中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)

ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。第五章は、LGBTQをキーワードに宗教論が展開されます。

第五章    『怪物』の背景    差別の歴史と宗教の両義性[3/5]


■トーベ・ヤンソンの隠喩的表現

    現在では同性婚問題など、日本のLGBTQの人権問題は遅れている感じですが、実は欧米において「解放」が起きたのは比較的最近のことであり、20世紀後半までは日本のほうがはるかにましであった、少なくともそれが欧米のように精神病犯罪の扱いを受けてはいなかったことは忘れられがちな事実です。
    フィンランドの国民的作家・芸術家、トーベ・ヤンソンには女性の恋人やパートナーがいたことがよく知られています。とはいえ、これは最初から公言されていたことではありません。公言もなにも、フィンランドでは1971年までは同性愛は刑法にひっかかる行為であり、81年までは精神病扱いであったからです。
    ムーミン谷は洪水が押し寄せてきたり、彗星が落下したりと、なかなか大変なところですが、これらが第二次世界大戦中のソ連ナチス・ドイツの脅威と関係しています。ナチスにおいては同性愛者はユダヤ人とともにガス室送りでした。ヤンソンはスウェーデン系の父母より生まれ、芸術的才能に恵まれていました。大戦中は政治雑誌『ガルム』の挿画を担当していました。その際、挿画に添えられる彼女自身の分身のようなキャラクターが、小さなカバのようなムーミントロルでした。
    その戦争が終わる1945年、ヤンソンは洪水に襲われた大地を描いた『小トロルと大洪水』を、続いて46年、谷に彗星が堕ちてくる物語(のちの『ムーミン谷の彗星』の原形)を上梓しました。それが「ムーミン」シリーズの始まりです。