アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「介護の心がまえ」です。

[Q]

    これから実の両親と義理の両親・四人の介護が控えています。心がけることがあれば教えてください。
 
[A]

■「問題」と思うことが問題

    介護のことでみんなが困っているのは、「介護は問題だ」と思っていることなのです。ですから難しくなってしまうのですね。「日常生活に加えて、さらに別の仕事をやる羽目になってしまった」とみんな思いがちなのです。自分は今の仕事で精一杯なのに、余分に仕事を加えられたと思うその思考で大変なのです。
    「アディショナル    ワーク(Additional work)」、余分な労力のことです。ですから、当然疲れてしまいますが、そもそもこの思考が間違っているのですね。この妄想のせいで他人のお世話をすることが大変なことになってしまうわけです。ですから妄想を捨ててしまえばいいのです。
    人間は一日二十四時間でできる範囲のことしかできません。いくら忙しいとかあれこれ言ってもそれも妄想であって、自分の体でできないことはできないのです。ですから、仕事の内容は変わりますが、介護も日常の一環であると理解することです。みんな誰だって日々忙しいでしょう。そのように日課として「毎日忙しい、これが人生だ」と考える方が正しいのです。
    そして当然、みんな順番に体が壊れて寝たきりになって、亡くなっていくのです。これが人生のプログラムです。このプログラムに「別にどうということはない」と普通に取り組めばいいのです
    例えば子供が生まれたらいきなり日常生活が変わるでしょう。でもそれはみんな当たり前のことだとやっていますよね。人ひとりが増えたのですから増える仕事の量は大変なものです。それを十八年間以上もやりますね。でも、何の文句も言わないでしょう?
    赤ちゃんの場合は当たり前だと思っているからです。赤ちゃんが生まれたのだから、あれもやらなくちゃこれもやらなくちゃと思っていて、その時の思考は「こんなものは当たり前」と思って楽しくやっているのです。
    逆も同じです。高齢の方々はこれから体が壊れて、あの世に逝ってしまいますが、それも自分の人生のプログラムの一環なのです。ですから、新しく子供が生まれた時は頑張れるのに、なぜ他人が病気になって自分の世話ができなくなったことで「あぁ~大変だ」と思うのですかね?    介護も同じように考えた方がすごく楽になると思います。疲れませんし、上手くできるようになります。

■完璧を求めない

    完璧に上手くいかなくてもいいでしょう。子供が学校でトラブルを起こしたり、大人の言うことを聞かなかったりといろんなことがあります。それでも何とか頑張っています。そのように、時々上手くいかないこともあり得るかもしれませんが、それもごく自然で、当然のことで、こんなことは人生のプログラムの一部だと思ってやればいいのです。

■余計なプログラムを消す

    私たちはいつでも忙しいのに、あれもやりたい・これもやりたいとイレギュラーな人生プログラムを組むのです。それで困るのです。だって実行できないでしょう?    介護をしなくてはいけない人が家にいるのに、いくつもお稽古事を習いたいな・友だちと喫茶店で何時間も世間話をしたいなと、別な計画を立ててしまうのですがそれは実行できません。時間的に合わないからです。そういう計画が頭にあることは〝妄想〟です。実行できない計画は妄想なのです。実行できる計画は問題ありません。
    タイムラインの中で、私たちには実行できない妄想が割り込んできて人生を台無しにします。ですから介護をしなくてはいけない人が現れたら、それが自分の人生プログラムです。他に時間はありません。頭で余計な妄想をするプログラムを消した方がすごく気持ち良いのです。そうすると自分に必要な時間が取れますから。自分がどうしてもやらなくてはいけないことが現れてきたら、きちんと時間が取れます。損はしません。

■他人の世話をすることが修行

    介護することだけで精一杯でも仏教的には構いません。他人のお世話をすること自体が修行なのです。つまりその人は修行しているのです。自分の目の前で一日一日と死へ向かって進んでいる姿を見るのです。生きることはいかに虚しいのか、見えてきます。お年寄りの人が若い時にはどんな態度でいたのか、偉そうだった態度が今はどうなったかと、結局、誰でも全てを捨てて呆気なく惨めに消えていくのだと、そういうふうに観察しながら、それでも人は「生きていきたい」と、こんなに弱い体になっても生きていきたいという存在欲が見えてくるはずなのです。そうすると「人生とは何か?」と観察できます。
    体が不自由で弱い方々は、わがままを言ったり、怒ったりいろいろとするのですね。その時も自分は怒らないで「本人には何もできないのになぜ自我を出すのだろうか?」と観察します。その時、「あぁ、なるほど。何もできないから、希望通りにいかないからこそ苦しんでいるのか」と、心の働きが見事に見えてくるのです。

■そこにあるのは人間関係

    寝たきりの老人でも、ニコニコしてくれると世話する方もすごく気持ちが良くなるし、「本当に申し訳ないね、あなたに迷惑ばかりかけて」などと言われると疲れも飛んでいってしまうでしょう?    介護される方々が必ずそのように言うわけではありませんが、皆様は体が弱くなって不自由になったら、そのような態度を取ってください。ずっと感謝しっ放しで、相手の苦労をものすごく評価してあげると、相手の疲れが消えてしまうのです。そうすると新しい雰囲気・人間関係が生まれてきます。全ては人間関係です。寝たきりであろうがなかろうが、人間関係は人間関係なのです。

■人格向上の道に損は無い

    自分には一瞬も時間が無くて、外へ出る余裕も無いし、遊びに行く暇も無いし、介護以外に何もできない。ただ付きっきりで面倒をみなくてはいけない状態になっても「これは私の修行の場である」「今、道場にいる」「今、私は修行をしている」ということで、ヴィパッサナー瞑想の方法を学んで、修行として介護もやってみてください。
    信じられないほど人格が向上しますから損はしていません。いくらこの世で金を儲けても、やがて捨てることになりますし、徳にはなりません。いくら社会の中で華やかに活動しても、死ぬ時には全て捨てていくのです。しかし、この場合は人格そのものが成長するのですから、自分が持っていくものがいっぱいあるのです。ですから、何ひとつもできなくて面倒をみることだけになったとしても、ものすごい徳を積んでいることになるのです。仏道を実践しているのです。



■出典       『それならブッダにきいてみよう:人間関係編』

人間関係編.jpg 151.38 KB