アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「良いおしゃべり 悪いおしゃべり」です。

[Q]

    言葉と感情の関係について教えてください。


[A]

■ストレス発散のおしゃべりは悪行為

    言葉をしゃべることには二種類あります。ひとつは、感情が湧いてきてストレスになり、それを発散するために言葉をしゃべる。これは私たちがよくやってしまうことです。皆いつまでもぺちゃくちゃと際限なくしゃべっているでしょう。単にストレス発散のためにしゃべるという運動(行為)で発散しています。そのようにしゃべる場合、言葉にはたいした意味がありません。仏教では「無駄話」といって、やらないように戒めています。

■情報伝達は生きるために必要なおしゃべり

    もうひとつは、データ(情報)の提供。相手とのコミュニケーションで情報をやり取りする場合も言葉が必要になります。その時は感情的にではなく、丁寧で美しい言葉でしゃべることができます。案内する・要約する・計画するなど、その時は言葉の中に情報があります。例えば「今日は本当に嫌な日だ」と言うと、その言葉には何も意味がありません。ただ自分の嫌だという感情を言葉に変換しただけです。今日といっても何時頃の出来事なのか、どんな出来事に対して嫌だと感じたのか、他のどんな出来事と比較して嫌だと感じたのかなど、具体的な情報はありません。ただのストレス発散です。

■フレーズが同じでも中身は違う場合がある

    「今日は本当に嫌な日だ」と同じ言葉を使ったとしても、その中に情報がある場合もあります。例えばその日に公園でキャッチボールでもやろうと思っていた。しかし、雨が降っている。その計画が叶わなかったことに対して「嫌な日だ」と言う場合がある。同じ言葉ですが、この場合は情報をもとに言葉を発していることになる。〝今日〟というのも、公園で遊ぼうとした時間のことで具体的です。漠然とした〝今日〟ではありません。悪天候でキャッチボールができなかったことに対して〝嫌な日〟だと表現しているのです。ですから、言葉に感情を乗せることも乗せないこともできるのです。仏教から言えるアドバイスは、できるだけ言葉に感情を乗せないで情報を伝えることです。なぜなら言葉に感情を乗せるということは、まるでウイルスに感染したような感じで、その言葉を聞いた人も相手の感情に感染して、影響を受けてしまうのです。これは避けられません。

■相手の役に立つようしゃべる

    情報だけを運ぶ言葉は、データを伝えるだけなので危険はありません。むしろ相手にとって役に立つ行為となります。感情でしゃべる場合は、情報が極端に偏っていて役に立ちません。つまり、価値がないのです。
    対話や議論をする場合、これは純粋に情報のやり取りです。そこに怒りや嫉妬や憎しみが割り込んでしまうと、対話や議論になりません。情報のやり取りができないのです。貪瞋(とんじん)痴(ち)(むさぼり、怒り、無知の三毒)の感情が割り込んだ言葉は、仏教的には全て無駄話になります。無駄話からは相手の役に立つような情報はひとつも見出せません。そのように、感情と言葉の関係があります。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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