなっていません。ですから、相手次第で人権侵害になることがあるので、私たちは自分の行為にとても気をつけなければいけません。
■多用する言葉について、使い方・効果・意味を学ばなくてはいけない
ある小学生が相手から「バカ」と言われてすごく落ち込んでしまいました。泣いて「もう学校には行きたくない」と騒ぐほどです。しかし、小学生同士でもよくアホ・バカという言葉を使っているでしょう。ふざけて相手にアホ・バカと言ったとしても、それは人権侵害にはなりません。普通に使っている言葉ですから。ただ、言われた当人はすごく落ち込んでしまって、「自分はバカじゃない!」と主張するのです。私はこの子は人権侵害を受けているのだと理解しました。だからといって解決策はありません。なぜなら同級生にこの子がバカと言われたとしても、小学生が普通に使っている言葉を使わないでくださいとは言えないでしょう。そういう場合もあります。この場合はバカと言われた当人が学ばなくてはいけないのです。誰かにバカと言われたとしても、その言葉通り自分がバカになるわけではないと。あの人がバカだと言ったら私はバカになりました、ということはありません。誰かが「お前は犬だ」と言ったからといって、言われた人が犬になるわけではありません。
ですから、人権侵害しない・人権侵害にならないように気をつけることはできます。相手にバカと言われたとしても、「はい、そうです。私はバカですから何をするかわかりませんよ」と言い返すとか、そうすると自分の人権も侵害されていないし、相手が人権侵害したことにもならず問題ありません。もしかしたら相手は怒ってバカと言ったかもしれませんが、正しく言い返したなら、相手もそれ以上何も言えなくなるのです。自分が正しく言い返すことで互いの人権を守れば、信頼関係ができ、相手と仲良くでき、より良い友達になれる可能性もあります。
■互いの人権を侵害しないよう、自分自身を守る義務もある
ですから、私たちは正しく言い返す(正しく受け取る)・明るく言い返す能力を育てる訓練が必要です。バカと言われたら、「バカで悪かったね」「私はバカですけど、バカと言うあなたの方がバカ」とか、言葉巧みに言い返すなら明るい世界が現れてきます。私たちは相手の言葉を、そのまま感情的に受け止めて落ち込んでしまうのです。それは人権侵害なのですが、どちらのせいで人権侵害になったのかはグレーゾーンなのです。誤った言葉の受け取り方ということは自分のせいでもありますし、相手や社会のせいということもあります。
誰かがボールを自分の方に投げてくる。そこでボールを避けず、バカみたいにじっと突っ立ってボールに当たり、痛い思いをしたうえケガまでしてしまったとしたら、これは人権侵害をされたことになるでしょう。しかし、ボールを投げた人が完全な犯罪者だと言えるでしょうか? それが問題です。なぜボールを避けようとしなかったのでしょうか? 自分の方にボールが来るとわかったら、なぜ手を出して弾かなかったのでしょうか? 自分にもそれなりに応える方法があったはずです。ということで、自分の人権は自分で守る義務があるというルールもあります。もし誰かが自分の手を後ろに押さえつけてボールを投げたとしたら、それは犯罪であり明確な人権侵害です。意図的に動けなくしてボールを投げているのですから、ゲガする可能性があります。そうではない状況なら、自分の人権は自分で守ることもできるのです。そういうルールがあります。それで、二つのルールが成り立ちます。一、私たちはすべての生命の尊厳を守るべきです。二、自分の人権は自分で守るべきです。
相手にバカと言ったにもかかわらず、人権侵害になっていない場合があるし、また人権侵害になる場合もある。個々の事情に応じて理解しなくてはいけません。私たち一人ひとりが自分の行為によって、相手が悲しくなるか、怒るか、明るくなるか、楽しくなるか、と気をつけた方が良いのです。簡単に言えば、自分の行為によって相手が楽しくなる・助かるのであれば人権侵害にはなりません。そういう目安で理解してもいいと思います。
■人権侵害の定義
人権侵害の定義としては、生命は生きたい(生き続けたい)と願っている。それを邪魔する行為は人権侵害に当たります。生命は死にたくないと願っています。ですから、生命を殺すことは、明確に人権侵害に当たります。生命は病気になりたくないと願っています。私たちが生命を病気にさせる場合は、その行為は人権侵害に当たります。他の生命が病気になる行為をすることは、すべて人権侵害に当てはまります。それから、生命が食べることを邪魔してはいけません。食べているものを奪ったり、汚したりすることは大きな罪になります。畑や果樹園で野菜や果物を作っている場合、利己的に殺虫剤や化学肥料を多用して儲かるような製品を作ろうとします。ただ見た目だけが映えるものなど、そういうものは食べると体に悪い。そういう利益至上主義も人権侵害していることになるのです。ただ田んぼに殺虫剤を撒いただけでも、それによって田んぼの中にいる微生物まで皆殺しすることになります。そうすると稲もその影響を受けることになるのです。これも微妙ですが人権侵害に当たります。環境破壊・地球温暖化というような大きな問題は、人類が自分たちが生きるために他の生命のことを考えず生存権侵害をしてきた結果です。海まで汚染してしまったのです。環境汚染というのは、人権侵害・生存権侵害で大きな罪になります。そういうことで、生命が食べるもの・必要とする水や空気も汚してはいけません。同時にそれらを盗んではいけないし、奪ってもいけません。
■生命は食べることで生きている
例えば私が誰かのために料理しなくてはいけなくなったとしましょう。私が作った料理を誰かが食べる。ただ、私は食べる相手のことが大嫌いで本当は料理を作ってあげたくもないし、顔を見るのも嫌なくらいだとしましょう。しかし、その時に「嫌いな奴だから、不味いものを作って食わせてやるぞ」「お腹を壊すものを作ってやる」と思うとかなりの罪になります。それは明確な人権侵害です。例え相手が敵であったとしても、私が料理を作る場合、すごく丁寧に優しい気持ちで、健康になるように、美味しくなるようにと作らなくてはいけません。料理をすることでも人権侵害ということが関係してくるのです。なぜなら、すべての生命は食べて生きているからです。そういうところが基本的な定義となります。
■指導的な罰は人権侵害に繋がりやすく要注意
他にも細かな点はあります。校則違反で髪の毛を罰として丸刈りにするとか、それは人権侵害の手前ですが、罰として本人が嫌がることをする。他にもグラウンドを走れとかいうこともありますね。その場合しつけとして嫌がることをやらせている。それは人権侵害にはなりません。しかし、罰を与える側が相手のことを心配して育てる気持ちを失ってはならないのです。もし、コーチが感情的に怒っていたなら、罰は人権侵害になってしまうのです。特に体罰は度を越してケガをさせ、大きな人権侵害になるので、とても気をつけないといけません。指導者・コーチは生徒にやりたくないこと、嫌なことをさせることになります。競技のために生活態度を変えさせたり、食事管理をしたりするのですが、とても慎重に注意しなくてはいけません。少し間違えただけで人権侵害になってしまいかねないのです。危険な綱渡りのような感じです。以上のようなことに気をつければ、人権侵害を犯すことなく生活できると思います。
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