(慶應義塾大学大学院教授)
生きとし生けるものに学ぶ幸福のかたち
庭の植物や昆虫や鳥を見ていてつくづく思う。彼らは何も悩んでいない。幸せそうだなあ。
たとえば、庭の木の葉の上を歩くアリ。じっと観察していると、ちょこまかと行ったり来たり。何かに悩んでいる気配はない。あちらに行きたいと思ったら、あちらに行く。こちらに来たいと思ったら、こちらに来る。ありのまま。躊躇がない。アリはよく働くというイメージがあるかもしれないが、実際のところは、そんなに働いているようには見えない。
一方で私たちは何の因果か人間に生まれた。もしもアリや鳥や植物に生まれていたら、こんなに高度な知能を持たず、過去のことを後悔したり、未来のことを心配したりすることもなく、もっと今ここに専念して生きられていたのに、なぜ、よりによって、最も苦しまねばならない人間に生まれてきてしまったのだろう。
もちろん、高度な知能を持った人間に生まれてきたメリットもある。過去の努力の蓄積が知恵として蓄積され、未来のために創造的に考えたり行動したりすることができる。つまり、人間は、高度な知能を持つがゆえに、過去と未来について様々なことを考えられる。ポジティブなことも、ネガティブなことも。言い換えれば、ポジティブに過去と未来のことを高度に考える能力を身につけたことの代償として、ネガティブに過去と未来のことを高度に考えてしまう能力までがついてきてしまった。このことこそが、人間の苦悩の原因であるというべきであろう。