【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「老いと熟成について」です。
[Q]
「歳を取ると性格が丸くなる」とよく言われますが、この現象は人格が向上され智慧が現れているという事もあるのですか? それとも何かしら人生経験を得て、それなりに対応できているというだけの要素が大きいのでしょうか?
世間でよく聞く、「歳を重ねると性格が丸くなる」というのはどういう状態なのか教えていただきたいです。
[A]
■ただ歳を取っただけで性格は良くならない
俗説ですからそんなに真面目に考えなくていいのです。科学的な根拠もないし、人間の心理を研究して出された結果でもないし。お釈迦様がおっしゃっている言葉以外は、世間が言うことはそんなに真剣に聞く必要はありません。それこそ真理でもないですし。
私の答えは、歳を取ると老化で、エネルギッシュな生き方ができなくなってしまうからだと思います。遺伝子の指令が変わってしまうでしょう。若い時に作られる RNAのタンパク質が、加齢と共に作られなくなるだけです。
一番わかりやすいのは性欲ですね。セクシャルな気持ちというのは、子孫を作るために遺伝子が企むことで、人間は逆らって、快楽に利用していますが、遺伝子にとっては遊びではなくて、子孫=遺伝子のコピーを作っておけと指令しているわけです。その時に必要なたんぱく質を、ホルモンは作ってあげる。これには上限があるので、その時が来たら遺伝子がスイッチオフします。生殖適齢期が終わり、ホルモンが分泌されなくなると落ち着きます。
食欲もそうですね。身体が成長する時だけもの凄く早く分解して、遺伝子たちが「はい、次も食いなさい、これも食いなさい、どんどん食いなさい」と指令する。だから成長期には腹が減って仕様がない。それで成長が終わったとたん、やはり遺伝子はそのプログラムをオフにする。それ以降は適量で腹が収まるようになるのです。
単に「衰えた」と間違えられる面もありますね。時々いるでしょう、性格は若い時のまま血の気が多いのに、身体反応が鈍くなっている人が。怒鳴って、相手を殴りたいのだけど、立ち上がるだけで時間が掛かってしまうとか。これは丸くなっているとは言いません。ただ老いぼれただけです。頭もそうなのですよ。脳神経細胞もビシッと仕事をするのはある年齢までで、そこから先はストップするのです。
ただ、理性が出てきて、物事の判断ができて、「こんな些細なことで感情を引き起こす必要はないな」とか「この問題はこういう風に解決しよう」とか、ちょっとした〝皆の先輩役〟ができるようになっているならば、その人は「丸くなった」と言っても構いません。
老人でも、人生の先輩としては全く当てにならない人もいるでしょう? アドバイスを訊いても「良くわからない」と逃げたり「興味ない」と突き放したり。興味の有無は関係なく、俯瞰して答えなくてはいけません。
例えば私に若者が「気になる人がいるけど勇気がないのです。どうすれば友達になれますか?」と訊いてきたら「私は出家者だから関係ない」とは言いません。ちゃんとデータを取って、観察して、論理的に組み立ててあげます。人生の先輩として「それだったら…こうして…こうして…こうやってみたらどうかな」と教えてあげます。子供たちの役に立つようにアドバイスするのです。丸くなったというのは、そういうことなのです。決して「僧侶に向かってけしからん質問をするな! 侮辱だ」などと感情に任せてスルーしません。私ではなくその子の問題ですからね。
「丸くなる」というのはそういうことで、自分に関係があってもなくても、後輩から相談があったら、いつでも教えられる状態にいることです。ただ長く生きているだけで授与される卒業証書ではありません。それなりの宿題をこなして来なくてはなれないのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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