アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「楽しいというエネルギーの源」についてです。

[Q]

    スマナサーラ長老の本を読んでいて、瞑想に興味津々になるとか、興味を持つということが大事だと書かれていたのですが、興味を持つとか楽しいというエネルギーは、一体どのようにして現れてくるのでしょうか?    

[A]

■副作用の無い楽しみ

    「楽しみ」というのは二種類あります。自分が好きなこと・欲しい物などを手に入れると楽しみが生まれますが、それは相当な副作用が残ってしまいます。必ず後片付けがあるような感じです。たとえば自宅でパーティーをやることと同じです。その最中は楽しいのですが、準備と後片付けが大変です。世間で言うところの享楽的な楽しみには副作用がついてきます。
    仏教が推薦する「楽しみ」というのは、精神的にリラックスすることによって生まれるものです。統一感・集中力というものもありますが、ストレスが無くなってリラックスできることを意味します。赤ちゃんの例で説明してみましょう。電車の中で赤ちゃんが大声で泣いている。そこで、お母さんが「もう嫌だ!    こんな場所で、とんでもない大声で叫ぶんだから」と思ったら、耐え難いストレスになります。そうではなくて、「こんなに体が小さいのに、声の大きさは大人以上だな」という見方をすれば、「おもしろい」「すごい」と思ってリラックスできるのです。いたずら盛りの子供たちが部屋に入ってきても、私は「わぁ、鬼が来た〜」とからかって楽しむだけです。騒いでいる子供に向かって「静かにしなさい!」と怒鳴ったところで聞いてくれるはずないでしょう。ただ大人が自分の怒りに火を点けてしまうだけで終わります。子供という変な生き物がやっていることをよく観察して、面白がってしまえばいいのです。
    そういうわけで、脳をリラックスさせて、ありのままに物事を観てみましょう。「あぁ、こうなっているのか」と理解すると、副作用の無い楽しみ・喜びが生まれてきます。楽しみ・喜びというのは、いわゆる脳がリラックスしたという意味です。脳細胞はずっと緊張した状態で生きているのだから楽しみがありません。緊張をほぐしてあげることが楽しみ・喜びで、それは脳の栄養にもなり、成長にも繋がるのです。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』