仏教の考えるようなとぎすまされた究極の真理は、日常の意思疎通のための言語の届かないところにある。言語の助けをかりて覚りへの助走ぐらいはできるかもしれないが、覚りへのジャンプは言語ではたどれないということです。


橋爪大三郎(社会学者、東京工業大学教授)
(サンガジャパンVol.13 「言葉の観点から見る仏教」)
※肩書は掲載時