アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「ストレスの正体」です。
[Q]
私はストレスを感じやすく、仕事から帰宅するまでに疲れてしまい、帰宅してからやろうと思っていた家事や勉強が上手くできません。同じ仕事をしていても、ストレスを受けやすい人と平気な人がいるのは、なぜなのでしょうか? ストレスの正体とは何なのでしょうか? せっかく仏教を学んでいるので、仕事も私生活も元気にはつらつと生きていきたいです。
[A]
■ひとつひとつに喜びを感じていない
ストレスとは、怒りです。仕事をしたらクタクタに疲れてストレスが溜まる。ということは、仕事中に楽しみ・喜びを得ていないということになります。仏教の専門用語では「Santuṭṭhi(サントゥッティ)」、意味は楽しみ・喜び・満足です。これが無いのです。嫌々仕事をしていたのです。できれば仕事を辞めたい、したくないと思っている。いつでも自分の周りにあることに対して、嫌気がする・つまらないと感じないで、楽しいと感じてみてください。例えば帰宅する途中で、今歩いている道のことを忘れてしまって、家に帰ることばかりが頭に満ちてしまい急ぐ。「あぁ、早く家に戻りたい」それも怒りなのです。ですから、家に帰る道筋も楽しく歩けば良いのです。
■条件により見方を変えると楽しくなる
私も外に出ていて、帰宅途中に寒い上に雨まで降ってきたことがありました。状況からしてのんびり楽しく歩いている気分ではありません。瞬間「早く家に戻りたい」という気持ちが起こります。そう思ったとしても、家までの距離は歩かなくてはいけません。それを理解して、雨が降っていることを観察する。雨が降っていることで人々が傘を差したりレインコートを着込んだり、いろいろな反応をしていることを観察してみる。傘も何も持っていない人は、手を頭の上にかざして雨を避けようとしている。それを見ていると面白くて、楽しくなります。雨が降っていて頭の上に手をかざしても、何の役にも立ちません。手では雨を避けられませんからね。寒いし雨も降っているのですが、そういう人々を観ながら雨に打たれて歩いていると、あっという間に家に辿り着いていたのです。
■何事も楽しく・喜ぶ能力を身に付ける
また別の日、最寄り駅から家に戻る時、雨が降り出して私は傘を持っていなかったのです。そこで普通だったら「あぁ、嫌だな」「ツイてないな」「なんでこんな時に雨が降るんだ」とか、「コンビニで安いビニール傘を買うしかない」と思うかもしれません。コンビニで傘を買うにしても、コンビニまで雨の中を歩かなくてはいけません。そこで私は「今日は雨に濡れる日です」という考えにして、普通に歩いて帰ったのです。私の頭には髪の毛が無いので、頭に雨が落ちて目の周りが次から次に濡れていく。当然カバンも濡れるし、着ている衣もビショビショになりました。傍から見れば、かなり惨めな姿に見えたでしょう。しかし、私は雨に濡れることを楽しんで喜んでいたのです。
身体のことを考えると、雨に濡れたくないという気持ちもありましたが、傘も無いし仕方ないと思考を切り替えたのです。歩いている途中、二人の方が私に傘を貸してくれようとしました。おそらく「日本に不慣れなガイジンが、傘も持たないでかわいそう」と思われたかもしれません。しかし、私は断りました。せっかく傘をあげようとしたのに私が断ったから、もしかしたら相手は嫌な気持ちになったかもしれません。なぜ傘を断ったのかというと、もう半分ぐらいの距離を歩いていたのと、すでにびしょ濡れだったので、今から傘を差したところで意味が無かったからです。
■目的や思考を素早く切り替える
そういうことで、「早く家に帰りたい」と先の目的を思っていると、道を歩いていることに対してストレスを感じるようになるのです。朝、家から出て「早く会社に着きたい」と思っていると、道中を歩いている時にストレスを感じてしまう。それから「家に帰ったら、あれをしたい」と思っていると、またその間にストレスを感じてしまうことになります。その場その場の現場で楽しみを感じてみましょう。家に戻ったら「よし、家事をするぞ」「これから勉強をしよう」と楽しく考え方を切り替えるのです。
■観察して生きると満足できる
私なら瞬間、瞬間を観察してやってみます。例えば掃除機をかける時も楽しくできないならやめます。「昨日、掃除機をかけたから今日はしなくてもいい」と思っても、「とにかく台所のある一階だけは掃除機をかけておこう」と決める。それで掃除機をかけていると、「なぜ一階だけ掃除するのか、階段から三階まで全部やるぞ」と楽しんでやってしまうのです。もともとは「掃除機は明日でもかければいい」と思っていました。それでもベッドの下なども掃除機をかけ、歳なのでしゃがむと立ち上がるのが大変ですが、頑張ってキレイに掃除しました。結果としては楽しくやったのです。全て終わってキレイになったから気分は爽快です。
■完了することが喜びに繋がる
掃除は今日やらなくても良かったかもしれませんし、他にいろいろとやることがあります。しかし、何事もやると決めたら楽しくやるのです。楽しくできないのだったら潔くやめてしまう。私は皿を洗う時も楽しくやります。台所に圧力鍋がありまして、二年に一回ぐらい使うことがあります。圧力鍋と私の関係が良くないので、圧力鍋が私をいじめるのです。いつも鍋の底が焦げてしまう。水を多めに入れても、水分は残るのですが鍋底が焦げてしまう。それでも私は負けません。時間をかけて焦げをひとつも残さないようピカピカに磨いてやるのです。その時は、鍋の焦げを取ることが私にとっての楽しみで、焦げが取れたら「やった」と満足するのです。
誰もそんな人生でしょう。人生を幸福にするか不幸にするかということは、自分の価値観・判断なのです。ですから、あなたは瞬間、瞬間の出来事に楽しみを感じながらやってみてください。楽しみ・喜びというのは、そんな大袈裟なことではありません。ちょっとしたことです。些細なことでも「終わった」「やりました」「できた」という達成感(満足)が幸福になるのです。これで、ストレスに縁のない人生になります。憶えておいてください、ストレスは怒りです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編4』
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