アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「心が動いてしまった時の判断は」です。
[Q]
感覚から情報が入ると、すぐに「〇〇をしなくちゃ」という気持ち・衝動のようなものが起こります。情報が入る度に、全てにおいて行動することはできません。「今これはすべきでない」「今これを考える必要は無い」と判断すると、余計に落ち着きが無くなってしまい困っています。どのように対処するのが良いでしょうか?
[A]
■時間は過ぎていくという現実をもとに
感覚から情報(刺激)が入ったからといって、全ての情報に対応できるわけではありません。それが現実です。私たちは時間の中で生きていて、時間というものは一秒一秒過ぎていくのですから、その一秒でできることは限られています。これが理屈でわかったとしても、脳の中で、あるいは心の中で、前の情報が消えていってはいないのです。前の情報に引っかかってしまって、余韻に引きずられて、それが判断の邪魔をするのです。そこはハッキリ区別した方が良いと思います。
情報に触れて、A・B・C・D・Eの選択肢が出てくる。そこでBを選択する。そうしたら他の選択肢は管轄外ということでキレイさっぱり忘れる。そのようにした方が良いのです。「Eの選択をしておけば良かったかな?」という曖昧さ・悩みが余計なエネルギーを浪費させるのです。可能性があっても何でもできるわけではありません。選択肢のうちどれか一つを選ばなくてはいけないのです。
■後悔はエネルギーの浪費
できなかったことは存在しません。自分の選択・判断が必ず良い結果を出すはず――そんなこと誰が決めたのですか? 物事は常に流動的で動いています。ある時点・ある場面で人が物事を判断し、その結果に良い悪いと言っているだけに過ぎません。
結果は結果として、良い/悪いとは関係ありません。それぞれの価値観や基準・妄想に合わせて良い結果や悪い結果だと言っているのですが、それも変化していきます。実際に結果を見て、悪い・良くない・マズいということもあります。その場合は手の施しようがあります。たとえば子供が遊んでいてケガをしたら手当てをする。子供がケガをしたことは悪い結果ではありません。走り回っていればケガをすることも自然の流れで、物事の流れの中で起こり得る現象の一つに過ぎないのです。
その子供に手当をしながら、私は「死ななくて良かったね」と冗談を言ったのです。子供は何を言われたのかピンと来ていなかったようですが、しかし、そう伝えることで次から自分でケガをしないよう気をつけるようになるのです。直接的に「ケガをしないよう気をつけなさい」とは言いません。自分で気をつけるようになって欲しいからです。
■妄想を控えることで浪費を防げる
私たちは妄想しっ放しなので、これもあれもやらなくてはとエネルギーを浪費しています。妄想が無ければ、理性的な思考が働いて、物事の時間軸に沿った判断・選択をすることができるようになります。ですから、できる限り妄想を控える必要があるのです。
この世の中で完璧に判断する・選択するということは誰にもできません。私にも今の瞬間どうすることもできない問題はありますよ。世界ではものすごく大きな問題が起こっています。たとえ理性で判断したとしても、条件が整わず結果として上手くいかない場合もあります。答えが出てこないこともあるのです。世の中とはそういうものです。助けることができるのに、現実としてはそうできない場合もある。「親孝行したい時に親は無し」ということです。よくあります。人生というのはそういうものなのです。
■今するべきことがある
私たちは、その場において、今、するべきことをする。その時も一つしか選べない。二つを同時に行うことはできません。それを理解しておきましょう。判断や選択肢について悩む・悔やむことはムダな行為です。エネルギーの浪費です。よく若い時に勉強しておけば良かったとか、瞑想・修行しておけば良かったとか、それを今さら悩んだところで時間の無駄にしかなりません。私が「日本に来なければ良かったかな」と思ったところで、今更そんなこと考えてもムダなのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』
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